バッハを聴きはじめたのは19歳の時だった。年上の友人が、このレコードは面白いんだよ、と東京のデパートのレコード売り場をたまたま通りかかった時言ったのだった。
あの頃は(1974年だ、)ジャズを聴きまくっていて、コルトレーンの晩年とかエリック・ドルフィーとかオーネット・コールマンの、そしてフュージョンに引き寄せられていくマイルスに、私の若い耳はある意味疲れていたんだと思う。
あの時グレン・グールドに出会わなければ、クラシック音楽を聴かずに一生を過ごしてたかもしれない。古典は、チャイコフスキーとムソルグスキーぐらいでおしまいになっちゃってたかもしれない。
その最初のグールドは《インヴェンションとシンフォニア》である。そしてそれがバッハとの最初の出会いだった。
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この一週間ほど、いや10日かな、まずはカール・リヒターの《マタイ受難曲》に何十年かぶりにはまって、あげく、どうやったらこの世界から出られるんだろうと心配になったぐらいだ。
前にも書いたけど、私はちゃんとした音楽教育を受けていない(てか、閉所恐怖症からくるんだろうが、とにかく座ってなきゃいけない学校というのが嫌いで、何かをちゃんと習ったことがないんだ)。ただ、音楽好きだった母親のおかげかな、耳はいいみたい。
それで音符は読めないし、下手なギターと下手なブルース・ロックを歌う以外は、大体音楽というものがどうやって作られていくのか、たとえばどういう風に一人の作曲家の作品を理解するのか、読み込むのか、自分のテクをどうやってそこまで引き上げるのか、そのプロセスを知りえない。アタクシは出来上がった作品の単なる消費者でしかない(K夫人がいつか大きいアパート買って、グランドピアノを入れたら教えてもらおう、、)。
しかし、「マタイ」を再び、今度はCD版をCPで繰り返し聴いて、同じモチーフの部分を比べてみたりして、いまさらながら驚いたし、同時に大昔に私が理解した事項はやはり“正し”かったんだと納得した。
パラレルに偶然ダヴィッド・フレイ君の練習と録音風景ヴィデオをネットで見て(結局DVD版買っちゃいましたが)、そのわかった事柄に対応する名前を、つまり言葉を見つけることができた。ついでだが、あの時代にどうしてグールドがグールドだったのかも、バッハを聴く合間に電話でしたK夫人との会話で理解できたことも大きかった。
もちろん、ドストエフスキーの小説から、あるいはカフカの小説から、何を読み取るのかは個々読者の自由(あるいは感性)にゆだねられていて、極端にいえば1000人の読み手がいれば1000の読み方が可能なんだ。だからもちろん、私のバッハも私のグールドも私の勝手な読みである。
けれど、時代や距離を越えて、この音楽を聴き、愛している人々がどこかにいるということは単に喜ばしい。美しいものは、あまりにも豊かで、枯渇することがない。アートは世界を救うかも、あるいは少なくとも疲れきったヒトを救い上げる力はある。
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さて、今回わかったのはバッハの音楽自体が祈りであり、希望であり、光であり、喜びであるということ(そして自由)。それと、リヒターの「マタイ」コラールの美しさは、リヒターのバッハ読みインテリジェンスはもちろんだが、フィッシャー-ディスカウの声の表現力、人間性、深さに負うところも大きいってこと。
そして、この「受難曲」の最後部の“静謐さ”と“喜び”は、やってくるだろう再生を予言してるからなんだろう(たぶん)。そして再生を来たらしめるのはコラール、つまり人々の声なんだ。
それと時間の流れ方。残念ながらドイツ語の時制がどういう構造をしているのかは知らないけれど、時間の可変性ってのがある。文法で言えば、各種の違った時制、関係詞や関係代名詞やなんやを駆使して、思考が時間内を行ったりきたり、追いかけたりする、あれである。関係ないけど、これを日本語でやろうとすると大変:この構造がないんだもん。「フーガの技法」なんて、まるっきりこれだ。
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さて、アタクシを出口のないリヒター「マタイ」ワールドから引き出してくれたのが、デヴィッド・フレイ君である。
