しかし、今回のアンチCPE運動がここまで続き、おまけにここまで複雑化するとは思いませんでした。このところまたしても、いち案件が持ち上がり(@私生活)、というか人生なんてそればっかりなんですが、いかんせん時間が足りない。で、紙版買うの忘れたし、WEBの方も全部眼を通してはいないル・モンド(だけ)からいくつかクリップ。イスラエル選挙ウクライナ選挙をはじめ大型ニュースは多いんですが、新聞読んでる暇ないです。
Scènes de crise à Matignon
マティニオンの危機劇
予告されたド・ヴィルパンの孤独、とでも名づけたいようなマティニオン内部の動きをクロニジカルに追っています。同時に、舞台裏での立役者達の語録がむちゃ面白い。部分だけでも訳したいですが、ナント3ページあります。一例:サルコジ氏のリークによれば、CPEに関してド・ヴィルパンは『われわれは14-18(第一次世界大戦)にいるのだ。塹壕から脱出し、攻撃せねばならない。金玉のあるところを見せてやろうじゃないか。』と言ったとか。サルコは落ち着いて『ご存知でしょうが、この国ではちょん切るのは金玉ではなく、首なのですよ。』 まあ、以前はシラク攻撃に『相撲はとんでもスポーツ』発言したサルコジですからこれも粉飾の可能性は大きいでしょう。しかし、とてもパリマッチ的会話ではあるな。
Le rôle décisif du Conseil constitutionnel
憲法委員会の決定的役割
30日木曜に憲法委員会の9人の“賢者”がCPEがフランス憲法のチャンスの平等という認識に触れるのかどうか判断するんですね。つまり全国民のうち26歳以下のものだけにこの法が適応されるのは憲法違反じゃないかね、、という点です。危機状態からの脱出としては、この賢者の印籠と大統領の法差し戻しと言う印籠があるわけ。街場の声がここまで無視されてるわけですから、これがいまのドツボ状態を打開の可能性になりえる。また委員会がCPEにOKサイン出した場合でも、9日以内に法の発布あるいは議会での再討議を決定する権威を持っている(らしい、、憲法にも弱い猫屋ですが)。
追記:ド・ヴィルパン首相は水曜の公式スピーチで『憲法委員会の決断;décision』を、『憲法委員会の辞任;démission』と言ってしまったようです。いい間違え。かなり思いつめてるな、という反応が多かった。なんとも。
Les manifestations anti-CPE du 28 mars en France
28日のデモ、各地の動員数の図
こちらは明るい話題です、かな?
Les manifestants adaptent leur garde-robe aux slogans
デモ参加者のファッションがスローガンとマッチしてるというルポ:フランスの高校生・大学生が少ない小遣いでどう着まわし、個性化してるかもわかって楽しい。今回はゴチック・エスニック・ヒッピー・ラスタ・ラップなど全傾向が参加してますね。(アンチ・アンチCPEにはカト系リーマン風が多いですがこの記事には言及なし)。また女の子の重ね着(ジーンの上にワンピースとかスカート重ね)は天候のよく変わるこの季節にあったデモ・ルックですね、とかパレスティナ風スカーフは催涙ガス対策に有効、、、などど記者の高校時代の経験を重ねたかと思わせる、軽い記事です。
さて次は元首相、大老ミシェル・ロカール(社会党)の文章
Mauvais réflexes d'une société qui a peur, par Michel Rocard
不安する社会のマズイ条件反射
この記事は読み込んでみたいので、明日あたり翻訳してみるかも、、かも。
