何年か前話題になった映画に 《In the Mood for Love/花様年華》というのがあった。大体恋愛映画に興味はないんだが、ある日暇なんでTVつけてたら放映していた。40すぎても恋愛至上主義をやってる幸福だが孤独な男が『今まで見た映画の中でもベスト』とか言ってたのを思い出して、まあ途中だけど見てやろうじゃないの、と見始め、でも結局、最後まで見切れなかったのだが。
どうもこういうスタイルに凝る映画は好きじゃない。というかスタイル自体がなんかの効果を挙げてる場合はいいけれど、この映画ではスタイルを提示するだけのスタイルだし、大体恋愛物語も恋愛物語を見せるためだけになってて(分りにくいなこれ)、言い換えれば恋愛に恋して恋愛したい偽恋愛人が2人、本当に愛し合わないために格闘する、、というか、まあまだるっこしい。そこで私は単なる風俗観察屋となり、小津映画風喫茶店のナフキン入れだの、延々と繰り返される家族マージャンとか、やたらと出てくるテイクアウトの中華料理とか、マギー・チェンの着ている、おまけに場面ごとに変えるどうしたって座れないし下も見られそうにない変形チャイナドレスとかばかり見ていた。どうってことはない映画だと思った。
ただひとつ、ひっかかったのは、アジア人である私にも、主人公(作家)と女主人公の夫の区別がつかなかったことだ。彼と彼女の配偶者同士が関係を持っていて、二人は出会うとかなんとかといったストーリーなんだが、夫も恋人候補も中肉中背ほぼ同年齢。性格もほぼ同じ、と言うよりこの映画には性格描写みたいのもない。
あるいは大昔の言葉ですまんが『バタクサイ』洋物映画ばかり観すぎで、私には東洋人は全部同じに見えてしまうという可能性もありなんですが、(少なくとも私にとって)これ、実は人間の交換可能性についての映画なのだな、ということ。他にも私のような見方をした人間はいるのだろうか、ちょっと気になる。
コメント