という快挙をなしてるのが、(ごく一部で)人気の仏哲学者ミシェル・オンフレ。
昨年の大統領選挙前にサルコジと対談し、その印象を文章にして話題になってました元高校の哲学教師ミシェル・オンフレなんですが、今は著作活動と平行して、ノルマンディのカンでの“市民公開大学”という試みをやってる。
その“市民大学”の昨年の録音を、夏の間ラジオ“フランス・キュルチュール”で週中の夜7時から8時まで放送しておる。
たまたま、食事を作っていてラジオつけたらそれにぶち当たった。講義は毎回ほぼ1時間あるから、続けて聴くのはちょいと辛い。ネットで見たらポッドキャストがあるんで、itune にストックして暇な時聞いているわけ。
hédoniste を自称するオンフレの語る哲学観に、必ずしも同意できるわけでもないんだが、なぜか元気が出る。まあ対象とする哲学者にもよるけど、聞いてておもしろい。話がうまいというのはいいんじゃない? ギリシャにおける哲学者の定義も“話す人”だったんじゃないか。
どうも日本人の友人がいるようで(訳者かなあ、あるいはパートナーが日本人なんかなあ)“satori”とか“kanji”とかの言葉を時として使ってるし、日仏両語使いの子供による、たとえば禅庭の脳内(言語的/像的)理解はどうなってるんだかニューロンレベルで脳神経科学者が研究したらおもしろいんじゃないか、なんて話もしている。
この夏の放送内容は、19世紀におけるエコロジスト先駆である米哲学者ヘンリー・デイヴィッド・ソローから、インド哲学を読んでいたペシミズムの大将シェーペンハウアー、そしてマックス・シュティルナーに続き、やがてニーチェに至る(はずだ、ロシア・グルジア紛争が始まってショーペンハウアーのあたりまでしか聞いてない)。
いや別に、アタクシは哲学が専門でもなんでもないんであって(オンフレが対象とする聴衆も同様であろうが)、オンフレの話は話として、生きるアートとしての哲学を考えるきっかけとしてはいいと思う(それがオンフレの意図でもある。ただ、ダーウィンに関する彼の読みにはちと賛同しかねるが)。聴いてるとなんとなく元気が出てくるところが大変よろしい。
ミシェル・オンフレ公開講座@フランス・キュルテュール:Vers Nietzsche
追記:ラジオでの放送は終わってたみたいで、フ・キュルテュールのポッドキャスト・ページからもファイルが消えておりました。今のとこ、以下でダウンロード可なり。
France Culture - Conférences de Michel Onfray
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