« CARICATUERIE -- カナール・アンシェネ記事翻訳 | メイン | Brokeback Mountain の秘密 »

2006-02-16

コメント

主水

はじめまして。
とても興味深い記事 ご紹介ありがとうございます。
明日も楽しみにしています!

ところで日本のスキー場はどうしてメシがまずいのか・・・。
アルプスの記事 よだれが。うらやましい。

fenestrae

翻訳おつかれさまです。
ちょっとした誤字など気づいた点をメールで送りました。

猫屋

主水さん、はじめまして。辺境のブログにようこそ!
日本のスキー場、ほとんど知らないんですが、私が通う山小屋は、2000メートルぐらいの高い場所にあって、吹雪いてリフトが止まると誰も来なくなるようなレストラン+山小屋。おまけに息子が料理専門学校で勉強その若奥さんは食事を運ぶ役。地元の人ジョジアンヌさんの仕切るきわめてローカルな店です。

fenestrae氏、
メール拝読。英語の読みは弱いというか、あれは場所やオリジンによっても読み方が変わるのでひとまずこのままにし、英語版リンクをつけました。

小林恭子

こんにちは。

ベリタのリンク記事で知りました。私のブログでも紹介させていただいてもよろしいでしょうか?(もし不都合がありましたら、教えてください。)

彼女のスピーチは英語で知ったのですが、訳そう、最後まで読もう、と思っているうちに日にちが過ぎてしまいました。。。。

アヤーンヒルシアリさんのこと、どう見ていらっしゃいますか?私はどうも非常に政治的な感じ、利用している感じを持っています。いっていることは正しいようには思うのですが(論理的に?)・・・。

またお邪魔させてくださいね。

猫屋

小林恭子さん、こんにちは。
どうぞご紹介ください。ただ昨夜遅く1訳トットと終わらせ、簡単に見直しただけですし固有名詞の統一など今夜に手直ししようと思っているのですが、英文から訳しなおして引用、という手もありますね、、、リュシディの訳顛末も思い出しますし、“冒涜もみんなで分ければ恐くない”とゆーのもあります。

共産主義に関するところは、旧共産圏での“革命”キャンペーンも思い出させます。猫屋も彼女の言うところに全て賛同するわけではない。けれど、ル・モンド紙のコメント欄を読んでも、それはあるにしてもこの発話が今行われた意味は大きいです。

あとは、“歴史”(自体)という流れの中での個人・個人の資質とセンスで泳ぎきるべきでしょう。言論というのは切ったハッタの世界でありましてというのが出てくる時代は不幸なんですが、実際にそれを生きてる人はいるし、壁の後ろで自分は安心立命、、と信じられる世紀ではないってのはフランスにいるとよく分かります。

なおコミュニズムと自由主義に関する私の見解は、別のエントリでも書いていますし、現在の世界状況の鳥瞰図に関しては、別の機会で書きたいと思っています。

猫屋

業務自己コメント。
どうも、アヤーン・ヒルシ・アリでググッテもこのブログには行き着かない。でもってページ右上のサイト内検索でためしても何の回答もないと言う、、、不思議な現象が起こっています。ちなみに表示は入れなかったものの(というかテク不足で入れられなかっただけですが、、)この検索はググル社のものです。

chorolyn

翻訳、お疲れ様でした。

kyoshida

たいへんな翻訳をありがとうございました。とても勉強になりました。
fenestraeさんの記事と合わせて拝読し、以前の疑問(フランス型vsイギリス型…)に関係したもやもやが何となく解けてきました。
何の中間集団にも保護されていない個人が現に存在している以上、そしてその権利を保障するのは法の厳密さでしかない以上、その法の解釈が例えばマジョリティの意見とかで揺らいではいけないのでしょうね。どこまでも裸の個人を守る立場に立って、権利に優先順序を付けていく、そしてそれを真剣に議論していく、ヨーロッパでの闘いを見守りたいと思いました。

chaosmos

翻訳、(いろんな意味で)ご苦労さまでした。ひとりの証言者として特権的立場から為された、彼女のスレートな発言あるいはその勇気を理解することはできるのですが、「ベルリンで」と強調しつつコミュニズムを引き合いに出してまで、民主主義の勝利を称えるような論調には、納得しかねる点が多いような印象を受けました。こういうことを言うと即時的に、「お前はコミュニストか」などとレッテル貼られるのがおちですが、ハリウッド映画に支配されてるような現代の、白黒世界の論理には頭を抱えるばかりです。

