昨日の夜は“フランスにおけるカトリック事情”といったような文章を書きかけたんですが途中で断念。私が直接知っているフランスはパリに限られますが、厳密に言えばパリはフランスではない。ニューヨークはアメリカではない、と言うのもたぶん同じような意味合いかと思いますが、人種・宗教・国籍の入り混じった、そして混血・混文化の街パリの住人についての大まかな紹介ができにくい。
外来者と現住者の境目がないし、同一界隈であっても細かな棲み分け(のようなもの)もあり、一般化が難しい。おまけにカトリック信者家族内でも世代によって信仰度は違うわけで、そんな微妙な部分をあくまで“非カトー外人”の私がコメントするのは結局おこがましい、と判断しました。ただフランスにおけるキリスト教の影響力後退は続くんだろうな、とは思う。
確かに、ヨハネ・パウロ2世のポピュラリティーには例外的なものがありました。20世紀から21世紀をかけて、精神的支えを求める声に答えるスーパースターの貫禄があった。米国のイラク攻撃にオブジェクションを出した。宗教対立を超えて正教・イスラム・ユダヤ教などとの共存の道を示した。南米での、また当局との軋轢はあるものの最近の中国でのヨハネ・パウロ2世の人気は大したものだったようです。
繰り返しになってしまいますが、私のような他国籍者も、また2重・3重国籍者も多いフランス住人一般像を描き出すことは大変難い。ということで、私の身近のフランス人カトー・プロファイルを書いてみます。
レア 昭和天皇と同年生まれ、とうれしそうに言っていたアルプスの村に住む婆ちゃんは数年前に亡くなりました。夫を若く戦争で亡くして子供3人育て上げた気丈な婆ちゃんの居間には、ヴァチカン・ラジオというのがあった。第二次大戦の映画なんかに出てくる、アンティックなでかいやつです。96歳で亡くなるまで、周波数の合わせてあるラジオから流れる法王の声を婆ちゃんは聞き逃すことがなかった。もちろん歩ける間は毎日村の教会のミサにも通っていました。今でも日曜日のミサのあとは教会の前で村中が話し込む。その横には市が立つ。
アリアンヌ 本来はどちらかと言うと無宗教系プロテスタント・ブルジョワ家庭に生まれた彼女(42歳)ですが、10才の時父親が3人の子供と奥さんを放っぽり出してガールフレンドとアフリカに逃げてしまった。彼女は熱心なカトリックになり高校卒業後すぐ結婚、四人の男の子を出産。ヨハネ・パウロ2世がフランスに来た際の彼女のフィーヴァーぶりには圧倒されました。彼女によると、近所に住むもうひとりのカトー婦人はもっと過激で40歳にしてすでに8人の母ですが、まだまだ記録は更新されそうとのこと。四児の母によれば、“気が知れない”のだそうです。
クロエ 祖父は大学の先生、祖母は“マミー・カトー/カトリックおばあちゃん”と呼ばれる敬虔なカトリック信者。でも5人兄弟の下から2番目に生まれたクロエの母親は黒いアヒルの子的存在で、すでに3回結婚3回離婚、いや間違えた2回離婚で3回結婚かな。20歳になったクロエは今エリート校でサイエンスを勉強中ですが、2人いる妹もそれぞれ父親が違います。クロエは成人したとき(18歳)プロテスタントに改宗しています。おかあさんは今たしか政治屋さん。
と、何故か全部ガールフレンドの話です。男で政治やってるやつはいるけど宗教に行ったのは周りにいない。あと、女の人はちゃんと自分のことが喋れますね。喋りっぱなしに見えるフランス人とはいえ男はやはり自分のことは上手く語れない。ちなみにnekoyanagi は女性の話を聞くのが得意、です。
突然ですがマリア処女受胎説について。聖ジャック/セイント・ジェームズはキリストの兄弟ではないかという説があります。キリスト没後聖ジャックがキリストの後を継ぐかと思ったら、聖パウロが主流になってキリスト誕生にまつわる神秘伝説も付け加えられたんではないか、という宗教歴史家がいるんですね。新約聖書を(旧約聖書もしかり)歴史的事実と読むか、ある種の“伝説”あるいは“神話/mythe/myth” と見るかで大きく意見は分かれるところでしょう。自分史を語れない男どもも、リラックスしたディナーなどで喧々囂々/ケンケンゴウゴウが可能なトピックなんですが、悲しいかな聖書知識ゼロのnekoyanagi はポカーンと口を開けて拝聴するのみ。
