結局のところ、前日メディアがこぞって予想していた jeudi noir/ブラック・テューズデイ、つまりフランス中の交通網が遮断されるという状況にはなりませんでした。
一部の郊外線(RER A とRER B)での大きな障害を除いては、SNCFとRATPが管理する鉄道網も、もちろん本数は平常より少なかったもののブロック・アウト状態ではなかったし、心配された通勤時間帯の交通渋滞もなかった。首都環状線(ペリフェリック)では、かえって普段より車の流れがよかったそうです。
多くの人が休暇をとったことと、前もって公共交通機関が各駅での特別ダイヤ表示や、ネット・電話で交通状況を流していたためでしょう。
しかし、仏全国200箇所で行われたデモ/マニフへの参加者数は、主催者側の数で250万人、警察発表で100万人。これはかなりな数です。
アタクシは自宅で、ネット報道を追っていたんですが、朝からストが始まった、たとえばリルやマルセイユなどの地方都市でも、デモ隊先頭が2時間後目的地についた時点に、後方の人々はスタート点でまだ出発を待っていたそうです。これは午後にデモが始まったパリ(バスティーユからオペラ座前)でも同様だった。
250万というのは社会人のデモとしては20年以来の動員数だそうですが、これもネットでのデモ情報が有効だったと考えられます。天気がよかったのも幸いした。
パリのデモ解散後、オペラ座付近で「サルコ・デミッション/サルコ、辞任」を叫ぶ100から200人の若者が警察隊と衝突、ゴミ箱などが燃やされた以外は破壊行為も略奪行為も負傷者も出なかった。
まだすべての報道と、個人によるブログ情報での確認もしていないのではっきりとは言い切れませんが、公共交通・学校・空港などでのスト実行率はさほど多くはなかったとメディアは伝えています。でも全公務員の四分の一がスト決行(政府発表)というのは悪くない数字でしょう。パリの小・中学校のうち閉鎖したのは1/3とどこかで読みました(なお、我が家に郵便配達はやってこなかった)。まあ、公共機関でも派遣や臨時職が多くなったことも考慮すべきだろう。
反面各地のデモには、これがはじめてのデモだという多くの民間企業社員、退職者、移民系勤労者、失業者たちの参加があったようです。教師・鉄道職員・看護婦といった公務員や準公務員の常連に加えて、大学の先生や、今までは職場で受けるプレッシャーを恐れて参加ができなかった民間企業勤労者や、定年退職者が元同僚たちの労働条件悪化や解雇可能性に反対表明するため、あるいは滞在許可証はあるし仕事もあるが今の給与ではアパートも借りられないしいつ解雇されるか分からないという移民系勤労者もいた。
ルノーや3スイス(カタログ販売)のように、切羽詰った人員削減に反対するスト中企業からのデモ参加もあったようです。
パリ株式市場(NYSE-Euronext の社員60人)やコンピューター系・金融大手からのデモ参加もあったし、今回のデモの特徴は年齢・世代的にも、職種セクターや役職で言っても、きわめて幅の広い人々の参加があった。一言で言えばフランス中が街に繰り出した(ル・モンドだったかリベだったかのルポにはアメリカから参加の労働組合員の声もあったですが)。
参考:19日のクロニクル記事(仏語ですが、リベやオプスのヴィデオで雰囲気は伝わると思う)
リベ:Entre un et 2,5 millions de manifestants en France
ル・モンド:La journée de grève minute par minute
ヌーヴェル・オプス:La mobilisation et les perturbations, heure par heure おなじくオプス、各地のヴィデオ:
La journée du 29 janvier en vidéos
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この一日の市民の動きが、これからどういった成果をもたらすのかはまだ分かりません。政府もMEDEF(仏経団連)もはっきりした声明を出していません。組合側によると、政府は月曜に組合側との話し合いに応じるようです。
もちろん、8大手労組がすべての仏国の勤労国民+移民と退職者・失業者・学生・高校生を代表しているわけではないし、労組間にも意見の違いはあって、肝心なネゴはこれから始まるわけです。交渉が具体的合意に達しなければ、再びストなりデモなりが再開するでしょう。
