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2005-09-30

コメント

shiba

精神分析学が科学たりえるかということがフロイトにとって困った問題だったわけですが、結局彼の理論は仮定の域を出ることができなかったんですよね。証明できないから。物理学のように自然法則を発見する領域でもないし。
仰るように、たしかにフロイト批判は尽きませんが、私は身近な事例を見て納得してしまう部分があるなあ。「星占いが当たる」のと同じように、たまたま合致する事象だけに目がいっているのかもしれませんが。
と、フロイトさん(の著作)とは2、3年付き合ったもので、つい、でしゃばってしまいました。

しかしすごい愚問だとは思いますが…
なぜペンギンなのですか?支障なければご教示ください。

猫屋

お、shibaさんが釣れた、うれしいな。AA略)

一歩下がって眺めてみると、精神分析の出現は同時に sciences/科学主義のおしまいの始まりだったのかもしれません。今では sciences exactes の領域でも“デザイナー”というきわめて観念的主体が話題になっていたりしますし。

私は(恥ずかしながら)フロイト関連文献は“精神分析入門”ぐらいしか読んでないんですよ。最初はサルトルさんにやはり2・3年付き合っちゃったから、現存主義というか現象主義的精神分析になっちゃう。

しかし、shibaさんがおっしゃるように、現在の治療に当たっている精神科医は手持ちのセオリーで実際に症例にあたるわけですから、これは大変な作業だと思います。人間の心の内側で起こっていることは、思想にしても精神分析にしても文学にしても文化にしても、すべてが明確な“形”にはならないからこそ“豊か”でもあるわけですし、同時にバイオ・テクノロジーがどこまで発達しても、人間行動を100パーセント解析はできないだろうな、と私は思っています。

結局のところ、“フロイトの病理”あるいは“フロイトの仮説”は彼の生きた19世紀から20世紀初頭欧州の“知/サヴォワール”をよくあらわしていると思う。20世紀から21世紀についていえば、ドゥールーズの“DESIR/欲望”なんじゃないかな、とふと思いました。

ペンギンですが、単にかわいいので採用しますた。
http://usa.blogs.liberation.fr/2005/09/anthropomorphis.html
仏映画《March of the Penguins》が合衆国であたっているようです。
http://wip.warnerbros.com/marchofthepenguins/

shiba

ぱくっと食いつき。釣られました(笑)。

精神分析って宗教みたいなところがありますね。
ユダヤの教えの影響云々もそうですが、信じれば治る、みたいなところが。

先日、書き忘れましたが、日本ではエディプス・コンプレックスじゃなくて阿闍世コンプレックスという仏教関係のコンプレックスがみられる、という説もあるようです。内容はよく知らないのですが、猫屋さんが仰っている通り、仏教の影響が濃い文化圏では母性の重要性が高いとかなんとか…。ご存知かも知れませんが。

ペンギンが何かの隠喩かと思ってしまいました。飛べない鳥なので抑圧の象徴とか何か。あはは。勘繰りすぎですか。
あの映画でサントラを担当したエミリー・シモン、日本で急に人気が出たそうです。

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