猫屋

Kyoshidaさん、お久しぶりです。
リビアでは金曜日デモ隊に警官が発砲、11人が死亡。パキスタンのほうも大変なようです。ムスリム57国が国連に“冒涜”を禁止する決議を求める動きもあります。
ハマスとイランの問題もあるし、、なにやら極めて不穏な状態です。
同時に、アグレイブやグアンタナモでの拷問=法の不在、そして米国の対テロ戦争時であるから平和時の法は適用できないとする解釈もさらに混乱を深めるばかりでしょう。“法”とはなにか、“国家”とは“国境”とは?といった対話の基礎となるべき概念を考え直すべき時点にわたしたちはいるのだと思いますが、次々起こる“事件”に追われて、たとえば冷戦時代のシステムを再考するとかの時間を、誰も持ってないように見えます。

猫屋

コメントかぶりました。
chaosmos氏、いっらっしゃい。
おっしゃるとおりで、共産主義vs民主主義のくだりは訳しながら首を傾げました。彼女の頭にあるのが過去の東ベルリンvs西ベルリンという限定されたシェーマだけなのか、あるいはそれ以上の拡大した解釈なのかが不明瞭ですね。論理自体はしっかり説得力あるだけに、不安になる。

Kyoshidaさんへのコメントに書きましたが、自称“民主主義の親分”的国家が法を無視しし、警察国家に成り下がっている現状では頭が痛くなります。(刑務所なんかに関する仏政府の態度もそうだが)

これはオーウェルの描いた“ビッグブラザー”が牛耳る警察国家のモデルがソビエトユニオンだったにもかかわらず、今はどこの国だろうと比較しうる、、、なんてこと考えてもわかる。上手く言えないんだが、(何とかvs何とか論理もですが)レトリックとしてたとえば“自己責任”だとか“言論の自由”もそうですが、“民主主義”と言っただけで思考停止しなにやら安心してしまう、、、これも避けるべき罠でしょう。

猫屋

自己宛業務連絡、
このところADSL回線が不安定、今日はまったく不通だったのですが、夕方やっと再開:サポセンの中の人の説明によると、フランステレコムが回線のデバイトを変えているようで、その影響らしい。Fテレコムと民間プロバイダー間の“仁義なき闘い”の流れでしょう。

ってわけでさっき試してみましたが、ググルのアヤーン・ヒルシ・アリ検索規制は解除されています。賞味期限が切れた、という判断かな?

猫屋

コメント欄を使っての猫屋の御礼です。

今回のル・モンド記事をめぐって、貴重なトラックバックを多数いただきました。どれも、元記事アヤーン・ヒルシ・アリ氏の発言の正当性と危うさとを、より相対的に読むためのツールとして欠かせない。猫屋の狭い額、じゃない狭い思考を広げさせても戴きました。これらTBに個別に返答する、あるいは論評することはここでは行わないつもりですが、極めて早いスピードで猫の目のように変わる世界の動き(と自分の考え)を、一歩下がって眺めてみるよいケースになりました。

なお、たまたまこちらにいらした読者の方々にも、これらTB先の文章をお読みいただくよう強くお勧めします。

はるる

はじめまして。トラックバックさせていただきました。このように、翻訳をしていただくと大変助かります。ありがとうございます。

猫屋

はるるさん、はじめまして。
ハグもらっちゃうとやはりうれしい、です。
単に興味深い記事があると、ほおって置くのはもったいない、とか思っちゃうし、
訳してみると、読み飛ばしたとき見逃してた部分も理解Fできる(というか出来るような気がします)。

soliton_xyz

訳出ありがとうございます。興味深く拝見しました。以下は感想です。

映画「サブミッション」のときにも若干思ったことですが、アヤーン・ヒルシ・アリ氏は、宗教を政治イデオロギーと同等のように扱っているようですね。
かなり差があって普通は同等に扱えないものを、理念「イデー」の抗争だと言い切ってしまうところに大きな特色がある。

また、批判の対象をホメイニ師はじめ彼女が実際に接した宗教指導者にとどめず、預言者やコーランの一節などを引用してイスラムの教義そのものに原因を求めるところなどは、「言論の力によって打倒すべき(コミュニズムのような)悪しき理念としてのイスラム教」という考え方が明確です。

例えば、FGMや本人の意に反する結婚の強制などの社会慣習も、イスラムの理念から導き出された当然の帰結だとする彼女のドグマは、西欧の非イスラム教徒には拍手喝采でしょう。しかし、これは事実に反する考え方で、状況の正しい理解に結びつくものではない。
社会的な迫害を理由に欧米に亡命しても信仰を捨てない人は多いにもかかわらず、彼女は「イスラムの離反者」という概念で自らと同一視して一括りにしてしまうのです。

こうした批判の仕方は、イスラム教やイスラム社会を批判するにしても、あまり生産的でない感じを受けます。
この発話が今行われた意味ですが、どちらかと言えば、議論を混乱させ、西欧の偏見を助長して、「新たな冷戦構造」を造り出すだけのように私には思えました。