今年になってからですが、6区のあたりを歩いていてデモに“遭遇”したことがあります。けれどデモする人々の声は聞こえるのに、実際に目にしたのは表通り・裏通りを固めた「市民戦争中ですか?」といいたくなるような重装備の憲兵隊ばかりだった。これまでのパリでは見慣れない風景だった。これがサルコのいう「見えない」デモです。
その意味では29日の運動は成功だったといっていいでしょう。それぞれの職種や立場によって要求内容は異なっていても分断されることなく、ともに行動すれば存在しうる、ということです。
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経済学者ダニエル・コーエンは近年の資本主義を分析して、「理想的な企業とは、労働者のいない企業」だったと言っています。すなわち、企業中枢は情報管理のみ、あとはすべて下請けなり労働単価の低い国に外注される。(株式)市場オーダーに従属したポスト・インダストリー企業の目的は利潤追求だとすれば、そうなるのは必然だった。そして、かつてはCEOヘッドから管理職エンジニアや事務員、生産担当者/工員、さらには掃除担当者や社員食堂の勤務者や夜警までを含め、ひとつの「社会」を形成していた企業という構造が消滅した。たとえば19世紀の初期資本主義と、フォードが体現していたような資本主義と、現行のポスト・インダストリー資本主義はそれぞれまったく異なった構造を持つ、とコーエンは言っている。
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そして、その新資本主義がもたらしたものは、極度の収入格差(企業内の最大収入格差は1対300)であり、それと同時にグローバル化の流れも加わった社会システム全体の解体だった。個人は企業とその周辺に存在していた社会組織から追いやられ、つまりそれまでの関係性を失った。やがて家族も崩壊した。孤立です。その格差と孤立が極限まで行って爆発したのだ、とアタクシは思う。問題は、この崩壊はサブプライムに始まった金融危機とともに終わるものでも、それから始まった経済危機に限定されるものでもない。
各国政府と中央銀行が天文的金額のキャッシュ導入を続けていますが、世界同時経済危機のもたらす出血はとどまる風情がありません。
スティグリッツが、そういった政策を打ち出す経済オーソリティたちに対して、現行システムを作り上げてきた責任者である彼らには解決法が見つけられるはずはない、と批判していましたが、たしかに著名経済学者たちにもキッタハッタを生き抜いてきた政治家たちにも解決できないのが現在の金融・経済・社会危機です。なぜなら、回復できないのはまずシステムに対する信用であり、なぜその信用が回復できないかと言えば問題はシステム自体にあるからでしょう。
ポールソン・プランがいい例ですが、例外的規模の市場キャッシュ投入は、そのプランが危機をストップするという確信があってするわけではない。1929年の株暴騰後のような事態を回避するために、政府などのオーソリティーは何もしないでいるわけには行かなかった。膨大なキャッシュ導入という“ショック”で、雪崩を防ごうと言う作戦でした。けれど、各国のGDP(仏PIB)も株価も降下を続け、いたるところで世界同時『雇用破壊』が進んでいます。
だとすれば、数字でもモデルでもデフレ・インフレ論でもないところで、何かが動くべきなのではないでしょうか。少なくとも、デモやストには 、生産性では決して計れない価値がある(これは参加してみたことのある人にしか分からないかもしれないが、参加するとしないではCDで聴く音楽とライヴ音楽の違いみたいなもんがある)。それは言ってみれば祭りなのです。祭り=祀り=政だとすれば、これは極めてまっとうな動きだと思います。
経済・金融システムに従属したマーケティング政治は、一方的コミュニケーション・テクを行使して、目的、たとえば社会・経済構造改革、教育・社会保障制度の破壊を進めてきた。結果は散々なものです。だったら本来の(政治・社会・歴史的)主体である、また危機の結果を直接にこうむる個人が声を上げる、個人レベルでのコミュニケーション枠を広げ、影響力を持とうとするのは道理というものではないでしょうか。
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29日のデモで一番目立っていたステッカーは、REVE GENERALE :これはグレーヴ・ジェネラル、つまりゼネストに引っ掛けたレーヴ・ジェネラル、無理やり訳すと共同の夢、ですか。。。悪くないね。
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