残念ながら、リンク先はほぼフランス語であります。英語読みの方は翻訳エンジンたとえば、http://babelfish.altavista.com/で英語化するといいかと。antiECOさんのコメント欄でお約束したラップ関係プレスURLなどアップしてみます。
フランス5がやってる、20日の Arret sur Images、タイトルは“Bavure et incendie、カメラの権力”この番組の ヴィデオが見られます:先週放送分はfenestrae氏がリンクしてました。内容は70分程あるし、トピックも多種いろいろ扱ってますが、見て損はない。特に“騒乱の夜とカメラの存在とエモーションについて”ジャーナリスト達の興味深い考察が聞けます。(番組が終わってからのオフ会話までなぜか収録される)
解説するとこの番組チーフ、シュナイダーは、元ル・モンドTV専門記者だったが、ル・モンド批判をして離脱、今はリベでフォーラム担当もしているという骨太男。なお、TV批判のこの番組を批判する人も多く、まあとてもフランス的というか、、なお、この番組内でも話題になってましたが、同時間帯に流される《Le vrai journal》というのがありまして、こっちはある意味もっと“過激”、すぐ後に続く《Guignol des infos》とともに、シテばかりではないフランスの子供とティーンの“お気に入りTV”ベスト5に入るんじゃないかと思う。
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だいぶ以前ですが、サイードの文章を翻訳紹介していてだいぶお世話になった、中野真紀子さんが英字記事を日本語に翻訳しています。《WHY IS FRANCE BURNING?》 というタイトル。Direland という(後追記:ブログの)アイルランド紙氏の記事は11月86日の物なので、事態がスゴイスピードで変わりつつある現状を考慮する必要はあるにしても、(追記:ガーディアン以外のアングロ・サクソン系ジャーナリズム枠では例外的に)正確な記事だと思います。
ラップに関する記事クリップ
ル・モンドの《Rap de France, chronique de banlieue》 この記事有料化になってるはずだけど何故かまだ読める。フランス・ラップ、バンリューのクロニック、ですね。NTMのことなど書かれています。
"Combien de temps tout ceci va encore durer/Ça fait déjà des années que tout aurait dû péter/Dommage que l'unité n'ait été de notre côté/Mais vous savez que ça va finir mal, tout ça/La guerre des mondes vous l'avez voulue, la voilà/Mais qu'est-ce, mais qu'est-ce qu'on attend pour foutre le feu/Mais qu'est-ce qu'on attend pour ne plus suivre les règles du jeu."
---10年前録音のNTMのテキストから
同じくル・モンド、10日付け 《 Les cris du ghetto》 ゲットーの叫び
これは実際にバンリュウの視線の高さで書かれた記事。クリシ・ス・ボアのアソシエーション ADM についても書かれています。2ぺージの長い記事ですが、さすがル・モンド、ジョイ・スターの発言も入れて社会/文化的背景も描いている。
リベ(ラシオン)のラップ関連記事 《 les rappeurs l'aveient bien dit 》 、タイトルはラッパーたちは前から言っていたじゃないか、といった意味。過去15年にわたって、フランス・ラップはバンリュウの問題を歌い続けていた、ということ。歌詞テキスト、ラッパーの騒動に関するコメントが読めます。
しかしオーベルビリエのデュオTANDEM のSocrateのテキスト、"J'baiserai la France jusqu'à ce qu'elle m'aime" はすごいなあ。聴いた事はまだないんですが、これ、フランス詩の流れを引いてる。このフレーズ絡みで仏ブログ界も活性化しているようですが、“モラル”問題は別としても、これだけ強いフランス語を見るのは久しぶりです。“ゲージツ” 。ランボー、か。
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さて、昨日の夜おそくのトーク・ショー《Tout le monde parle》 、には司会者のアルディソンをはじめ、バンリュウ出身の企業家Aziz Senni 、ギニョル・デザンフォ製作者のGassio たちが出演。(映画監督のフランソワ・オゾンがなかなかいい男なんでびっくり) 途中で《炎のバンリュウ/Banlieues en flammes》 という本を書いた、Charles Pellegrini という元公安系おじさんが登場、フランスの“移民政策”の失敗と将来のフランスの“イスラム化”について語り始めたもんだから大変。ボボ世代のガシオももちろんモロッコ系アジズ・セニもバフィも熱くそのセオリーを批判、、、。続きはFR2のフォーラムでも関連レスが1000以上になってます。ま、これはよくある話だ。
