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2008-05-13

コメント

imasaru

広島ではまったく話題になってないですね。忙しくてローカル放送を観ていないというのもありますが、地元新聞にも見当たらないし載った形跡もないです。(被爆直後の新しい画像というのは、ここでは常にトップニュースの扱いなのです)
最初から違うとわかっていたので無視したのか、事情はわかりません。

最新の写真の情報ということでは、URLのところにリンクを貼った松重美人カメラマン(ル・モンド記事で言及されている)の発掘?プリントの話題。既に公開済みの5カットには記事末尾にリンクあり。

あとは『ヒロシマ モナムール 24時間の情事』の主演女優エマニュエル・レヴァさんが撮影した1950年代後半の多数のスチールが公開されるという話題が最近では大きく取り扱われました。映画は先月20年ぶりに再上映されて私も四半世紀ぶりに見に行きましたけど。ミニシアター系の映画館の観客平均年齢があんときゃ異常に高かった!

以上、ヒロシマ支局より、単なる情報でした。

猫屋

どもども、支局長。
資料出典確認が取れるまでは慎重だった(あるいは自己調査するよりは他のアジャンスからの報道提供を待った)んだろうなあと思います。

末端個人ブロガーは、専門家や出典先にコンタクトとるわけにも行きませんから、“誤報”らしいと分かった時点では“汗”状態でしたが、結局のところル・モンドは“調査/investigation”ジャーナルとしての仕事をしたんだと理解していいように考えます。

フランス人のあいだには東京のポンス氏(猫屋より日本滞在期間が長い)やイナルコのリュケン先生(読み方自信なし)のように、自分に比べようもないほど日本歴史に詳しい方がおられるわけで(まったく知らん人も多い)すが、同時にヒロシマ・ナガサキというのが、米国でとはまた違った形で、“共同意識”みたいのにしっかり刻まれてるんだなあ、と再確認しました。

もう一点は、リテルの本もそうだけど、米国でのフォーラム読んでも、ワールド・ワイドな若い世代が育ってるという印象を持ちました。国境も言語差も簡単に越えるネット世代です。

なお、ヒロシマ・モナムール、いま考え直してみるとやっぱいい映画です。

imasaru

蛇足的ではありますが、支局員総勢1名、いきがかり上フォローしときます。

「実は関東大震災」の記事が全国版で一斉に出まわったこともあってか、地元紙中国新聞でも5/15に報じられました。紙版とテレビをみていないので、扱いの程度はよくわかりません。

以下引用---
写真の存在をウエブで7日に知った資料館や中国新聞は、写っている救援の人々の姿が戦時下の服装ではない▼背景の建物は広島ではないと、問い合わせに回答。1923(大正12)年の関東大震災の写真とみて関係団体に照会し、10枚のうち6枚が大震災を収めた当時の写真集にあることを確かめた。他の写真も同じような光景から関東大震災を撮った可能性が高い。---引用おわり

リンクの命は短いと思いますがURLは下記に。ゲバラの娘さん来広の記事もあり。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200805150136.html

renqing

ご無沙汰のご無沙汰であります。

私の記事↓に貼り付けたリンクの写真はたぶん、本物だと思います。
TBがうまくいかなかったので、コメント欄を使わせて戴きました。

広島の原爆投下、直前直後写真
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2005/08/post_5e35.html

夜明けは来ない?

写真は根拠無し、
原爆の惨状も根拠無し、
結果的に今回の原爆投下はますます正当化される、
考えてみれば日本は実に危険な帝国主義を貫こうとする軍事国家であった、
アジアでの残忍な侵略行為を考慮に入れても、この原爆投下は正当なものであった、
日本国民は唯々この「正義」の鞭を受け入れるしか選択は無い、
軍国主義、天皇制、西洋植民地戦線のハザマに追いやられた我々庶民たる日本人には
いかなる弁明の余地があるのだろうか?

このまま「あーそうですか」と引き下がれない思いです。

renqing

 大日本帝国陸海軍が行った、重慶無差別爆撃が非戦闘員の殺戮として許されないように、10万人を焼き払った米軍の東京大空襲や広島・長崎への原爆投下は許されない行為です。
 では何によってか。「自然法」の名において、です。いつの時代でも、どこの人間としても、最低限守らねばならない「人の道」というものがある。それを犯したことによって、上記の行為はすべて等しく裁かれ得ます。
 そういう意味、論理で、戦後の日本人は、堂々と極東軍事裁判の再審の声を上げ続けるべきだったのです。

 自然法については、下記をご参照下さい。

自然法について(関 曠野)
http://shiryouko.exblog.jp/1284467/

猫屋

imasaru 支局長、renqing 氏(ご無沙汰、ご無沙汰)、夜明けは来ない氏、
ル・モンド翻訳3本やって、中国新聞やその他の記事も読んで、なんだかとってもガックシきて、まあここパリも初夏で、ブログさぼってそこらへんほっつき歩いたり、うちのベランダでまわりの木々を眺めながら、買ってきたアプソリュート・ウォッカに氷とギュッと絞ったライムを入れてグイグイ飲んだりしておりました。なんというか、まあ人類的ポスト・トラウマティック・シンドロームの軽いやつだ。

さて、ル・モンドでは紙調停員(編集部とは直接関係ない人物で、読者の反応に答える)がヒロシマ写真記事関連で書いてました。Le piège des photos, par Véronique Maurus:
http://abonnes.lemonde.fr/archives/article/2008/05/17/le-piege-des-photos-par-veronique-maurus_1046298_0.html

時間がたって、出来事との関係は変化し、距離を取ってその出来事を直視することができるようになる。加害者・被害者の関係も変わってくると思います。東京裁判やニュールンベルグ裁判に対する批判の声は、今回のヒロシマ(偽)写真記事へのコメントでも言及されていました。(なお該当写真は、ル・モンドの前にイタリアのレピュブリカが二面使って掲載していたようです。)

十字軍や聖バーテルミーの虐殺を、歴史が忘れていないように、広島やドレスデン、アウシュヴィッツ、ポルポトの虐殺も20世紀の暗い歴史の一部であって、たしかに人類はおなじようなおろかな戦争を繰り返すわけですが、だからといって忘れてチャラにすればいいというものではない。これらも(新資料や歴史家の仕事を内在化しながら)次の世代に伝えるべき人間の“遺産”なのでしょう。

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