猫屋

soliton xyz さん、読んでいただいてありがたいです。
現在は欧州でもかなり知られたイスラムと地中海専門のジル・カペル氏の文章訳出にトライしています。自分が在フランス邦人の立場から、同時にこちらの社会内マイノリティの一員としての立場から『西欧』なる、これまた一種の幻想史観に何らかのリアリティを付加できたら、、と思い、拙い文章力と訳出力・編集力を使っております。

映画《サブミッション》は観ていないし、同時にオランダ・デンマークの内部政治事情は詳しくないため、ここの現象への直接の言及は私にはできません。

ただ、アヤーン・ヒルシ・アリさんも発言は、されるべきだったと思います。なぜならば、今回の動き(風刺画に対する反応)はあくまで政治的なものだと言うことは明白ですし、同時に(ケペル氏の分析にもあるのだけれど)911やマドリッドやロンドンでのテロ行為を行った人々がハンブルグ・ロンドンに生活していた、また元来は信心深いイスラム教徒ではなかったが、何時のまにか新興宗教的閉鎖セクト内で狂信者となっていったプロセスがある。また、各国での移民同化政策の立ち遅れは事実ですが、同時に欧州でのイスラム系人口の大きさから言っても、各政府はこの人々を無しているわけではないだろう、と思います。

『西欧の偏見』については、おっしゃられる偏見自体が具体的に何をさすのか分からないため、お答えできませんが、同時にイスラム圏で何が起こっているのか、、それを報道あるいは表現するメディアやアーティストが内部にきわめて少ないことが残念です。イランには優れた映画監督が多いのですが、現在の政治状況ではかなり活動が制限されているのではないか、と危惧しています。

お時間がありましたら、イスラム風刺画に関するいきさつを fenestrae 氏が、またフランスでのイスラム系住人たちの声をshibaさん訳のル・モンド記事で読むことができます。トラック・バックをたどってみてください。

Holger Hermann Haupt

冒涜は宗教への特効薬

私は30年間日本に住んでいるドイツ人で、外人が滞在国に不満を抱くケースも多く目撃した。だが、私はその不満には同調しない。ホスト国に共感のもていない人々はその国に住むべきではないと思う。
イスラミストが世界中で脅迫や殺人を行い(「悪魔の詩」の翻訳者五十嵐一の暗殺事件をも思い出して!)、イスラムの価値観を有無を言わせず我々に強要するのは犯罪そのものだ。イスラミストは翻訳者を殺害しただけではなく、日本人が「悪魔の詩」を読む権利をも奪おうとした。イスラミストは他の文化、権利、自由ばかりでなく命さえ尊重しない。民主主義国社会に生きる我々が民主主義の価値観を尊重するならば、この様なファシストと戦うべきだ。
イスラム批判は、人種差別、移民への偏見とは関係ない。反対に、この世の人々全てが啓蒙によって知識を深め、進歩し、神など人間の想像物を恐れずに幸せに生きる権利があると思う。風刺漫画はそれに貢献したはずだ。そして私もそうしたいと思い、ムハンマド風刺漫画事件やイスラムの悪を列挙するページを作った:https://www.hpo.net/users/hhhptdai/jyllands.htm。 興味がある方どうぞ見てください。

猫屋

ハウプト・ホルガーさん、はじめまして。
私自身、以前は古臭い言葉だと思っていた“啓蒙=光”という概念を前にいろいろ考えさせられている毎日です。権利や自由が、米国や欧州でも日々狭められつつあるわけで、これらの言葉の持つ意味をもういちどよく考える必要があるし、同時に擁護していかなければどういった時代に子供達を送り出すことになるのか、、これを欧州の過去は示していると思います。特に、日本でのこれらの言葉の風化、あるいはもともとの導入の時の認識のしかたはもっと疑問視されていいでしょう。

当時ミッテランは“悪魔の詩”出版擁護に『小説としてさして価値の少ない本だからこそ検閲すべきではない』と言ったらしいです。

Dodoth

自由それ自体や、自由な社会を構想するうえで示唆にとむ。
イスラム社会だけではなく、反イスラム社会の非自由、ということも含めて。
『無知の涙』のなかでしるされている死刑囚の声がそうであったようにように、
疎外のきわみにいきる実存の、自由を訴えるその声は、いつもかならず透明
にすきとおっている。

この発言の直後、彼女は難民認定をオランダ当局によって取り消されただけでなく、
国籍を剥奪され、国外へ追放された。(現在はアメリカ在住か?)
当局によると、彼女はソマリア出身ではなくて、ケニア出身であり、難民資格がないのに、
難民の資格でオランダ国籍を取得していた、らしい。じっさいに彼女自身もそれを認めた。
しかし、この出生地の訂正の事実をもって、難民であったことも否定するのは、
早計である(ケニア国籍のソマリ人というのはとりわけケニア東部にたくさんいて、県によってはマジョリティでさえある)。
確実にいえることはただ、彼女が身の置き所のない人生を、いまなお続けているということだけ
だ。

この記事へのコメントは終了しました。