“僕はポーランドに残ります。皆さん、遊びに来てね。”と右のポスターにフランス語で書かれています。配管工と言うとどうしてもイタリア系のマリオを思い浮かべますが、今はやっぱりポーランド系。
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まあ、多分フランス在住の人にしかわからないジョークかと思いますが、突然ポーランド人配管工事びとが流行ってしまった。それでポーランド観光局だかがこのポスターをフランス向けに作ったと、あるいは単なる冗談かも知れないですね。誰もポーズするこの男の子が本物の配管工とは思わない。ファッション・モデルかチッピンデールが本業かと。。。
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EU憲法批准投票から時間が経てば経つほど怒ってる、今日この頃。皆様はいかがお過ごしでしょうか。ポスト・トラウマ・シンドロームかいな。気分はジミ・ヘンドリックスでCD買ってしまいました。あと、今朝アマゾンから届いたのは何故かディランのブロンド・オン・ブロンドとホワイト・ストライプスの新作です。ここんとこニルヴァーナ聞きすぎでちと気分を変えたかった。変わったかと言うと、あまり変わってない、か。来週はモーツアルトにするべきか、、、、。
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ブルッセルではEU予算案をめぐって終わりのない戦いが始まりました。一歩も引けないブレア氏が一歩引く可能性は0。(猫屋、来週はドアーズにしようと思う) 個人的には“リアリズム”と“理想主義”の二元史観がEUで止揚(するかも知れない)と思ってたんですが、行き着いた現在は単なる予算の奪い合い。パラノイヤックなナショナリズムの運動会。Il faut laisser le temps au temps/時に任せよ、と諦観するにはまだまだ修行が足りない。
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このままでは大きな“壁”にぶち当たる予感がする。これはフランスと欧州に限定された話ではない。イランでもウクライナでも、カンボジアでも、もちろん日本でも、それはおんなじ“壁”な気がします。でもその壁が何で出来ているのか、ぶち当たった衝撃が何をもたらすのかは分からない。
いや、単に私だけがペシミスティックになっているだけかも知れない。
冷戦後のパラダイム、あるいはシステムが16年を経て姿を現しつつあるのだ、と思う。世界の各地で火山のごとく噴くナショナリズムは、この姿を現しつつある21世紀システムへの恐怖が固まってゴジラ化した、とは言えないか。映画マトリックス(1999)に多くの若い人が引きつけられた理由もたぶん、ここいらにあると思う。そして、フーコーが予言したpolice国家。
以前に書いたが、911後の世界を指してスーザン・ソンタグが、『資本主義はやっとその中期に入ったばかりかも知れません。確信はありませんが、これから資本主義はもっと先鋭な形にエヴォリュートしていく予感がします。』と言っていたのをもう一度思い返す。
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EU憲法Bプランはどこに行ってしまったんだ。『100年戦争が始まる。』とかの悪い冗談が流行る昨今、集会の終わりにインターナショナルは歌わないでくれ。(これは、単なる小さなお願いです)
気分はほんとにジミヘンな夜。
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今日の拾い物:もうだいぶ前見つけた仏語個人ブログ過去ログ。L'insoutenable légèrté de l'être から。今さらなに言っても始まらんわけだが。
toxandoriaです。コメント有難うございます。
最近は、何故かクオリア(参照、下記●) という言葉が頭から離れません。そして、ジェームズ・アイボリーの比類なく美しい映像のクオリアが懐かしく思い出されます。
●http://www.qualia-manifesto.com/index.j.html
