昨年のノーベル文学賞を受賞した旅行の人、クレジオは《フランス語が私の祖国である》と言っていた。
追記すれば、ゴダールは《映画とはひとつの国である》と言う。
現在日本で流通している日本語の意味が分からないことが、ままある。《日本語が母国である》はずのアタクシに、母国語の意味が分からない。
いつしか東京の町並みもすっかり変わってしまって、先日銀座でたまたま時間が空いて、暇を潰すのに本屋を探したんだが、東芝ビルの旭堂と晴海通りのもう一軒の二つともファッション系ブティックに姿を変えていた。
こうなると浦島猫屋の話も冗談ではすまなくなってくる。
たとえばこんなアタクシにできることは、自分だけの日本語王国を構築することぐらいなのかもしれない。
食べ物でも同様な現象があるわけ。
今年はミスター・ドーナツがなんだかヘナヘナとおいしくない。聞いたら油を「健康志向」ものに変えて以降、まずくなったんだそうだ。モスバーガーは社長が変わってコストダウン路線に乗り出し、結果味が落ちたと聞いて、行くのはやめた。
そば汁でも、佃煮でも、出来合いの惣菜にしても変に甘みが勝っていて閉口する。それでも藪伊豆のそば汁は甘くないんで毎年一度は行く。一時は面白かったキムチは飽きて、単純な白菜漬が恋しくなった。
逆に、こちらが学習して好みが変わったケースもある:うどんだ。関西系、つまり讃岐風うどんに慣れたら、関東風真っ黒け汁かけうどんは避けるようになった。
町並みは、一部の神社仏閣と宮内庁管理の公園・庭園、京都市街や奈良公園。銀座は華々しくなりすぎて面白みがなくなった。新橋よりの飲み屋街は行かなかったけど、相変わらずガード下のホッピー・ビールは健在なんだろうか。新宿のコマ劇場もなくなるし、歌舞伎町のおどろ・おどろしい空気も薄くなった。
昭和も遠くなりにけり。
以下は日本にて食らったものリスト、
- 寿司、4回。なんであんなに安くできるのだか不思議。いずれも流行ってる店で目いっぱい食べて2千円程度、刺身ははまち
- うなぎ
- 鍋;しゃぶしゃぶ2回。寄せ鍋一回(最後はおじや)
- 焼肉、2回。一回は奈良で食べ放題。もう一回は原宿でカルビくらぶ:正月の神宮前交差点の猛烈な人手をここから眺める
- 和食;京都・奈良で、豆腐。うどん。下北沢でポストモダン和食。日本酒、京都では玉の光
- たこ焼き・お好み焼き(大阪まで行けず、これは残念)・タイヤキ
- 恵比寿ビール。ライオン・ビアホール
- 新幹線で食べる幕の内
- どら焼き・わらび餅
- 藪伊豆の天ぷらそば
- 京都の朝がゆと各種漬物、最高
- クリスマス・イヴも京都のショートケーキ
- イノダのコーヒー(清水に新店ができてた;ブラックにしてもらってクリスピーと一緒でも合うかも)
- 実家近くのご夫婦でやってるラーメン屋;いつも店の前で20分ほど並ぶ。550円でうまいんだもん、パリのラーメンが食べられなくなる。中学生だろう少年が両親の手伝いをしていて、エプロン姿が粋でかわいかった
- 年越しそば、雑煮;実家で
- あのクリスピー・ドーナツ、出来立ての食べた。無茶甘
- なぜかバーム・クーヘンが流行中、いつものユーハイムのは食べ忘れた
- 吉野家の牛丼
- 華正楼の肉まん
- 熊本の米、宮崎の梅干;チャンスがあったらいつか九州旅行を企画しよう
食べ損なったもの
- 焼き鳥
- とろろ飯
- 秋刀魚の塩焼き、鯵の開き
- 竜安寺の湯豆腐(南禅寺でもよかったんだけど今回は行かなかった)
- 京都の抹茶パフェ(パルコに抹茶パフェばかりの専門店があったけど無視)
- ぶりのアラと大根の煮付け
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なぜか不況の今時に飽食の猫屋寅吉である。食える間に食っておくのだ。
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