しばらくブログ書きを休んでしまったわけですが、いやなに、忙しかったわけではなく、ただ単に書くことがなかったのであります。
相変わらず続く書類合戦の合間に、滞っていた読書生活を再開。オバマ米大統領選出を機会に、トクヴィルの「アメリカのデモクラシー」日本語版を、今度は拾い読みではなく最初から通して読んでみることにしました。
今年の秋は美術展も、映画新作も、なんだかこちらの気をググっと引っ張るものがなくて、わざわざ出かけていく気にならないんです。グラン・パレでやってる《パブロ・ピカソと師匠》展も、ピカソフリークでないアタクシにとっては『豚真珠』、イマイチ食指が動かない。ピカソが大物であるのは認めるけどさ、なんだか飽きた。晩年のエッチングは凄いけど、いつかピカソ美術館で『これでもか』ってほどのミノタウロス・シリーズを拝観してるんでおなかいっぱいであります。
ルーブルでやってるアンドレア・マンテーニャ展もパスするつもり。例外的作家、たとえばジオットやダ・ヴィンチやティティアーノは(個人的)別枠なんだけど、基本的にいうとイタリア絵画は地元で見たほうがいいと思う。まあイタリアに行きたしと思えども、イタリアは遠しなのだが(つか高い)。
反面、ヴァン・ダイク展のほうは行くつもり。もう24年も前の話になるけど初めてアントワーペンに行った時、それまで苦手だったルーベンスの絵が(体感として)理解できたし、同時にヴァン・ダイクのポートレートの透明性が印象深かった記憶がある(でもルーベンスが前面配置で、どうしてもヴァン・アイクは上のほうに展示してあってよく見えなかったのね)。
フランドル絵画は時代的にもうちっと前のヴァン・アイクやヴァン・デル・ウェイデンやボッシュ(ボス)の熱狂的ファンなんだけど、ベルギー・フランス・イタリアと旅行していって、“ルネッサンス”の時代に人とモノと技術や思想が大陸内を(そして大陸も越えて)移動していたんだってのが、建築や絵画を見てるだけでなんとなく分かってきた。
ヴェニスとフィレンツェでティティアーノとティントレットにほれ込み、パリで再びティティアーノの“近代性”に気づき、これまたパリのメランコリー展でデューラーの重さを再確認し、旅行先のブルージュでたまたまぶつかったデューラー銅版画展で息を飲んだ。
デューラーにしても、ヴァン・ダイクにしても、イタリア旅行・滞在を期に作風を変えている。たとえばヴェニスのティティアーノ大作を前にして、ヴァン・ダイクが受けた感動を想像するだけで、こっちの心臓までドキドキしちゃうわけです。
24年の時間を経てやっと、アントワーペンでアタクシをひきつけたヴァン・ダイクの魅力が、実はイタリア後期ルネッサンスの“自由な光と空気の軽さ”とフランドル絵画の“北の貴重な光がもたらす明晰性”とのミックスチャーだったんだ、と気づいたわけです。これって生きてる価値だよな、と思う。
これからは逆に、フランドル絵画のイタリア絵画への影響具合を見て回って、あとはベラスケスとゴヤへの挨拶もかねてスペイン行って、グラナダ見て、それからもいちどヴェニスに戻ってイスラム文化(建築・絵画・庭園・モザイク)と大陸中世文化のつながりについて勝手に想像を張り巡らしてみたいよなあ。。。。ああ何たる贅沢、、、でも無理か、、とため息吐息。
下はル・モンド紙のヴァン・ダイク展記事です。