簡単に図式化すると、バンリュウ問題のベースに“移民政策とイスラム化”を見出したい人々(ここにはアングロサクソンメディアの一部も入るでしょうし)と、“社会政策の立ち遅れによって忘れられた若年層の怒り”を見るふたつの立場の対立だといえる。もっと簡単に言い切れば、そしてトッドの言葉を借りれば、“社会の上層に位置する人”(既成利権を守りたいブルジョワおよびプチ・ブル層)と、“原則・理想として”ではあれ自由・平等という価値を信頼したい層との対立ともいえるか。
ただ、問題なのはこのペルグリニの本が、以上に挙げたような社会的コンテキストを離れた形で、すでに日本で紹介されてる、と言う事なわけだ。なおこのじいさん、別にTVで引っ張りだこでもないでしょが。(TVほとんど見ないから明言はできないわけだが)。
問題の本を読んではいないし、これからも多分読まないと思うからこれ以上言うこともないわけだが、この本の著者がサルコジ支持者であって、“治安問題”をディベイトの焦点に持ってくるあの一連のマーケティングの一部的役割を持っていることは記していいと思う。
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トッドは“帝国以降”で、非英語圏では母国語という防波堤のおかげで、アングロ・サクソン文化/グロバリ現象をじかに被ることを免れる、といった意味のことを書いていた。いかんせん日本とフランスの間には、この言語の壁が2重に存在するわけなのだ。
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寒いし、今日は一歩も表に出ず対アドミン戦争の書類(パぺラスとも呼ばれる)を整理したり、思わず買ってしまった(!)ディランのDVD二枚目、部分だけ見たりときわめてヒッキーな日曜日でありました。しかし60年代のディランは凄い、につきる。
しかし、ビールもワインもストックがなくなって、緑茶でディラン。トホ。
ディランのコンサート・ツアーの名は No direction Home. スコルセッシが製作したこのDVDも同じ名。ノー・ダイレクション・ホーム。芭蕉みたいだな。
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いつもの追記:サルコジの展開する強硬処置への支持率68パーセントとかいう数字をどこかで見た。あああああ。今回の“騒乱”についての実態や分析をたどってみると、放置されてきたバンリュウ、また隠蔽され続けた“下層民”というフランスの実態といった面はさておき、10月末の出来事の発火点は明らかにサルコジ内務相の選んだ“言葉”にある。ただ、こういった“逆噴射”現象は欧州憲法投票時にも見たし、この夏の日本の選挙前にも目撃した。マッチポンプ逆噴射が機能するためには、
・マーケティング政治と、対する左派の衰弱
・良質のペーパー・メディアの不在、あるいは投票層からのこういったメディア離れ---フランスで言えば、リベの経済不調とル・モンドの“エリート主義”への反発、無料新聞(オピニオン紙にあらず)の市場開発
・そしてどんどん加速する生活形態 --- の結果として、多くの人々が毎日の社会的出来事について熟考あるいは意味探しする時間がなく、勢い“地雷だらけの”TVを判断リソースとする
・最長でも2分というTVニュースでは言葉よりは映像、文章よりは単語、分析よりはエモーションが重要視される、、、などの要因が挙げられると思う。
こう考えていくと、もうかなり悲観的になってしまうのだよ。猫屋はブッシュ、国民投票のNON、そして小泉の勝利に立ち会ったわけだが、この調子でいけばマッチ・ポンプ・サルコの勝利にも立ち会う羽目に陥るという、きわめて滅入る予想ができちゃうわけですね。(猫屋がTV見てると、シセは絶対ゴールしないのだ。なんだ、そうですか、猫屋は単なる疫病神ですか、、、自分ながらヤナ冗談であるわけだが)
初めまして。media@francophonieさんのブログがきっかけで愛読するようになって半年。ほぼROM専門なのですが、このたびの「騒乱」以来、猫屋さんの「孤軍奮闘」に遠く日本からエールを送りたいと思っておりました。今日は勇気を出してごあいさついたします。
私はフランスに関する知識はごくわずかなのですが、フランス語やフランス映画好き、ご多分に漏れずファッションへの興味(高級ブランド好きではないですけど)などもありフランスに関する報道や情報は日頃から気にしております。
今回の「騒乱」報道で最初に連想したのはやはりカソヴィッツの映画でした。「LA HAINE(憎しみ)」もそうですが、「Assassin(s)」で受けた救いようのない印象がなぜかしきりと思い浮かびました。同時に長編デビュー作?「Metisse(邦題『カフェオレ』)」でカソヴィッツは融和への楽観主義ともとれる視点をみせていたな、とも。
たかだか映画の印象と断片的な知識で事件を語るつもりなど毛頭ありませんが、私のような立場の人間でも今回の騒動を起こした人たち=若者たちの気分を想像してみる、そして簡単な解決策があるはずもないけど、彼らの将来への光が射す窓でもドアでもあけられるような政策、社会のあり方を期待することは許されないでしょうか?
