中国での反日デモンストレーションの成り行きとそれを受けた日本でのネット界の動き、アメリカでの韓国・中国系米国人の動き、、をネットで追って、私の考えはますます混乱してくる。いくつかのメモ。
かなり以前の話になるが北京に駐在していた中国語の出来るフランス友人が、中国内での出来事は香港をはじめ外国新聞を読んで情報を得ていると言っていた。また人民日報の読み方として某政治家のことがほめてあったらそれはその人物の粛清が近いということだ、とも教えてくれた。どうも、中国国内の中国語新聞では今回のデモに関する記事は見当たらないが、英語版には、つまり外国人が読む新聞には関連記事が出ているらしい。これは在北京フランス人ブログで読んだ。
東アジアでのナショナリズム、米国南部を中心とした宗教回帰、ヨーロッパでのEU懐疑論と表出の仕方はことなっているが、もとになる感情は案外同じじゃないかという印象を持った。将来に対する不安と危惧だ。時としてそれは被害妄想へと繋がる。
冷戦時の“自由資本主義”対“共産主義”シェーマ/図式、が崩壊し、16年経ち、経済グローバリズムが世界を覆う。たとえば日本でカネボウなり、西武のずさんな家族性経営内容が今になって明らかにされても、その旧式資本主義に代わるべき新日本経済にも大きな期待を抱けない。世界資本が日本に入ればどうなるのか。欧州、少なくともフランスでの一般市民のEU憲法への拒否感の底にあるのも、市場主義が社会民主制をあっけなく崩壊させるという危惧と、いままで有効な経済政策を打ち出せず失業率上昇を許したシラク・ラファラン政治への拒否反応だろう。
ただ引っかかるのは、グローバリズムに対する拒否がナショナルに向かう傾向だ。ネットが国境を越えるという今となっては“幻想”があったのに、なにやらそのネットがかえって縦割り世界の境界線越しの罵りあいの場になってしまっている。情報源を離れて、情報のどこが出所であるかも分らない曖昧さがそれを増大させる。この先祖返り現象は一時的なものなのか、違うのか。
テロリズムも、イスラエル・パレスティナ問題も終わってはいないのに。
ムシャラフのインド訪問も、イラクで米軍が大きな反撃に出るだろうというニュースも誰もフォローしていない。
nekoyanagiさん、こんばんは。ちょこっとお邪魔します。
この20年で、昭和が終わったあたりからバブル崩壊くらいがひとつの分岐だったのではないかと今になって思います。で、インターネットの時代がその後に来る。
日本語の「愛国心」という「ナショナリズム」よりもはるかに情緒的な言葉が、頻繁に使われだしたのもあの頃のような気がします。「ナショナリズム」のコノテーションも、なんというかズレがあって、フランス語ならどこでも、nationalisme・patriotisme・chauvinismという言葉に程度の差あれ付きまとう「苦笑」の感覚が、たぶん、今の日本では希薄ないんじゃないかと。私も浦島化進行中ですから、あてにはなりませんが。
うちのほうで長い目で見る必要があると書いたのは…日本て、いさぎよさの文化というか、ぱっと散る美徳というか、恥をかくくらいなら死ぬほうがましというか、やっぱりそういう美学が、どうもあるんじゃないかと。よくこちらの新聞でアジアの特徴としてメンツ、体面、faceを重んじるというのが言われますけれど、それを読みながら、そうかねぇ?と自分では思いつつ、同時に、なりふりかまわない謝り方はできない日本人というのを、やっぱり感じもしたわけです。それがたぶんnekoyanagiさんのおっしゃる60年間の外交の不在と通じているんじゃないかと。
最近よく思考実験で、うちの方でも書かれた方がいましたが、ドイツの謝罪に対してフランスがゴネたら今のようにはならなかった、日本が謝っても中国がごねるから日中・独仏関係はイコールじゃないんだ…みたいな論の展開をききますけれど、でも私は、ドイツは体面捨ててたよなぁ…と感じたわけです。日本が絶対にできない、少なくとも今まではできなかった謝り方をした。それも、しつこくやったし、やっている。逆に今、日本に謝れ!と声高に叫んでいる中国人の前で、日本が恥も外聞もかなぐり捨てて謝っちゃったら…世界は日本と中国だけでできているわけではなく、日本の行為を見つめる第三者もいるわけですから、たとえ中国が一度では「徹底的な謝罪」を受け入れなくても、きっと面白いことになると思う。
