昨夜の嵐で落ちた栗の、大きいのだけ時々拾いながら、人気のない森の中を歩く。イラクサを拾った枝で払いながら、ずんずん進んでいく(管理された森だからこんなこともできる。狩猟者もいないよ、もちろん)。
所々にある樹のない場所には、秋の日が差して、ポンピドゥーで見たカンディンスキーの絵の光のまんまだなあ、と気づく。
そうやって今度はサイモンとガーファンクルのボクサーという歌の中に、the clearing って言葉があったと思い出し、口ずさみながら、もわっとした林の中を結局1時間近くうろついた。
秋の森というのはなんだか空気が濃くて、不思議な雰囲気がする。悪意のない開かれた密室みたいだ。心が落ち着く。
そこは市街地に面しているから、鉄道の過ぎる音や近くの幼稚園の庭で遊ぶ子供たちの声も聞こえてくるのだが、それにしても静かである。時々、栗や椎の実が落ちる音がそこここでする。
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そのあと、街中に戻り、喉が渇いたから缶ビールの一本でも買おうかとスーパー・マーケットに立ち寄った。
冷やかしに値引きの広告が目立つ商品ケースの間を見て回って、でも欲しいものはなかった。“幸福” はスーパー・マーケットには売っていない。
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追記:写真は手持ちのNOKIAで撮ったもの。全然雰囲気は伝わりませんが、証拠写真としてアップ。