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2006-11-04

コメント

りよんくま

いや~、楽しそうな、それでいて世界がわかりそうな映画ですね~。私も友達の子供借りて(いない)行こうかしらん。くま抱いて行けばいいか。(気持ち悪い)

猫屋

フランスではまだアニメは子供のモノだって意識がありますよね。休み明けに行けばいいんじゃないかな。くまはバッグにでもかくして、暗くなってから出せばいいし(入場料も安くて済む)。

ぴこりん

うわー、私これ、絶対好きです。
イスラム美術、特にあのブルーとアラベスクを見ると「酔う」んですよ。時々しらふで酔っぱらうために大英博物館とかに行きます。
映画公開予定をチェックせねばなりませんね。

猫屋

ブルーとアラベスクを見ると「酔う」、ってのはわかる。一種の“宇宙観”とでもいうか、、、サマルカンドな。
あと、リベルティみたいな花畑とか、アニメなんでにおいがないのが残念なバザールのスパイス売りとか森とか、色がいいです。で、全部平坦絵なのね。パースペクティヴや影を意識的に無視してる。オリエンタル。

renqing

猫屋氏どーも。わかってますよ、のrenqingです。
 リンクの紹介ありがとうございます。そうですかぁ、日本と因縁浅からぬ人だったんですねぇ。
 人と人は少しずつ「馴染む」ことで、コミュニケーションの可能性を広げていきます。心理学では、人間のコミュニケーションの糸口を、ラポール(rapport)と呼ぶそうです。言わば、向き合っている2人の間に、川が流れていて橋がない。そこに、どちらかの努力でとりあえず橋を架けること。これがラポール(rapport)です。
 作家ミシェル・オスロは、アニメを通じて、異なる人々の間に、ラポール(rapport)を築いているのでしょう。初めて架ける橋は、美しく幸福なものでなければなりません。それは大人、子ども、に関係ない。その意味でも素晴しい作品だと思います。

猫屋

ども、renquing 氏、
rapport って“関係”のことですよね。まあ資本制度にすべてを還元しちゃうのは間違ってるけれど、現在のシステムがすべての関係性を(人と人ばかりではなく、人と動物、あるいは人と自然の次元でも)、経済原理から解析していく。解析するのはいいんですが、どこかで倒錯して、関係自体を経済原理で置き換えてしまう。そうすると、実際のコミュケーションというのはいろいろな意味でリスクもあればコストもかかるわけだから、無人の世界で人は生きてるような仕組みになってしまう。と、話は飛んでしまいますが、実際の生きた“他者”に対する興味を、こういった寓話が子供に持たせてくれればいいんですよね。拒絶や恐怖ではなくてね。

renqing

ごぶさたです。

ようやく、日本でも公開されました。美しかったです。前半のフランスでの挿話は、やけにリアリスティックで、後半、イスラムでのお話が、随分とファンタジックなのがちょっと、アレっていう感じですが、よいでしょう。

眼福でした。

猫屋

どうもです。
やっぱり、我々にとってはオリエンタルは夢なんだと思います。いい意味でも悪い意味でも。
このあいだ、カンヌで上映されたフランスに住むイラン女性が作った作品もなかなかよいようです。まだ見てないんですが、見たらご報告いたします。自分のブログで紹介した作品を見ていただくとやはりうれしいですねえ。ありがとうございます。

renqing

いえ、ご紹介、感謝です。

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