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2006-03-30

コメント

renqing

 えーと、ごぶさたです。コメント戴いたのでこちらにお邪魔しようと思っていたんですが、少し、時機がずれちゃいました。
 それにしても、アンチCPE運動、なかなかの盛り上がりようですね。日本でも若年層の実質的失業率は高いのに、その不満のエネルギーは国内の権力者には向かわず、夜郎自大的気分や弱者いじめにcanalizeされがちです。うーん、かなり、不健全。まさに、石川啄木「時代閉塞の現状(強権、純粋自然主義の最後および明日の考察)」、1910(明治43)年、的状況です。

猫屋

こちらこそ、ご無沙汰いたしました。
先ほど憲法委員会がCPE合憲判断を出しました。どうも大統領も法適応宣言を明日の夜テレビで出しそうな雰囲気です。もともと大して効果の期待できないと言う声が財政界からも上がってる法なんですが、それがここまで拗れたのは、バックにエリート層を除いた国民全体の新自由資本主義に対する感情と、2002年選挙でル・ペンがらみで大統領就任したにもかかわらず、実際は何もしなかったシラクへの失望、そしてシラク-ド・ヴィルパンコンビとサルコジの間の確執があるわけです。

啄木の本は知らなかった。次回帰国時の読み本リストに入れときます。『時代閉鎖』が回りまわって、植民地政策という出口に流れた、という読みでイイのでしょうか。歴史オンチでありますよ。昨日読んだ『丸山真男の時代』に出てくる1960年の運動『エネルギー』の話にいろいろな意味で考えさせられました。(本自体への評価はまた別の話ですが、、)。

68年や日本の60年の運動には、けれどバックグラウンドに『理想』というか『思想』があったんですよね。では今のフランスの運動ディナミズムがどこに行き着くのか、どこを目指すのか、それが現政権崩壊以外には見えてない、、ってのはある気がします。

Simon

フランスの会社で働いております、だいぶ以前にコメント申し上げました
Simonと申します。

Rengingさんのコメントについて
>日本でも若年層の実質的失業率は高いのに、(中略)夜郎自大的気分や弱者いじめにcanalizeされがちです。うーん、かなり、不健全。
実質的失業率は高く、不満の矛先も問題の提起、という形でなく怨嗟の解消という形で
はあるのですが、
日本は、アルバイトに代表されるなり、’オタク’や'コスプレ'という表現に代表される趣味なり で自己表現と存在の許容の場が存在すると思います。
しかしフランスにはその選択肢がとても少ない。


八方塞であった状況の中では、不満はManifという形で顕在化するのは
自明の理でありましょう。

昨年の10月と、この3月は初期微動で 次の大統領選挙あたりで
大きな振動がくるのではないでしょうか?


>石川啄木「時代閉塞の現状(強権、純粋自然主義の最後および明日の考察)」、1910(明治43)年、的状況です。
まさしくもって言いえて妙であると思いました。
経済局面においても1900年代から1910年代の日本の状況が
1.株式市場の活況(1900年から1905年にかけて)
2.インフラの整備(当時はエネルギー基盤と、交通機関の整備)
3.新規技術の登場(エネルギー利用、通信技術、素材、化学など)
2004年ごろから今頃にかけて、よく似ています。
もちろん こういったアナロジーは使い古されているきらいもありますが。

>68年や日本の60年の運動には、けれどバックグラウンドに『理想』というか『思想』があったんですよね。
あの時期には その運動のステークホルダーは、守るべき権益が多くなかった、いうなればキャンバスが真っ白な状態でありました。
そこに「理想」や「思想」という名前のグランドスケッチを描き、ディテールを書き込めた。
しかし今、Manifを行なっている人は、色々な権益があり キャンパスもすでに色々と描かれている。となると、描けるものは 手時かな空隙に埋められる程度のものでしか、ないでしょう。
かくして国家は荒廃していくのでありましょう。2大政党制の始まりだ、といいつつ
党内の不和が表に出ている日本も
現職の首脳のリーダーシップに問題がありつつ、代替者を立てられない米国も
その政治構造と社会構造に問題あり、という点においては変わりませぬが。

長文失礼

renqing

猫屋さん、Simonさん、どうも。
 そうなんですか。若者の閉塞感はフランスのほうが高いと。でも、国家や共同体から降りかかるストレスを、他に手段がないので止むを得ないにしろ、再び国家や共同体に返していく。このことが、新しい法=正義を形成する出発点にはなろうかとは思うのです。

Rudolf von Jhering, Der Kampf ums Recht(権利のための闘争)1872

です。ついでに、石川啄木のテキストは、青空文庫で全文、読めます。私のTBからたどってみてください。

猫屋

simonさん、こんにちは。
renqingさん、お付き合いいただいてありがたいです。特に日本からのコメントは、日本メディアも読まなくなって久しい私には貴重。そちらのブログでURLアップしていただいた啄木の文章、時間が出来次第読ませていただきます(いつだろか、、)。

選択肢で言えば、日本サイドでは消費加熱症や、まだまだ親の世代に余裕があるからでしょうか、内側に閉鎖する傾向も多いように思います。ニートと呼ばれる現象は、こちらで言うプレキャリテ(不安定性)と失業の結果を別のカテゴリーに括る操作な気もします。私の印象としてはフランスの閉鎖感と日本の閉鎖感にそんなに差があるわけでもないかと思う。まあ、もともと比べられる性質のものではないですが。質はかなり違うというのは言えるでしょう。フランスでは管理がまだそれほど高度化していませんから、教育システムからの落ちこぼれは引き込み(マンガオタ・ゲームオタ)の数よりも、待場でクラッシックに非行というのが多いと思う。こちらでは、政治がまださほどコンテインメントされてないですから、今回TVや新聞で発言したりする大学・高校生と言う形での選択肢があります。この延長が、オルター・グロバリや、アナーキスト、極右のミリタン(活動家)だ。あと極右周辺にもいるフーリガンとバンリュウ系フーリガンの壊し屋系もある。コスプレ・オタクも俗仏語になりつつありますよ。ドラゴン・ボールを見て育ち、現在はマンガ系ロックを聴きプレステ系であそぶ新人類はなんとも世界共通性を持っていると思う。これはもちろんエンタメ高進国に限られますが、暴力性についていえばそれ以外の国々でも見られる現象と考えています。父権性消滅に対する反動なのか、消費文化のなれのはてか。

Simon

Rengingさん
> そうなんですか。若者の閉塞感はフランスのほうが高いと。
フランスのほうが高い、という表現をもう少し厳密にすると、
フランスのほうが 若者の閉塞感の密度が高い、
つまり日本においても、閉塞感を消す方向ではなく薄める方向でしかないが
許容空間が広いので社会が感じる単位あたり圧力は、許容空間の狭いフランスよりも
低くなります。ですから急激な暴発はしない。

>でも、国家や共同体から降りかかるストレスを、他に手段がないので止むを得ないにしろ、再び国家や共同体に返していく。このことが、新しい法=正義を形成する出発点にはなろうかとは思うのです。
実は上の社会が感じる閉塞感へ叛旗する単位あたり圧力を どのように反映していくのであろう、
と考えていたのですが、Rengingさんの返答は正鵠を得ていました。
ありがとうございます。
おそらく、不満の行き場所が限られているがゆえに、すぐに爆発はしやすいが、
定期的に上に返していくことで、新しい枠組みが決められている。

ここに 権利というものが フランス革命により勝ち取るものである と体得したフランスと
明治の憲法制定により 天皇から与えられた日本の違いにあるのであると
あらためて認識したしだいです。

ためになりました。

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