今のローマ教会が抱える切実な問題に、ホモセクシャリティや(ドイツなどでプロテスタントとの合同集会での)職務への女性聖職者受け入れの是非、離婚問題、避妊問題とエイズをめぐるコンドーム否定問題などがあります。テオロジー/神学執行者としてのローマは認められないが、リアル/現実に現地で働く聖職者は自己の判断で行動する部分が多いのではないか、と思います。たとえば、ブラック・アフリカやブラジルなどの貧民街で奉仕するペール/神父が、実際ローマの発するコンドーム否定やホモホビーや貞節論を語っているとは考えられない。ある種のダブル・ランゲージはこの場合許容されるべきと思います。最も助けを必要としている人々が、こういった問題に最もさらされているわけですから。
どうも。聖母の処女懐胎は聖書が翻訳されるときに起こった一種の間違い、という説があります。結婚前に妊娠することを意味した文が、処女懐胎と解釈されたとか。
私はエセながらカトリックのせいか、聖壇に女性聖職者を見るとなにやら違和感。プロテスタントでは普通ですが。ほんとは純潔よりも、聖職者が結婚して
「ちょっと今日は子供が病気なんだし早く帰ってきてよ、もお!」なんておっかさんに追い回されるようでは仕事に専念できない、が理由だったと個人的には想像しております。
ここ数年のローマはコンドーム使用や同性愛に関して非常に保守的・否定的でしたが、「解放の神学」でもあるように、在野の聖職者全てがそれを受け売りしているとは思えない。ただ、恭順も聖職者の条件なので、現実的な彼らに対してもなんだか諸手を上げて賛成できない、という気もします。
あらなんだかんだ言って結構わたくしも保守なのかしら。エセなのに。
投稿情報: Mari | 2005-04-24 15:59
今晩は、mari さん。カトリック・プロテスタントと言っても内実はかなり幅があるんで簡単ではないですね。たまたまカトリックが強い土地にいるんでどうしてもカトのほうに親近感が沸きます。(いつか行ったスイスの教会内にでっかい国旗が垂らしてあってびっくらしたことがありました、関係ないけど)
ローマは保守の牙城と思ってますから(スイマセン)、ローマ教会見解が革新しちゃうのは最後の最後でしょう。ちとブッシュ政権が保守の帝王っぽいんで、これも困ったことですが。
ところで、プロテスタントの国では食い物がまずい、というのは単なる猫屋の偏見でしょうか。
投稿情報: nekoyanagi | 2005-04-25 00:04
毎度。キリストは革新・左だったのに2000年も経つとバリバリ保守になっちゃうのが歴史ってもんでしょうか。
ご指摘の「プロテスタントの国では食い物がまずい」確かにそうですね。笑いました。人間性というか、官能・欲を楽しませるのは悪である。プロテスタントで美食をおおっぴらに押し出すのは抵抗があるかと。アングロサクソンも、食い物に関してごちゃごちゃ言うのに何やら羞恥に似た感情を持つようですね。 スイスもカトリックはいますが食べ物はプロテスタント寄りです。やんぬるかな。
投稿情報: Mari | 2005-04-25 09:21
JESUS IS LORD!
主イエスにあって兄弟姉妹の皆様
本日、秋田の聖母webサイトの「奇跡の真正性について」を加筆修正しました。
今まで10年間思い巡らしてきたことを、具体的に言葉にする努力のひとつです。
現在の私の、秋田の奇跡についての理解と解釈の土台を説明していますので
ぜひ、お読み下さい。
http://www.newlifejm.net/myfaith_101.html
書き記した内容は主イエスの御前に、私の心の真実であると申し上げます。
投稿情報: | 2005-05-02 10:23
nekoyanagiさんが、女性の話を聞くのが得意である、というところで
くすり、と笑いが。
投稿情報: ふふ | 2005-08-07 15:46