サルコジ、文明と整合性 エリック・ル-ブッシェ
ル・モンド経済欄から 2008年1月19日あなた、エドガー・モラン(Edgar Morin)があなたにお分かりになりますか?正直な話。複雑思考? オート・エコ・オーガニゼーション? 主要対話と主要回帰?わかります? それにホログラマティック(hologrammatique)。それに6冊にわたる著書 La Méthode (日本題『方法』)がありますが、序文のひとつでもお読みになりました?
次に『文明の政治』がある。エドガー・モランにとって文明の政治は『目的であり方法であるところの人間を政治の中心に差し戻し、充足(bien-être)のかわりに、よく生きる(bien-vivre)を目指す』。ウワオ!コンプレックスなコンプレキシテ(複雑な複雑性)と大衆きわみない『ビヤン・ヴィヴル』の間には、聴講を逃した中難度講座があったに違いない。。。
真面目にいこう。今日、ひとりの哲学者が世界の複雑性とその危険性を、ある複雑な『方法』を用いて指し示そうとすることは、おおきな賞賛に値するし、大変必要なことでもある。そして、エドガール・モランが興味深い思想家であることを疑うものなど誰一人としていない。
しかし、ニコラ・サルコジが彼を招き、その『文明の政治』を乱暴に採用、クリスマス以来フランスはもちろん外国でも、私たちをそれでうんざりさせるに至っては、なんとも、あっけにとられるわけだ。ピピン三世 (ぺパン・ル・ブレッフ;Pépin le Bref)以来のフランス歴史上最もマテリアリストな元首は、そのヨットや取り巻きじいちゃんたちとひっきりなしに“表紙”に登場し、金が好きでそれを隠しもせず、-- なんと理性的にも --経済成長率を目標と定め、こんどは愛と神を引き合いに出す。
このトリックは見え透いている。これまで8か月間の無差別改革マシンガン攻撃が、無秩序とプライオリティーのなさという印象を与えるのを、大統領とその顧問たちは恐れたのである。一年半前にはリベラルな断絶(la rupture)の候補だったニコラ・サルコジは、次に購買力の伝道者となり、それから左派へのオープン度の実践者となり、結局、納得の行く方向性を欠いている。
したがってトリックとはつまり、新年に向けての抱負ディスクールにおいて大統領はこの主題に言及した以上、マシンガン攻撃は必要とされる即刻の変化の“緊急”性に対応していたわけだがしかし、アクションは長期展開となる。。。どの? 『文明の政治』である。行き当たりばったりの改革ばかりではなく、高く長い視野もあるのだ。『新しいルネッサンス』。たったそれだけ。そして野心について、けちけちせず続けてみよう:『フランスが道を示すのだ』。まじですか
文明? 大統領は、学校・街・都市計画・多様性・正義(あるいは法;la justice)・責任の意味を引用し、連帯の尊重を例に挙げた。誰がそれに反対するだろうか? それから、なんだか奇妙な運びとなる:『金融資本主義を道徳化する』? 愉快な攻撃である。資本主義に道徳をもたらすのなら、そりゃいい考えだが、でもなぜ金融にだけなのか? なにやら某顧問の十八番(オハコ=dada)の香りがするわけだ。
それからローマとサウジ・アラビアで、来ましたよ、文明が宗教になった。『神は人間を服従させるのではなく、自由にするのだ。』 いったい私たち全員は、ひざまずくよう要請されてるのだろうか? エドガー・モランとわたしたちは同意してるのか?ライシテの共和国の終わりを?
