今週のヌーヴェロプスには、同紙創設以来の長老編集委員ジャン・ダニエルによる長い記事《Les vraies conditions de la paix》 や元仏外務相ユベール・ヴェドリンのインタヴュー《Il faut lever le blocus de Gaza》 などが掲載されていて、近頃の軟弱オプスには珍しい気骨ある特集記事となっています。
時間的制約もあるので、ここでは人権問題の権威、現在90歳になる長老ステファン・エッセル←リンク先仏語、のインタヴューのみ訳してみますが、仏語読みの皆さんには上にリンクしたJ・ダニエルとヴェドリンの記事を読むことをお勧めします。エッセルはべルリンに生まれたがナチスを逃れてフランスに渡り、のちレジスタンス運動に参加、戦後には世界人権宣言の成文化に参加したベテラン外交官です。
Un drame pour la conscience juive
ユダヤ意識(la conscience juive)にとっての悲劇
Le Nouvel Observateur N°2307 2009年1月22日発売
ヌーヴェル・オプセルヴァテール(以下N.O.):ガザ地区で行われたイスラエルによる軍事行動をどう評価しますか?
ステファン・エッセル:私たちすべてが目にしたのは、許容できないと判断されたハマスのロケット弾による挑発に対するイスラエル軍報復が、まったく不釣合いなものであって、このような暴力は同地域では長い間見られなかったし、レバノン戦争よりさらにひどかったということです。結果は惨憺たるものです。幸いなことに停戦が成立したのですが、今信じがたい損害が見いだされました。
現在、私たちヨーロッパ共同体は二つの緊急責任を有しています。まず、罪のない市民たちが恐ろしい虐殺の被害者となった、不幸なガザ地区再興に必要とされる援助のため可能なすべてを行うこと。次に、二コラ・サルコジがカイロに出向いて始めたように、交渉再開に向けて私たちの外交力を行使することです:ハマスとイスラエル軍との間の交渉ではなく、イスラエル国と将来の国家であるパレスチナ国の間の交渉のためです。イスラエルは国連加盟国であって、ゆえに国連決議を尊重しなければならない。アナポリスで明確に言明され、繰り返されているように、エルサレムを二つの国家の首都とし、1967年の境界線に基づいたパレスティナ国家設立にむけて交渉を進めるべきだったのです。
N.O.:戦争犯罪という言葉は妥当でしょうか?
S・エッセル:イスラエル軍が行ったやり方、つまり、リン使用兵器(原注1)のように国際法によって禁止されている武器を使用するやり方は、人道および軍事国債協定を尊重すべき国連加入国の取るべき態度に反します。したがって、これは明らかなに国際規範に反する犯罪です。国際意識( la conscience internationale)にとって受け入れがたい情況です。ユダヤのモラルにとって、ユダヤ教がこの世界内に維持しようとするイメージにとって、ガザで行われたことはまったくもって惨憺たるものであって、ユダヤ的価値と教えられたものの逆であると、ユダヤ人家庭の息子である私は付け加えたいと思います。
N. O. :イスラエル軍は故意的に市民を標的としたとお考えですか?
S.エッセル:明らかにそうです。市民を狙ったわけではないかもしれない。ハマスの軍人あるいは活動家を狙ったのかもしれない。けれどイスラエル軍の状況から鑑みて爆撃が、市民・女性・子供たちの多くを巻き込み、そして、それに比べ限られた数の本当の責任者は攻撃不可能な場所に隠れているのだと知りえなかったとは考えられません。したがって、これは戦争権に反する軍事的逸脱なのです。
N. O. :けれど法的観点からいって、市民を殺戮する意志がない場合、戦争犯罪は成立しません。
S・エッセル :明確な意志はありませんでした。けれど、市民・女性・子供たちを殺害することなしに目的は達っせられないという認識はありました。したがってそれは戦争犯罪だった。敵対者に対して最小の用心をもって行動するのは、兵士が兵士を相手に戦うためであって、市民を殺戮するためではないのです。
N. O. :では、ハマスのロケット弾攻撃を停止させ、自衛権を行使するために、イスラエル人たちは何をするべきだったのでしょうか?
S. Hessel :ハマスと交渉するべきでした。彼らはすでに6か月の停戦を取り付けていました。けれど、これまでつねに彼らが拒否していた事柄、つまり屋根のない監獄であるガザの開放を受け入れる必要があったのです。
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原注1:1980年の合法兵器に関する協定議定書Ⅲは、リン兵器の市民に対する使用あるいは市街地内に位置する軍勢力への使用を禁止している。イスラエル軍による白リン砲弾使用は、ヒューマン・ライツ・ウォッチから告発されている。
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Stéphane Hessel.:1948年の《世界人権宣言》作成に参加した元レジスタンスにして外交官。近年はたびたび左岸地区とガザ地区を訪れている。Jean-Baptiste Naudet
Le Nouvel Observateur
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本文とは何の関係もない訳者後記:水曜日に訳したんですが、構文で引っかかって結局終わったのは土曜日になりました。今回はかなり誤訳パーセンテージも高いのですが4っ日かけたので一応アップ(すみません)。いや、母国語ドイツ語フランス人外交官御大の話し言葉で、こりゃ一筋縄ではいきません。そういえば以前メディさんがド・ヴィルパンは訳しにくいと書いてたのを思い出しましが、昔フランス語が外交公用言語だったというのもそこいらへんからくるのかもしれません。
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