このようなスタンスで在仏邦人の方々のブログやそれに寄せられたコメントなどを読むと、冒頭のように猫屋さんにエールを送りたくなるのですよ。私も真性サヨなのかな?
おそらく今回日本で読めるものでは最年少の在仏日本人による感想
http://www.publiday.com/publiday/068/055.html
(リンクは数週間程度有効ってリンクしてよかったのか?)などもなんだかなあ、とため息が出ますが。
ああ、言葉足らずな感じでまとまらないですが、ご挨拶の名を借りたファン宣言ということでご勘弁ください。
あ、ファンなのにあれですが、中野真紀子さんの訳されてるDIRELANDは「アイルランド氏の記事」とした方がよいでしょうね。多分アメリカのダグ・アイルランドさんなので。
初めてなのに長々と書き連ね、お目汚し失礼いたしました。
投稿情報: imasaru | 2005-11-23 06:48
imasaru さん、
こんな、きわめて世界の辺境で好きなこと書いて丸投げブログを丁重に読んでくださって、まったくお恥ずかしくも、感謝。
リンク先のブログ、また訂正事項も今夜にでも時間が出来たらリアップしたいと思います。昨日の夜からまたしてもADSLの調子がおかしいのと、一時休戦中だった対アドミン戦がまた活性化しつつあり、時間がないのであります。
投稿情報: 猫屋 | 2005-11-23 16:20
猫屋さん、こんにちは。この間はお騒がせ致しました。猫屋さん, fenestraeさん、天神茄子さんを始め、恐しく密度の高い記事を立て続けに配信された在仏ブロガーの方々のこの度のご活躍にただただ驚嘆し、感動致しました。本当にありがとうございます。
当方に読み解くための必要な基本知識がありませんもので、貴ブログにおいてとてもナイーブな質問をさせて頂くことをお赦しください。
ベルナール・ド・モンフェラン 駐日フランス大使の日記http://d.hatena.ne.jp/Montferrand/20051107
のコメント覧にてさる方が、「むしろ、旧態依然とした”Etats-Natoin”のカタチを護持しようとしてきた事に一因があるような気がします。もはや、共和国の現況を見るに”jacobin”というか単一コミュニティの国家としては限界なのは明白です。複合コミュニティの国家として再構築を急ぐべきと考えます。そのとき最も重要なのは、違うコミュニティ間の相互理解と尊重であることは議論を待たないと思われます。」と発言されています。その次の次のエントリhttp://d.hatena.ne.jp/Montferrand/20051116
で大使がおそらくそれに応える形かと思いますが、
「このような問題が発生しても、フランスの同化政策という原則に変わりはありません。フランスでは国籍を取得した誰もが国民として、全て共通の権利を有すると考えます。ですが、宗教、民族、地域に関する特権は存在しません。つまり、マイノリティに特権を与える「多文化併存」を受け入れてはいないのです。一連の暴動は若者達が民族や宗教の対立を楯にしているのではなく、一丸となってより良い同化を求めているのですから、フランスの政策を激励するようなものです。」
のように発言されています。実際、猫屋さんたちの書かれたものによると、バンリュウの若者たちは共和国の理念を支持し、現実が理念から乖離していることを非難している、とのことでした。「多文化併存」(ロンドンみたいなあり方のことでしょうか?)みたいなことがよく聞かれる昨今だけに、この捻れは一見逆説的に思え、バンリュウの人たちの支持がどうして共和国の理想の方に強く得られるのか興味が湧きました。物わかりが悪くてすみません。でも何か、そこに希望があるような気が致しますもので…。もしよろしければ私のような阿呆にもわかるように解きほぐして下さると有難いのですが…。勝手なコメントをまたまた失礼しました。
