先週、これは夏かと思うような気分のいい日が3日ぐらい続いて、あとは毎日ぐずぐずと雨だったり陽が差したりの変わりやすい陽気。昨日の午後は、所用があってアンバリッドへ。その時点では日が差していたから、そのあとサンジェルマンまでのんびり歩いた。
パリ七区を歩くのは久しぶりで、並んでる店もだいぶ変わっっていた。映画館とサロン・ド・テがあったパゴッドの庭が荒れて、なんだか漢詩にでてくる廃墟みたいだ。
サンジェルマンで、雹の混ざる激しい雨が降り始め、地下鉄に退散。フランスもゴールデン・ウィークだから人が案外でていた。
しかし、パリから本屋がどんどん消えている。サンジェルマンは高級ブティックばっかり。とは言ってもさすがラスパイユのガリマールとサンジェルマンのLa Hune はまだある。
サンミッシェルのアパートに住んでた1985年あたり、回りは本屋とカフェだらけだったのに、今並んでいるのはファースト・フードと安洋服屋。
あそこ、40年前はバリケードだったんだよね。住んでたアパート横のカフェ、カウンターの偽ブロンド・マダムが「あの時は大変で、店の前の街路樹まで倒された。学生はまるっきりフォーヴ(野獣)だった。」と言っていた。運動最後の衝突の日のことだ。当時学生だった連中は親になり、CPEデモの時どうやって敷石をはがすのか自分の子供に教授していた(でも今のパリでは敷石を見つけるのが大変だ)。
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今日はTVアルテでルイ・マルの Milou en Mai を見た。この映画は(なぜか)初めて。1968年の田舎の屋敷で、母親を埋葬するために60歳のミルー(ミシェル・ピコリ)が、兄弟や自分の娘(ミウミウ)や甥や姪を家に迎えるが、、、という話。
ルイ・マルの映画は、作品によってスタイルも色もジャンルや音まで大きく変わる。昔、作家の名を気にしないで見てたけど“地下鉄のザジ” “鬼火/Le Feu follet” “死刑台のエレベータ” “Au revoir les enfants” 全部彼の作品だ。
“死刑台のエレベーター” のマイルス・デイヴィスのトランペットの使い方も渋かったけど、ミルーでも、今は亡きステファン・グラッペリ/Stéphane Grappelli のヴァイオリンが効いている。
ブルジョワ夫人を演じるミウミウの変身振りも楽しいけれど、ピコリは、たぶんこれはルイ・マル自身に重なるんだろうが、“幸せになることに決めたんだ。だって健康にいいからね!”とヴォルテールを引き合いに出すjuissif な男を演じている。見事。
マルチェロ・マストロヤンニがイタリア男の純情と弱さと理想と、そして敗北と苦渋をよく表しているとすれば、ミシェル・ピコリのフランス男は、徳と悪が同居するブルジョワ世界の矛盾をそのまま演技してみせる。アイロニーと子供っぽさのまざったピコリの色気は、観客を知らないうちに彼の“悪”の共犯者に仕立てる(たとえばブニュエルの昼顔でのピコリ)。
ミルーが作られたのは1989年で、ルイ・マル58歳の時だ。ふむ。砂糖製造会社を所有する北フランスの裕福な家庭の息子ルイ・マルが、カトリック・ブルジョワ批判と諧謔と田舎の土への愛という主題に68年を絡め、変わっていくフランスをメランコリックに描いている。
「革命万歳;Vive la révolution !」とはしゃいでも、ドゴールがパリを去って革命が始まると信じる家族は猟銃で武装した隣人たち(バレリー・ルメルシエ)とともに、母親の遺骸を置き去りにしたまま(羊の腿ローストと宝石箱は忘れず)山に逃げる。
この映画撮影直後、エイズで死亡したLes NulsのBruno Carette が、女に目がない共産党アレルギーのプロレタリアであるトラック運ちゃんを好演している。
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この国に20年も暮らして、やっと“ブルジョワの隠された快楽”ってのがなんとなく理解できるようになった気がする。でも分かった頃には世代交代で、ブリング・ブリングのジェット・セットなニューリッチが幅を利かすようになって、なんだか関係ないこちらまでメランコリック。
そういえばロブ-グリエも死んだ。この人もjuissif な作家だ。“去年マリエンバードで”って映画はまるっきり分からないところがステキだった。夫人であるカトリーヌ・ロブ-グリエはSMの専門家で、SM啓蒙に務めている。最近 Jeanne de Berg という名で、Le petit carnet perduという小冊を出版して、(読んでないけど)TVで見た彼女は最高。ドミニック・オーリを意識してるのかしてないのか、それは分からんがシニョン(つめた髪)とシックで地味なスーツ(カト校寄宿舎館長風lol)でSMの話を真面目にするのよ。ははは。
あの頃、あるいはあの世代の(1968年に重なる)空気ってのが、今日の映画を観てて多少分かって来た。ああ、時代は変わる。
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