ニール・ヤングを聞き始めたのはいつごろだったのだろうか。映画《イチゴ白書》にたしかダウン・バイ・ザ・リバーが使われていて、遠藤賢治が《雪見酒》という佳作のなかで、ニール・ヤングを聞きながら、みんなほんとはいい人ねって歌ってたわけである。ちょっとググって見たらイチゴ白書は1970年の映画、音楽はなんとジョニ・ミッチェルなんだよね。遠藤賢治のアルバムは71年である。ああ、黄金の1970年代。
しかし、なぜニール・ヤングと“父性”なのかと言うと、私にとって(あくまで私だけにとって)ニール・ヤングは初めて“父性”の不在を表に出したアーティストであるからである。そしてもう片方に、最後の“(日本の)父性”を背負ったアーティストとしての吉本隆明がいる。
吉本から始めよう。彼の作品世界“幻想論”と彼の人生“ばななのおとうさん”はどこまでも整合している。いや、私が読んだ吉本は1980年頃までであり、“大衆”論に行き着いてからの文章はほとんど読んでいない。したがって私には、以降の吉本のエクリを考察の対象にはできない。また、初期の《言語にとって美とは何か/》において、一種の上部構造/下部構造(と私は読んだわけだが)的芸術としての文学と、エンタテイメントとしての大衆文学を対立させたのを読んでから、彼の書き物から離れてしまった。
しかし《共同幻想論/1968年》における吉本思想の跳び具合は、ダレダレ日本書き物界においてはあくまで異例な出来事であった事実に疑いはない。その作業は著者自身が認めているように、吉本の同世代人ミシェル・フーコーが描く世界観と、重なる。もちろんこの二人の思想家には異なる点も多いし、その異なる点が今回問題にする“父性”にかかわるわけだが、それはこの場では書かない。
吉本理論の“共同幻想”は“対幻想”をその対極におく。しかし、何故それは“個人幻想”ではありえなかったのか。それは時代の問題だろう。あの時代には“父性”が、終わりの始まりとしても、まだ有効であったのだ。吉本が目指した、“生活人”としての思想家は“生活人”であるために“父性”を背負い込む必要があったのだ。彼には“よい父”を全うすることが“よい思想家”をまっとうすることでもあったのだ。ここに吉本の選択の一種の潔さを見ることも出来るし、同時に吉本の限界を見ることも出来る。
時代は人々を置き去りにする。“父性”はいつのまにか、われわれを置き在りにした。
(付け加えれば、シクラメンのありもしない“かほり”は1975年の小椋佳/銀行マン神田紘爾を置き去りにした。)
吉本隆明は、日本の失われた父である。そして、ニール・ヤングは父不在の現在をしぶとく生きる現役の“父なし子”、決して“父親”にはなれない/ならない、我等の同世代人である。
このカナダ生まれの大男は、恋愛に恋愛を重ねても身を固めることが出来ない。あくまで自分を痛めつけるために恋愛をしている風でもある。同様な感性を持ち、しかしその先鋭さに耐えられなかったのがカート・コバインじゃあないか。彼らに子供があったとしても、彼らは必ずしも“父性”ロール/役を負ってはいない。彼らは“大人”にはならない。なぜなら“大人”になるとは“父性”を負うことであるからだ。
****
このあと無責任にたぶん、オイディプスをからめたフロイト批判、“父性”としての政治の終焉と“天皇制”、母性の回帰、ブッシュの偽“父性”、などに展開する可能性があるわけですが、やる気があったら続けます。
なお、ニール・ヤングの新譜が出ます。Prairie Wind (仏では10月5日リリース)
ところで猫屋さんご自身はパパなのですか。
投稿情報: ドラム小僧 | 2005-09-29 14:00
あ、違います。
投稿情報: 猫屋 | 2005-09-30 00:53