投稿情報: kyoshida | 2005-11-24 00:27
kyoshidaさん、こんにちは。
ちょっと時間が出来てブログ斜め読みと二行レスをいくつか書き込みした。
imamaruさんへのお答えとしての訂正と、kyoshidaさんへの質問のお答え、時間が出来次第やりたい。この木曜日も一日外回りなので、遅れそう。
特に在仏大使のブログはほとんど読んだことがないので、空気読めん。ちょっとまってね。
投稿情報: 猫屋 | 2005-11-24 05:35
お忙しい中訂正をお願いしたようなかたちになって恐縮です。ありがとうございます。
先に「孤軍奮闘」と書いてしまいましたが(一時期そんな雰囲気のようでしたが)、fenestraeさん、天神茄子さんをはじめshibaさんの所も拝読しておりますよ。皆さん、知性と謙虚さを兼ね備えていらっしゃる。kyoshidaさんも書かれているように私も驚嘆感動感謝です。
関係ないけど在仏ブロガーさんは「猫」に縁のある方が多いですね。それと海外在住の方にhatenaユーザーが多く見受けられるのは登録とかが簡単だからなのでしょうか...(問いかけているわけではなく、ひとりごとですのでレスポンス不要ですー)
投稿情報: imasaru | 2005-11-24 11:39
コメント欄でいただいた“宿題”については今週末に時間が出来たら、ということでお許しあれ。特に日本でのフランスに関する理解というのは、理解するのが難しいんです。”jacobin”ってなに?状態です。もうちょっとまってね、ってこの週末にも爆弾宣言あるかもしれないし、、、ありそだな。たぶん“鉄は熱いうちにたたけ”と考えてるはずだから、いまごろ。ように考えさせる時間を与えてはいけないんですよ、人民に。
投稿情報: 猫屋 | 2005-11-25 03:58
Kyoshida さん、
在日大使の関連コメント読んで見ました。実はこの方が何を言ってるのか私には良く分からない。
>まさにParisの”jacobin”連中が思い描くようなフランスに酷似しています。
分かるのは、どうしても日本の方々が今回のバンリュウ問題と日本の仮定としての移民問題を比較したがっているということ。 →たとえばロスの暴動と、あるいはイギリスでのコミュノタリズムを基盤としたこれまでの政策と、バンリュウ問題を比較するのは可能でしょうが、フランスと日本を比較するのにははっきり言って無理があるでしょう。国家概念が違いすぎます。またどうも“同化”とタブー語の“同和”のニュアンスですでに反応しちゃってる部分もあるような気もします。共和国に同化する、とは憲法の掲げる価値を自分の価値とする、という意味だし。フランス国民とはフランス国籍を持っているもの、でしかない。またブログに何度も書きましたが、こちらでは2重・3重国籍が可能です。サルコジが大統領になったら、変わる可能性大ですが。
個人的には、これからの日本はたしかに外国人労働者を必要とするだろうし、これだけ海外市場で諸企業が純益をあげてる以上、鎖国を続けますというのは無理かと思われます。それには政治レベルでの対応が必要だし、国籍法も直すべきだという印象を持ちます。
もちろん、バックグラウンドにある、“外国人”フォビーや、若年層の犯罪について、失業問題とグローバリズムであればいくらでも日本とフランスの比較は出来ると思います。
また、これはエドガー・モランが言い続けていることでもありますが、閉鎖されたシステムはいつか内部から崩壊する、という事、これはどの場所にもどの時代にも共通すると思います。(思想のことで、経済政策のことじゃなく。レッセ・フェールはまた別のドグマ)
投稿情報: 猫屋 | 2005-11-25 14:37
私の的を得ない不躾な愚問に真剣に付き合って下さってありがとうございました。しかも非常によくないタイミングでしてしまい、すみませんでした。のんびりした話で良かったので、そう申し上げようと思っていたところを早速のお返事を頂き、恐縮しています。
