合衆国の田舎町に育ったマルコヴィッチの祖父と祖母はクロワチアから来た移民だった。家族が集まっても、爺さん・婆さんは隅のほうでしかめっ面をしてみんなに混じろうとはしなかった。英語を進んで学ぼうとはしなかった。幼いマルコヴィッチ少年はアメリカの子である。爺さん達をかなり煙たい、胡散臭い存在だと思った。少年は、故郷の小さな町を出て舞台俳優になり、やがて世界中を駆けめぐる俳優になった。でも、フランスの片田舎で子供を育て、今は祖父母に対する当時の自分の扱いを恥じている。アメリカの田舎町の家の、キッチンの片隅でクロアチア語でボソボソと2人で話し込んでいる老人たちの姿を思い出している。彼の眼には涙が見て取れる。。。
番組はこんな風だったと思う。インタヴューしたのは、あのピボーです。自分で設計や工事まで手を出したという、明るい田舎屋できわめてゆっくり言葉をさがしながらしゃべる(アクセントはあるものの、立派なフランス語でしたが)マルコヴィッチのインテリジェントとしか言いようのない風情には、なにかレスペクトするっきゃない、重みがありました。
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人は、何かを探して旅に出るわけですが、探していたものが見つかるのは、自分が何をさがしていたのか分かる日なのだろうと思う。そして見つかったものが、なんであろうと誰であろうと、それはそんなには重要ではないのかもしれない。
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映画《Last Days》で、ブレイクが屋敷の庭をボソボソ独り言を言いながら、庭仕事するシークエンスがありました。その独り言の断片の中でふと“home”とつぶやくんですね。この言葉が、何故か耳に残っています。
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ディアスポラを生きる人間にとって、家族とはあるいはhomeとは何なんだろう。現実としての“家族”がどんどん崩壊して、分散して、帰っていく先もなくなって、さて、では別の形での家族なり、別の形でのhome を作るよりしょうがないか。そんな気もします。
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