最後になりましたが、chaosmos氏が興味深いリベ記事翻訳を連投しています。
フランスのサイコドラマ的状況
テレビでも引っ張りだこのジャーナリスト、アラン・デュアメルの仏社会分析。フランスは過去のスタチュ・クオ(現状維持)体制を脱するべきだ、と言う論評ですね。
左派:複数の選択を迫られる時
ダニエル・ベンサイドとサミュエル・ジョシュア( JOSHUA )の哲学者と教育学者からみたこれからの左派運動の可能性。上のデュアメルの文章がFTはじめとした経済紙の分析に近いのに比べ、こちらは左の左からの視野ですね。2記事をカップリングで読むとまた、考えが広まります。
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なお、次回のデモは4月4日であります。
えーと、ごぶさたです。コメント戴いたのでこちらにお邪魔しようと思っていたんですが、少し、時機がずれちゃいました。
それにしても、アンチCPE運動、なかなかの盛り上がりようですね。日本でも若年層の実質的失業率は高いのに、その不満のエネルギーは国内の権力者には向かわず、夜郎自大的気分や弱者いじめにcanalizeされがちです。うーん、かなり、不健全。まさに、石川啄木「時代閉塞の現状(強権、純粋自然主義の最後および明日の考察)」、1910(明治43)年、的状況です。
投稿情報: renqing | 2006-03-30 19:24
こちらこそ、ご無沙汰いたしました。
先ほど憲法委員会がCPE合憲判断を出しました。どうも大統領も法適応宣言を明日の夜テレビで出しそうな雰囲気です。もともと大して効果の期待できないと言う声が財政界からも上がってる法なんですが、それがここまで拗れたのは、バックにエリート層を除いた国民全体の新自由資本主義に対する感情と、2002年選挙でル・ペンがらみで大統領就任したにもかかわらず、実際は何もしなかったシラクへの失望、そしてシラク-ド・ヴィルパンコンビとサルコジの間の確執があるわけです。
啄木の本は知らなかった。次回帰国時の読み本リストに入れときます。『時代閉鎖』が回りまわって、植民地政策という出口に流れた、という読みでイイのでしょうか。歴史オンチでありますよ。昨日読んだ『丸山真男の時代』に出てくる1960年の運動『エネルギー』の話にいろいろな意味で考えさせられました。(本自体への評価はまた別の話ですが、、)。
68年や日本の60年の運動には、けれどバックグラウンドに『理想』というか『思想』があったんですよね。では今のフランスの運動ディナミズムがどこに行き着くのか、どこを目指すのか、それが現政権崩壊以外には見えてない、、ってのはある気がします。
投稿情報: 猫屋 | 2006-03-30 22:22
フランスの会社で働いております、だいぶ以前にコメント申し上げました
Simonと申します。
Rengingさんのコメントについて
>日本でも若年層の実質的失業率は高いのに、(中略)夜郎自大的気分や弱者いじめにcanalizeされがちです。うーん、かなり、不健全。
実質的失業率は高く、不満の矛先も問題の提起、という形でなく怨嗟の解消という形で
はあるのですが、
日本は、アルバイトに代表されるなり、’オタク’や'コスプレ'という表現に代表される趣味なり で自己表現と存在の許容の場が存在すると思います。
しかしフランスにはその選択肢がとても少ない。
八方塞であった状況の中では、不満はManifという形で顕在化するのは
自明の理でありましょう。
昨年の10月と、この3月は初期微動で 次の大統領選挙あたりで
大きな振動がくるのではないでしょうか?