ネットで見つけたインタヴューや記事、それからDVDで彼が言っているのは、ジーグとかサラバンドとかの名が示すように、バッハの曲は踊り音楽がベースにあって、でもバッハはそのステップを越えていくってこと。それを、彼は実際の録音準備段階でオーケストラに説明してるんだけど、ここはイタリア人になってねとか、ここはレスタティーボと解釈して歌わないように弾く、とか逆に、もっと歌うように、とかここは大笑いしながら弾いてねとかいうのが彼のバッハ伝達法である。極めて楽しい。日本語でうまく対応する言葉が見つからないんだけど、とてもdansant で、ピュアで、expressif で、jouissif である。
そして、極めて悲痛な、でも美しいパッサージュを聴いて涙する、ってあるでしょう。あんまりにも美しいから泣きそうなる。そして、バッハ音楽の持つ悲痛の先には光があるのだった。
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K夫人が言うように、南仏出の若いピアニスト(27歳)がバッハの国ドイツ(確かミュンヘン訂正:ブレーメン)のオーケストラ・メンバーを相手に自分のバッハ・コンセプトを説得していくというプロセスは、なんとも無謀なんだが、それが次第に音のかたまりとなっていくさまは感動的である。この録音には4日(連日約8時間)かかったそうだ。
あと、これもK夫人に賛成しちゃうんだけど、CDとDVDカヴァーに使ってある写真は、ヴァージン・クラシックの魂胆ミエミエでよろしくない。ダヴィッド君はもっと天然な、いや、ナチュラルな子だよ。
ちなみに、彼は南仏に生まれ4歳からタルブのコンセルバトワールで兄弟とともにピアノを習い始めた。父親は哲学の先生で母親はドイツ語の先生。とにかく、音楽を聴くことに時間を費やして、ピアノを職業にしようと思ったのはかなり後になってからだって。レパートリーは、ドイツの作曲家が中心、それにブーレーズ。楽器は時代とともに変化を続けるけど、ヒトの声は変わらない。その意味で、音楽のベースとしての歌・声を考えてる。フィッシャー・ディスカウから学んだことは大きい、とか言ってた。映画や絵画(イタリアルネッサンス)を愛し、いつか映画も撮りたいんだって。
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まだまだ書きたいことはあるのですが、ここいらで止めときます。
もう世界経済危機とか、戦争とか天候異変とか貧困とか、ニコラス一世の大冒険とかにすっかりアキレハテ、猫屋はTVも新聞もラジオも職探しも一時ストップするというきわめて個人的ストライキに突入、バッハ・ワールドに迷い込んでおったわけですが、フレイ君の光思考に助けられ、なんか出口が見えてきた。それに、バッハは底の知れない、創造とインテリジェンスと歓喜と光の世界なのだ。一週間かそこら誰かが徘徊しまくっても、減るようなもんではない。
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参考
アマゾンjp:インヴェンションとシンフォニア G・グールド
アマゾンfr:ゴールドベルグ・ハイブリッド版 モノラルだった1955年録音グールド・ゴールドベルグをデジタルでステレオにしたという、グールドオタク用ヘンなCD。2バージョンあって、後のは聞き手が引き手の場に座っているという設定。あの鼻歌は聞こえないんだけど、そこは聞き手がその気になって歌える。
アマゾンfr:リヒターの「マタイ受難曲」
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ダヴィッド・フレイ
ブログPianobleu からインタヴュー記事:Concertos de Bach par David Fray
新契約先ヴァージン・クラシックサイトのインタヴュー映像:ページの写真右下のリンクから
こちらはおまけのアネクドット:昨年2008年の、Victoire de la Musique 賞をめぐってあったDavid vs David キャンペーンに関するブログ記事(本当かなあ)。結局Greilsammer・ダヴィッド君が賞取ったようである。
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いろんな時代がありまして、それでも(偶然に導かれてか?)残っていくものがある。その全体時間内のちょっとした短い空間が私たちの個々の人生なんだけど、見逃したらそれこそもったいない発見というのはまだまだあるんだよ:関係性。
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