Claude Lévi-Strauss: Wiki fr, Wiki jp
こちらのプレスやTVでも大幅に報道され、今夜のアルテでも過去のインタヴュー映像が放映されていた。
アタクシが読んだのは、大昔サルトルからメルロ・ポンティに読書対象を移行しつつあった時に読んだ日本語訳の『野生の思考(パンセ・ソヴァージュ)』と、去年の夏読み始めてそのままになっている仏語版『悲しき熱帯』のみで、つまりアタクシはレヴィ-ストロースの思考をよく知っているわけでもない。
しかし、彼の思考(と、その思考に先立つ彼の行動・移動・フィールドワーク・人生)がアタクシを含む同時代人に残した影響は、この時点で考えてみると、想像以上に大きかったのだと納得する。
というか、レヴィ-ストロースが、彼を含む20世紀思想の巨人たちの形作った言ってみれば『時代性』という塊の中にあって、ひとつの節を創り出した思想家であるのだと思う。
『神話』あるいは『物語』が、ある社会の組織基盤であるという視点は、やがてフーコーの仕事に引き継がれたのだと思う。
『違い』が個々のアイデンティティをアイデンティティとして成立されるベースであるという考えは、共同体の一体性を単なる『種』や『起源』に由来するという『物語』を書き換えていった。
自然と人間の分かちがたいつながりに早くから言及したのもレヴィ・ストロースである。
人文科学、文学、芸術といった枠を超える知の姿勢を保ち続けた彼は、おそらくは最後の『知識人』だったのだと、ため息をつきながら考えたのだった。
昨年はレヴィ・ストロース生誕100年で、なんだかあの人はこれからもずっと生き続けるような気がしていたのだ。
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AFPが伝える埋葬の模様:Claude Lévi-Strauss, un départ discret sans fleur, ni couronne
ル・モンドのル・ポンス氏も東京から短い記事を送っている:Au Japon, "une étoile tombée du ciel"
ああ、そうです、レヴィ=ストロス亡くなったんですね。ほんとに。なんだか大昔にサルトルやボーヴォワールが亡くなった時よりも、大きなショックを受けてる自分にびっくりしています。猫屋さんが書いてらっしゃるように、"人文科学、文学、芸術といった枠を超える知の姿勢"が、消え去ったということなのでしょうか。
読んだ記憶があるのは『悲しき熱帯』から『はるかなる視線』にすっ飛んでいるのですが、専門の枠を超えて一つの文学として成立している、と思います。フランスの知識人にはこういう人が多かった。そのあたりでトンデモ扱いされたりするのでしょうけど。
ああ、コメント書いていたら、《書かれたもの》への思いがいろいろ浮かんで来てしまいました。
ル・モンドの記事読みでがあり過ぎ、、、
投稿情報: みみみ | 2009-11-06 13:25
ほんとうに、ストロース型の“知”、あるいは“好奇心”が不可能な時代になっちゃったんだと思います。Lévi-Strauss par Lévi-Straussとタイトルされたル・モンドのインタヴュー映像集が面白かった:
http://lemonde.fr/carnet/panorama/2009/11/03/claude-levi-strauss-uvre-et-pensee_1262356_3382.html#ens_id=1262333
記事ひとつ、昨晩翻訳しようと思ってブログに貼り付けたんだけど哲学系なんでちょっと時間かかりそうです。
いまだレジュメが書けないでいるダニエル・コーエンの本にも、現在の世界はモノ・カルチャー、つまり資本主義システムカルチャー一色になっちゃった、という指摘があります。
個人的に今、気になってるのは、カルチャー/文化とシヴィリザシオン/文明の違い。それと多様性と普遍性のねじくれ方なんですが、レヴィ・ストロース大先生の死去を機に、もうちょっと考えてみなくちゃ。
フクヤマの唱えた歴史の終焉ってのが、実は文明の終焉のことだったのかも知れませぬ。あとは、ショッピング・センターとファースト・ジャンクフードカルチャーだけ残るとかさ、、、生産は中国で、低開発国は原料供給+ゴミ箱、、、って、無残だあ、それ。
おちゃらけは程ほどにして、まずは“悲しき熱帯”読み終えねば。。。
投稿情報: 猫屋 | 2009-11-06 17:11