この「何度も」というのがけっこうポイントで、ドイツの頑強さというか、叩いてもへこたれない粘り強さというか、そういうものが、たぶん日本には欠けているんじゃないかと。さっさとあきらめて、「相手がわかってくれないから」と愚痴るナイーヴさが、私には歯がゆいんです。nekoyanagiさんもたぶんそうだと思いますけれど、外国の社会に溶け込もうとする、そうしなければならない日本人の多くが、恥を捨てる感覚を体感しているんじゃないかと。自分を分かってもらうために、しつこく努力する感覚というか。…
長々とすみません。今日はフランス2でイザベル・アジャーニのバケモノ的白痴美で頭が…翻訳はお休みです。
投稿情報: メディ | 2005-04-17 23:45
メディさん、おはよう。昨日は早く寝てしまった、今日は雨ですね、寒いし。コメント、ありがとう。翻訳の大変さは身をもって分っているので、メディさんの“仕事”はいつも感嘆しつつ読んでいます。キレナイところもえらいし、爪赤爪赤。たまにはここによって猫屋寅八に絡んでください。
私がこっちに出たのはチェッカーズとかロス疑惑のころです。特に三浦騒ぎはあの国を挙げての騒動が気に入らなくて、いったん日本を離れる動機のひとつになった。結局そのままこっちにいます。当初は貧乏で一時帰国もしてなかったし、バブル期はまったく知らない。
そうですね。「ナショナリズム」は批判できるけど「愛国心」には一歩引いてしまう。日本史で言えば、結局明治維新も第二次世界大戦も“日本”という構造自体の分節というか切り目が作られなかった、と自分は思っています。ドイツにしろ、フランスにしろ時間をかけてやってきていると思うんだけど。今言ってる“愛国心”これは大戦前のとなんも変わってないのじゃあないか。実はまったく人工的なものだと私は思います。(プリンセスが犠牲になってる) 欧州ではEUというもうひとつ大きな“形”があるんだが、実際の国境を持たない国では“我々”と“他者”を捉えにくい、というのはある。赤字だなんだと言ってもユーロトンネルは大きかったな、と昨日思いました。英国も時間をかけてですが、島国ではなくなろうとしています。
もうひとつは、まあこれは猫屋の被害妄想かもしれないが、米国の位置関係です。長い間日本にとっての外国は米国でした。韓・台・中が実はリストの初めに来るべき外国なのに、実際の貿易とか移民の行き来は別としてもイデーとしては米国があった。世界の中心は米国、というか。ある意味それは本当なんですが、実際にはそれが揺らいでいる。合衆国って、ふーん、だめじゃん。で、だったらアジアの流れもあったけど何故か“愛国”に先祖返り。ここはちょっと怪しいです。振ってる連中はいるでしょう。日・韓・台・中をぶつけて各プレイヤーの力を弱めると言う手は古典的ですし。あと中国の政治機構とか情報統制の実体がきちんと報道されていないですね。これが分ってれば煽動的言語暴力にも冷静に対応できると思う。大体日本人が日本の歴史を知らないでしょう。私も知らない。竹島なんてあったんですねえ。あと、南京虐殺を検証するといったタイトルの娯楽TV番組があったようで、その状況版をネットで読みましたが、スゴイです。
“恥を捨てる”感覚は猫屋にはあまりないなあ。元来良く喋る人間なんでね式論理性を駆使してます。喧嘩をしないコツは学習しました(^^)。 日本人の論理性とフランス人の浪花節性、これは個人差もあるから一般化はできないですけど私の印象にすぎませんが。
この頃TVは一週間に一度ぐらいしか点けないんですよ。アジャーはアデルHが好きだったけど、ああいった役しかやらなくなっちゃったのは残念です。何だったんだろう、昨日の映画。あの人は半分アルジェリアですね。
最後に---、メディさんがやってる仕事は貴重です。コメントが少ないポリシーも記事選択の微妙なところも、抑制が利いていて乙です。ただ大変だなー、と。休みの日を入れてもバチはあたらないです。
投稿情報: nekoyanagi | 2005-04-18 09:28
追記です。参考として http://deadletter.hmc5.com/blog/archives/000103.html
私は名前/ハンドルでしか存じ上げないfenestraeさんのことも出てきます。
投稿情報: nekoyanagi | 2005-04-18 22:14