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2009-11-05

コメント

みみみ

 ああ、そうです、レヴィ=ストロス亡くなったんですね。ほんとに。なんだか大昔にサルトルやボーヴォワールが亡くなった時よりも、大きなショックを受けてる自分にびっくりしています。猫屋さんが書いてらっしゃるように、"人文科学、文学、芸術といった枠を超える知の姿勢"が、消え去ったということなのでしょうか。
 読んだ記憶があるのは『悲しき熱帯』から『はるかなる視線』にすっ飛んでいるのですが、専門の枠を超えて一つの文学として成立している、と思います。フランスの知識人にはこういう人が多かった。そのあたりでトンデモ扱いされたりするのでしょうけど。
 ああ、コメント書いていたら、《書かれたもの》への思いがいろいろ浮かんで来てしまいました。
ル・モンドの記事読みでがあり過ぎ、、、 

猫屋

ほんとうに、ストロース型の“知”、あるいは“好奇心”が不可能な時代になっちゃったんだと思います。Lévi-Strauss par Lévi-Straussとタイトルされたル・モンドのインタヴュー映像集が面白かった:
http://lemonde.fr/carnet/panorama/2009/11/03/claude-levi-strauss-uvre-et-pensee_1262356_3382.html#ens_id=1262333
記事ひとつ、昨晩翻訳しようと思ってブログに貼り付けたんだけど哲学系なんでちょっと時間かかりそうです。

いまだレジュメが書けないでいるダニエル・コーエンの本にも、現在の世界はモノ・カルチャー、つまり資本主義システムカルチャー一色になっちゃった、という指摘があります。

個人的に今、気になってるのは、カルチャー/文化とシヴィリザシオン/文明の違い。それと多様性と普遍性のねじくれ方なんですが、レヴィ・ストロース大先生の死去を機に、もうちょっと考えてみなくちゃ。

フクヤマの唱えた歴史の終焉ってのが、実は文明の終焉のことだったのかも知れませぬ。あとは、ショッピング・センターとファースト・ジャンクフードカルチャーだけ残るとかさ、、、生産は中国で、低開発国は原料供給+ゴミ箱、、、って、無残だあ、それ。

おちゃらけは程ほどにして、まずは“悲しき熱帯”読み終えねば。。。

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