またしても、すっかりブログご無沙汰しております。
10日ほど前ですが、ギリシャ債務とゴールドマン・サックを巡る情報を追いかけpcに張り付いて徹夜した翌日の寒い日、アポに遅れないようにと走ってメトロに飛び乗ったのはいいんだが、着地に失敗。5年前に手術した右膝をまたして変にひねってしまった。痛む右足を引きずりながらパリをまわり何軒かの用事を済ませて帰宅したら、なんと、膝は見事に脹れ上がっていたのでした。薬嫌いのアタクシですが、さすがにその夜は痛み止め飲んだ。3日間、膝を冷やし家でじっとしてたけど脹れは引かないので、5年前に半月版手術を受けたクリニックに予約を入れた。
アタクシの執刀医は、アジア系の血筋も入ってると思われるマルティニック出身の膝専門外科医なんだが、外科医の癖になかなか手術をしたがらない奇特な人物で、彼独特の諧謔とテンポをわざとずらした反応の仕方、それから患者に対するアグレッシヴさ皆無の対応ってのも、ここフランスのお医者さんキャラクターとしては例外的だと感じられた。
この膝専門の外科医MA氏(苗字のイニシャル)に最初に見てもらったのは1998年にスキーで転び十字靭帯を切断したときで、手術はせずリハビリにクロールのみの水泳を勧めてくれたのもこの先生である。つまり、5年前の2回目スキー事故後(杉の木にぶつかるが右足のスキーが外れず膝がもろにショックを受けた)の、全身麻酔でアタクシの意識はなかった半月版手術中の関係は別としても、数回しか会ってないにしろ、古い付き合いなのだ。
ところが、3年ほど前にMA医師の後任医からの手紙で、MA医師は1998年、つまりワタクシが手術を受けた年の12月に“引退”したが、私のファイルはその後任医が引き継いだいう通知があった(この医師は別の医院に移った)。
今回、診察を受け持ってくれたR医師はMA氏の同僚・友人で、診察の合間に「引退したMA先生はお元気ですか?」と聞いたところ、外科医は絶句。「御存じなかったんですか。MA先生は直腸癌で亡くなったんです。あなたの膝を手術した時にはもう癌を抱えていたはずだ。発見が遅れ手術を受けた時は手遅れだった。1998年12月に亡くなりました。」
この知らせにはアタクシも絶句するしかなかった。MA医はアタクシより何歳か年上なだけのはずだ。おまけに直腸癌は最も見つけやすい癌のひとつだ。「医者の癖に、なんで初期に検査を受けなかったんですか!」と、いまさら遅いんだが、思わず腹が立ってR医師に言ったら、苦笑いとともに「医者というのは医者が嫌いなんですよ。」という答えが返ってきた。
R医師は、今でもMA医の家族と交流があり、MA氏の母親の膝も彼が手術したと言っていた。MA氏の手術後、車で病院に彼を迎えに行ったもは私です、とも言っていた。「MA氏には私の膝のケアを最後までお願いしたかったのに無念です。彼は卓越のヒューマニストだった。」と言うと、「実に彼は膝の専門家としても勝れていたが、友人としてもかけがえのない人物だった。患者さんには一貫して物静かで冷静だったが、医学に関しては時として、冷たい怒り/colère froid を隠さなかった。」と彼は続けた。。。
30分ほどの診察の後、クリニックからメトロの二駅分、2月の雨の中を歩いた。膝が相変わらずきしんで若干痛みがあったが、そんあことはどうでもよかった。5年の時間差で悲報が届いた。腹が立って、そしてどうしようもなく悲しかった。また人がひとりいなくなった。死はいつだって不条理なものだが、あなたの愛する、あるいは信頼するだれかが、おまけに人生という長い(あるいは短い)レースの途中で急にいなくなってしまうという不条理を受け入れるのはたやすいことではない。
*
昨日は膝のレントゲンを撮った。来週から3週間のリハビリテーション(週3回のキネ)。3週間後にもう一度16区のクリニックで診察が予定されている。キネ担当者に水泳を再開してもいいか聞いてみよう。今年の冬は例外的に寒くて、ストレッチングは時々してたけど、ガス代高騰以降行きつけのプールは冬季2ヶ月閉まることになっちゃって泳いでなかったんだ。なにしろ、アタクシの執刀医MA氏は5年前に、「手術や人口膝が嫌なら、泳ぎ続けなくてはいけません。」と言ったのだった。「え、たとえばアタクシが90歳になったとしても泳がなきゃいけないんですか?」と聞き返したら真面目な顔で「そうです。90歳でも泳がなきゃいけないんですよ。」と答え、先生ニマッと笑ったのだった。
ああ、MA先生。名医だって癌検査はちゃんと受けなきゃいけないんですよ。。。
コメント