トリックの頂点は、ニコラ・サルコジには整合性がないので、つまり彼はメタ整合性を私たちに提供する:上部に向けて撃て、と砲兵たちはいう。よくいって陽動作戦(diversion=猫屋脳内辞書では、あっち向いてホイ作戦)であり、最悪の場合は単にひとつの間違いである。ニコラ・サルコジが私たちのために文明をひとつ準備するのではなく、彼に必要なのは強力で整合性のある改革なのだ。それは新しいルネッサンスではなく、地味に、経済・政治・社会・外交等のストラテジー方針を要求する。
今年になってから、すぐれた顧問たちの2名(カトリーヌ・ペガールとエマニュエル・ミニョン/Catherine Pégard et Emmanuelle Mignon)が、ニコラ・サルコジは見かけほど興奮しているわけではなく、挑発と違反への好みの裏には秘めた整合性と価値があるのだ、と私たちに伝えるため発言している。宗教への彼の関心はここからくるのであろう、たとえばの話。なるほど。大統領が自己の深いサイカナリティコ-ポリティクを試みるというなら、それは何よりだ。もうすぐ52歳になるわけで、そろそろ時期だと言えないこともない。
けれど、整合性欠如はより単純で緊急な主題である。大統領は、遺伝子操作とうもろこし栽培モラトリアムを命じたが、これは科学的裏づけのない決定で、市長選挙前の単に思想的で政治ベースのものだ。官房長エマニュエル・ミニョンは(Rue 89サイトで)、サルコジ氏は “若くコンプレックスを捨てた” 保守であり “プログレス思考は保守より興味深いのだと発見” したと語っている。不整合性である:どうやってニコラ・サルコジは、ディナミズムとリスクの軌道上にフランスを載せ、ニコラ・ボヴェは遺伝子操作作物を禁止できるのか?
購買力についても同じ観察ができる。悪魔にかけて(ô ! お許しあれ)、記者会見で自ら認めたように、それを実現させる方法もなく、フランスの問題でもない行き詰まりの購買力上昇という約束に自縄自縛したのか? いわゆる需要と供給の経済政治の間に、ニコラ・サルコジは整合性を確立すべき時である。新しい奇跡的約束に迷い込ませる顧問たちを遠ざけるべきだ。
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訳者後記:月曜夜の時点で、この記事には120の読者コメントがついています。本来はクラシコ・エコノミストの伝にもれずリベラル経済な記事を書くELBですが、ご覧の通り反サルコのきわめてアグレッシヴな記事になっています。これも通訳してみれば、多くの人々が考えたように、かつてのリーガンやサッチャーにならってアングロサクソン型経済変革“小さな政治”を行うかと思われたサルコジの一貫性のなさ、言い換えれば人気取りチャランポラン経済政策に、さすがのELBもイヤケがさしたということでしょう。なお、雑誌エコノミストまでサルコ批判してる模様。
政治力のなさを、キンキラ私生活露出で人気挽回しようとした。結果モラルなしってんで、高年齢層に見放された。それで今頃宗教ウンヌンと言い出しているわけです。しかし保守が年寄りに嫌われたら未来はないですよねえ。なお今晩TVにアンリ・ゲノが出てました(ダメポ)。対するは経済学者ダニエル・コーエンなど。
ポピュラリティ低下に対して、サルコは現場への出動回数を増やし3月の市長選を勝利に導くのだそうです。選挙に参加しちゃう大統領ってのも初めてですが、サルコの露出度が増せば増すほどUMPへの支持率が下がるって理解できてないわけ。
しかし、仏経済持ち直しが難しいのであれば、少なくとも無意味な出費;多数の委員会設置、社会パートナーとの懇談会連発、多発大人数海外出張、派手なTVショー、政権内大臣ではなく顧問職による政治etc.を切り詰めるのが、よりよい税金の使い方レッスン・ワン、だと思うのはアタクシが政治の素人だからでしょうか。レッスン・ツーはエリゼ宮会計帳簿公開です。ド・ゴールはエリゼ宮に親戚招待して一緒に食事しても、費用は自分で支払ったそうでありますね。
なお、米国経済リセッション関連インタヴュー翻訳中だったのですが、この記事見つけて急遽こちらを優先いたしました。リセッションのほうは明日あたりにアップいたします。
猿氏の果てしない野望は、続くよです。
『パリを今の倍くらいの大きさにする』と言ってるらしいですけど。 ヌイーも、入れるんだろうなあ、、、。
投稿情報: k | 2008-01-21 12:12