近年の日本人は、只管バカ化しているというか、 この“クオリア”とでもいえるような絶妙な感性をドンドン失いつつあるような気がします(参照、下記)。エコノミック・アニマルという言葉がありましたが、今の日本人は“勝ち組”とかいうエコノミック・モンスターが支配する社会へまっしぐら、という感じがします。・・・映画『日の名残』のミス・ケントン役は、たしかに懐かしいエマ・トンプソンでした。
▲http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050616/mng_____tokuho__000.shtml
ところで、「個人的には“リアリズム”と“理想主義”の二元史観がEUで止揚(するかも知れない)と思ってたんですが、行き着いた現在は単なる予算の奪い合い。パラノイヤックなナショナリズムの運動会。Il faut laisser le temps au temps/時に任せよ、と諦観するにはまだまだ修行が足りない。・・・EU憲法Bプランはどこに行ってしまったんだ。“100年戦争が始まる”とかの悪い冗談が流行る昨今、集会の終わりにインターナショナルは歌わないでくれ。(これは、単なる小さなお願いです)・・・スーザン・ソンタグが、『資本主義はやっとその中期に入ったばかりかも知れません。確信はありませんが、これから資本主義はもっと先鋭な形にエヴォリュートしていく予感がします。』と言っていたのをもう一度思い返す。」の記述部分に“激しく”目が止まりました。
実は、ほとんど同じような思いをしておりました(参照、下記)。欧州でも 、この“クオリア”が喪失されていくような雰囲気があるのでしょうか、それで“百年戦争”なのでしょうか?“百年戦争”といえば、たしか傭兵(今流行の軍事民営化!、軍隊の社会的深化)が本格化し始めた時代だったと思います。不穏な連想が働き始めました。
■http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050615
投稿情報: toxandoria | 2005-06-17 20:00
猫屋さま、toxandoriaです。
追記の質問をさせて頂きます。
下記の引用記事はローカルなものですが、ほぼ日本全体の一つの傾向だと思います。フランス(あるいは欧州)でも、このような知力の低下傾向は見られますか?
・・・・・引用の始まり・・・・・
■落書き、知力低下反映? 単純な絵などばかり
仙台の街を汚す落書きの質が低下してきた。もちろんどんな内容であれ犯罪だが、以前の落書きはメッセージや芸術性を感じさせるものも少なくなかった。それが最近は単色で、排せつ物の単純な絵やわいせつな文言などばかり。仙台で落書き消しのボランティア活動を続ける団体は「知力が落ちたのか、低年齢化が進んだのか」と嘆いている。
泉区の黒松小では5月20日から21日にかけて、完成したばかりの体育館の壁が汚された。英語でわいせつな言葉が書かれ、単語のつづりは間違っていた。同小では、児童の目に触れないようシートで覆い隠した。
野沢令照校長は「なんでこんな刹那(せつな)的なことをするのか。深い意味もなく、今が良ければいいという短絡的な落書きだ」と怒りが収まらない。
「2年ぐらい前までは芸術的な落書きもあったが、最近は単純なものばかり」と指摘するのは、泉青年会議所を中心に2年前に結成された「らくがき消っし隊」の隊員藤巻紀夫さん(39)。
消っし隊によると、4月に地下鉄八乙女駅のガード下やバスプールで見つかった落書きは、黒などの単色で、排せつ物を単純化した絵や英単語や記号の羅列。県道仙台泉線でも多くの電柱に落書きされたが、これも「単純で雑なものばかり」(藤巻さん)だった。
市中心部の広瀬通周辺では3月、洋服店などが被害に遭った。これも意味不明な英単語の羅列。モルタルに書かれるケースも多く、塗料が染みこんで、消すのに10万円以上かかっている。広瀬通町内会の男性(58)は「落書きはすべて許せないが、最近は美的感覚のないものばかりで、なおのこと頭にくる」と語る。
仙台市市民生活課によると、2003年に調査した際に市内で見つかった落書きは約500件。関係者は「最近はさらに増えている感じ」と話す。
