だいぶ前のことなんだけど、マルチメディア講座ってのを受けてた時、グラフィック・デザイン専門の若い女性の講習があった。四角いモニターの中のこれまた四角のブラウザーのそのまた中にあるウェブ・ページにどうやったら遠近感や透明感や空間性を持たせるのか、ってのが講義の内容だったんだけど、彼女が話しの最初に言ってたことが記憶に残ってる。
「光を発して画像が動くPCやTV。これには、動物や赤ん坊でさえ反応して見入ってしまう。」
ってことだった。そうなんだよね。もうひとつアタクシが付け加えたいのは、民間TVであろうと国営TVであろうと(あるいは有料のケーブルや衛星ものであろうと)、テレビという媒体はモノを売るってのがベースにあるってことだ。モノはマーチャンダイズばかりとは限らない、かつての映画という媒体が、たとえばナショナル・ソシアリストのドイツでどういう役割を果たしたかを考えればいい。(こないだ、町山智浩さんのブログでリーフェンシュタールの映像を久しぶりに再見した←これはスゴイ)
もちろん、新聞や本の活字媒体であれば状況はまし、というものでもない。新聞や本自体の質による。今回の仏大統領選を見てても感じるわけだけど、有料新聞の購買数が減って、その有料新聞だってウェブ版で新情報を絶え間なく流しているから、メディア間の競争も加わって、記事はやがて“スキャンダル”の垂れ流し化し、そしてそのままその情報も次の“スキャンダル”に場を譲り、翌日には忘れられることになる。本だって、文化を流通・保存する媒体から単なる消費物(使ったら捨てる、あるいは売るもの)に変わっている現在、インフォーメーション自体も消費され、捨てられる。
それでも、それらの情報の“その後”を、ネットや紙媒体でをフォローすることはできる。けれど、それだけの時間と熱意を持ち続けていられる“有閑人”は選挙人口の何パーセントに当たるのだろうか。。。
TVの、たとえばフランスでは“夜8時のミサ”とも呼ばれる20時ニュースでの、候補者への2分間のインタヴューで、視聴者が理解できる政治政策があるとは思えない。逆に、たとえば、昨年FR2が行った延々3時間も続くニコラ・サルコジを囲んでの番組が、選挙運動の一部ではないとはどうしても思えない(見てないけど)。
一日一回はメディアに登場する、というのを戦略にするサルコジ・チームの“活躍”ぶりをいやでも目にし、たまたま一昨年帰省時に目撃した小泉“郵政”選挙のはしゃぎぶりを思い出し、そしてブッシュがどうやって2回も米大統領選を“勝ち抜いて”現在の米国がどういう状況にあるのかを考えても、、なんともアタクシのココロモチは重いのであります。
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