>石川啄木「時代閉塞の現状(強権、純粋自然主義の最後および明日の考察)」、1910(明治43)年、的状況です。
まさしくもって言いえて妙であると思いました。
経済局面においても1900年代から1910年代の日本の状況が
1.株式市場の活況(1900年から1905年にかけて)
2.インフラの整備(当時はエネルギー基盤と、交通機関の整備)
3.新規技術の登場(エネルギー利用、通信技術、素材、化学など)
2004年ごろから今頃にかけて、よく似ています。
もちろん こういったアナロジーは使い古されているきらいもありますが。
>68年や日本の60年の運動には、けれどバックグラウンドに『理想』というか『思想』があったんですよね。
あの時期には その運動のステークホルダーは、守るべき権益が多くなかった、いうなればキャンバスが真っ白な状態でありました。
そこに「理想」や「思想」という名前のグランドスケッチを描き、ディテールを書き込めた。
しかし今、Manifを行なっている人は、色々な権益があり キャンパスもすでに色々と描かれている。となると、描けるものは 手時かな空隙に埋められる程度のものでしか、ないでしょう。
かくして国家は荒廃していくのでありましょう。2大政党制の始まりだ、といいつつ
党内の不和が表に出ている日本も
現職の首脳のリーダーシップに問題がありつつ、代替者を立てられない米国も
その政治構造と社会構造に問題あり、という点においては変わりませぬが。
長文失礼
投稿情報: Simon | 2006-03-31 05:27
猫屋さん、Simonさん、どうも。
そうなんですか。若者の閉塞感はフランスのほうが高いと。でも、国家や共同体から降りかかるストレスを、他に手段がないので止むを得ないにしろ、再び国家や共同体に返していく。このことが、新しい法=正義を形成する出発点にはなろうかとは思うのです。
Rudolf von Jhering, Der Kampf ums Recht(権利のための闘争)1872
です。ついでに、石川啄木のテキストは、青空文庫で全文、読めます。私のTBからたどってみてください。
投稿情報: renqing | 2006-03-31 06:30
simonさん、こんにちは。
renqingさん、お付き合いいただいてありがたいです。特に日本からのコメントは、日本メディアも読まなくなって久しい私には貴重。そちらのブログでURLアップしていただいた啄木の文章、時間が出来次第読ませていただきます(いつだろか、、)。
選択肢で言えば、日本サイドでは消費加熱症や、まだまだ親の世代に余裕があるからでしょうか、内側に閉鎖する傾向も多いように思います。ニートと呼ばれる現象は、こちらで言うプレキャリテ(不安定性)と失業の結果を別のカテゴリーに括る操作な気もします。私の印象としてはフランスの閉鎖感と日本の閉鎖感にそんなに差があるわけでもないかと思う。まあ、もともと比べられる性質のものではないですが。質はかなり違うというのは言えるでしょう。フランスでは管理がまだそれほど高度化していませんから、教育システムからの落ちこぼれは引き込み(マンガオタ・ゲームオタ)の数よりも、待場でクラッシックに非行というのが多いと思う。こちらでは、政治がまださほどコンテインメントされてないですから、今回TVや新聞で発言したりする大学・高校生と言う形での選択肢があります。この延長が、オルター・グロバリや、アナーキスト、極右のミリタン(活動家)だ。あと極右周辺にもいるフーリガンとバンリュウ系フーリガンの壊し屋系もある。コスプレ・オタクも俗仏語になりつつありますよ。ドラゴン・ボールを見て育ち、現在はマンガ系ロックを聴きプレステ系であそぶ新人類はなんとも世界共通性を持っていると思う。これはもちろんエンタメ高進国に限られますが、暴力性についていえばそれ以外の国々でも見られる現象と考えています。父権性消滅に対する反動なのか、消費文化のなれのはてか。
投稿情報: 猫屋 | 2006-03-31 13:02
Rengingさん
> そうなんですか。若者の閉塞感はフランスのほうが高いと。
フランスのほうが高い、という表現をもう少し厳密にすると、
フランスのほうが 若者の閉塞感の密度が高い、
つまり日本においても、閉塞感を消す方向ではなく薄める方向でしかないが
許容空間が広いので社会が感じる単位あたり圧力は、許容空間の狭いフランスよりも
低くなります。ですから急激な暴発はしない。
>でも、国家や共同体から降りかかるストレスを、他に手段がないので止むを得ないにしろ、再び国家や共同体に返していく。このことが、新しい法=正義を形成する出発点にはなろうかとは思うのです。
実は上の社会が感じる閉塞感へ叛旗する単位あたり圧力を どのように反映していくのであろう、
と考えていたのですが、Rengingさんの返答は正鵠を得ていました。
ありがとうございます。
おそらく、不満の行き場所が限られているがゆえに、すぐに爆発はしやすいが、
定期的に上に返していくことで、新しい枠組みが決められている。
ここに 権利というものが フランス革命により勝ち取るものである と体得したフランスと
明治の憲法制定により 天皇から与えられた日本の違いにあるのであると
あらためて認識したしだいです。
ためになりました。
投稿情報: Simon | 2006-03-31 13:31