ドロップアウトした若者の行動に詳しい古賀正義中央大教授(教育社会学)は「難解な漢字を使って強烈なメッセージを示す落書きは、暴走族など統制のとれた集団が書いていたが、最近の若者は個人化して統制もない。そんな若者が自分の存在を示したくて落書きしているから、自己満足でメッセージ性もなく、意味不明な内容になっているのではないか」とみている。
(河北新報) - 6月14日
-・・・・・引用の終わり・・・・・
投稿情報: toxandoria | 2005-06-17 20:54
toxandoria さま、こんばんは。猫屋の悪態に付き合っていただいて、ありがとうございます。
“百年戦争”はブレアとシラクの農業補助金をめぐっての英仏綱引きをかけた冗談なんで、他意はないと思いタイところです。母国日本での最近の動き(とは言ってもネットを通じた母国ですが)はもう猫屋の理解範囲を超えています。友人や家族とのコンタクトではそれほどギャップは感じないので、合点はいかない。でも、現在の流れもいつかは行き着くところまで行って、また変わるような気もします。確信はないですが。
“二元史観”っつーのは単なる冗談ですので、、(汗)。でも、EU はひとつの可能性だ、とは今でも信じています。先に進むのが必ずしもいいことではない。その意味で、欧州の、のんびりした時間の流れ方とかが失われて、欧州が開いた空間ではなくなったら、いったいどこに行ったらいいんだろうとか悩みます。それに、なんだかんだ言っても、20年前の欧州に比べれば今は本当に生きやすくなりました。移民にとっても、たとえばホモセクシャルな人間とかのマイノリティにとっても。懐豊かな“多様性”がこの欧州には(まだ)あると思う。
私も“アート”の力を信じています。哲学やジャーナリズム、あるいは社会学などがカヴァーしきれない世界の真理を“アート”、もちろんレベルの問題はありますが、映画や音楽、小説(フィクション)や写真が描き出すし、呼び起こす。(私自身、フィクションを書きたい。でもいまいち勇気が足りません。)
日本は住民全員“お子様”みたいな気もします。このごろ惣菜とかもやたら甘いし。ただ、自分はもう完璧にアウトサイダーだ、と思う。判断停止状態です。
欧州の子供たちもTVのドラゴンボールを見て、ゲームボーイやPS2で遊び、翻訳でマンガを読み、柔道や居合いを習い、sony の製品を買いetc. で育って大人になります。それがいいことなのか、悪いことなのか、私には分かりません。あの子達もこれからの欧州“お子様”市民になるのでしょうか。感性のするどい、あるいはインテリジェントな子供はどこにでもいます。でもコンサーヴァティヴしか知らない彼らが生きていく世界がどうなるのか、想像がつかない。
ただ、自分にも理解できるのは、人類はこれだけの歴史を生きてきて、まだ消滅していない。絶望的な悪を人間は作り出したが、同時に美も作り出してきた。希望を持つ理由もあるんだ、と言うことです。
投稿情報: 猫屋 | 2005-06-18 01:11
傷を舐め合いにきました(笑)
おおげさですが、身近な人の死に似ていて、しばらく時間がたってからはじめて、じわりとはじまるんですよね。
>欧州の、のんびりした時間の流れ方とかが失われて、欧州が開いた空間ではなくなったら、いったいどこに行ったらいいんだろう
うーん。
個人的に言うと、レファレンダムの騒ぎの途中から、欧州でも「東の風」に呼ばれるような気がしてる。どうも自分を「ポーランド配管工」側にアイデンティファイする習慣からかもしれませんが。ユーロヴィジョンのお祭り騒ぎなんかみてても、「新しい欧州」がエネルギーに溢れているという感じがして、うらやましいと思う。今度のnonが結局ラムズフェルトに理ありということにならない道を、フランス人は本気で見つけれなければならないのですが。
投稿情報: fenestrae | 2005-06-18 22:44
fenestraeさん、お晩でがす。
いや、まあダーク・サイドのフォースが痛いです、とまだうじうじ。やっと普通に歩けるようになったんで、“ヤッテランネーゼ”と負け組ミーティングばかりしてますよ。通常であればプール行って2000ぐらいガーッと泳いで“ファイトー・イッパアーツ”ですむんですけどね。トホ。
長生きしないと顛末は見えんような。欧州連合構想メンバーはもう誰も生きてないわけで。時代は変わるんだよねって、やはりアイデンティティに行き着くのかなあ。体力つけないといけませんね。
投稿情報: 猫屋 | 2005-06-19 01:17