「…フランスの“移民政策”の失敗と将来のフランスの“イスラム化”について語り始めたもんだから大変。…」の下りを読めば、バンリュウの人達はそう言うセオリーこそ否定しなければならない切羽詰まった状況にあると言うことはよくわかります。ただ、切羽詰まった状況になければ、本当の本当は何を望んでいるのだろうか、と言う疑問もあります。
日本でのフランスに関する理解と言うのは確かに「同化」と言う言葉をネガティブに捉えていますね。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/france/
の下のリンクからいくつかの社説を読めば、スカーフ問題が引き合いに出されて、イスラム教徒が抑圧されていると捉えているように思います。
僕自身は政教分離に関心があって、今の日本の現状を憂えつつ、厳格なフランスのシステムにはとても好意的です。イスラム教徒も最終的にはそうしたシステムを肯定的に捉えているのなら、それは希望だと思います。「共和国に同化する、とは憲法の掲げる価値を自分の価値とする」ことに過ぎないのに、このことに対して自由が剥奪されるような批判的ニュアンスで書かれた日本の方の文章を時おり目にするように思います。日本でも国旗国歌など捨て置いて、(今の、あくまでも今の)憲法の復唱でもしていたら、今のようなことに成らなかったと思うのです。憲法と言うのはある意味ミニマルな国教で自分の宗教プラス皆が信奉するべきものではなかったかと。批判される書き手は「他文化共生」や「多様性」みたいなキーワードを論点に用いられるのかも知れませんが、その辺が何も全く損われるわけじゃないんじゃないかな、と私自身は思っているので、その辺のことを尋ねてみたかったのです。教育勅語の復唱みたいなのとは違うんじゃないかと。憲法とは自由民主主義に時折現れるマジョリティの暴力からマイノリティの基本権利を擁護するための仕掛なのだと思います。そうした理念を「マッチポンプ」的に破壊しようとする勢力がここかしこにある、と言うことでしょうね。「ファシズム」と言う言葉の響きもだいぶ鈍ってしまいましたが、「マーケティング政治」とか「インテリへの反発」とか「言葉よりは映像、文章よりは単語、分析よりはエモーション」とかって、まさに我々はそういう時代にいるのだな、と思いました。とにかくズレはあると思います。フランスと日本の間にも、私自身にも。
「あるいはイギリスでのコミュノタリズムを基盤としたこれまでの政策と、バンリュウ問題を比較するのは可能でしょうが…」実はこの辺にも興味がありました。住んでいながらイギリスの政策のこともちゃんとはわかっていないのですが、漫然とした雰囲気はわかります。バンリュウ問題と言うよりはイギリスとフランスの政策との長所短所とか伺ってみたかったです。今のロンドンはかなりいい感じではないかと自分は思います。でも景気がいいですからね。悪くなればどうなるのでしょうね。
またいつかお暇な時に傍論ででも何かご意見拝見できればと、楽しみにしております。要領を得ないコメント大変失礼しました。
投稿情報: kyoshida | 2005-11-25 19:05
なんだか質問への直接の答えになってなかった気もします。また、結局のところ共和国という基本理念がちゃんと機能してない結果としての今回の騒乱があるわけですから、もっと突っ込まなきゃ本来はいけないんだろう(って猫屋には無理です。
あとイギリスの“移民政策”の失敗の結果がこの間のテロ、という見方があります。
関係ない話、、、猫屋ってのは本来nekoyanagiという名前がキーボードたたきにくいという理由から猫屋寅八になったという、単にそういうことであります。本当は単なる“ね”でも良かったんだけどこれはちょっと短すぎ。
投稿情報: 猫屋 | 2005-11-25 21:42