仏国の歴史的風刺週間新聞 Le Canard enchainé 2月8日版の一面記事が面白かったので訳してみます。タイトルからしてなんとも訳しようがないのでこのままカリカチュリー。言葉遊びを始めなかなか手ごわい新聞なのでかなり意訳雑訳ですが、大まかな意が汲んでいただければ幸い。フランスでの風刺という“精神/エスプリ”がどういうもんだか、の一例です。なお、語調・意見の激しさはこの名物新聞の売り、ですのでお間違えないようよろしくお願いいたします。(なおシャルリー・エブドのほうはアクが強すぎてカナワンので買いませんでした。)
CARICATUERIE / カリカチュリー
カリカチュアとは、定義上から言って、対象のばかばかしさや不愉快な面を誇張することで、嘲笑するアートである。フランスにおいてこのジャンルは、100年前からライック(無宗教)な共和国が示す明確な枠内で行われ、“Le Canard enchainé/ル・カナール・アンシェネ ” が創立以来広く実行するところでもある。人は自由であり、宗教・哲学あるいはイデオロギーに関して誰でも好きなことを信じてよい。そして人は法の内に留まる限りにおいて自由に自己の信じない対象を議論し、批判し、カリカチュア化することが出来る。これに例外はない。モハメ(モハメッド/ムハンマドetc.)、モイーズ(モーゼ)、ジェズ(キリスト)あるいはヴィシュヌであろうとも、ましてはイマム、ラバン、エヴェックあるいは司祭の女中であっても。このイコノクラスト(聖像破壊)エクササイズは、多少のインスピレーションと才能をもって実行されるというのも確かだろう。この理由のためだけに、デンマークの日刊紙 “Jyllands-Posten” に掲載されたマホメのカリカチュアを “カナール” は掲載しないはずであったろう。われわれの意見では、それらカリカチュアの大部分はさして面白くもないし、ましてオリジナルなものでもない。しかし現在の状況を考慮に入れれば、それら(カリカチュア)は明白にまったく違った価値を持つことになる。なぜなら、これらの新聞の単純なデッサン発表が引き起こした気違いじみたリアクションのほうは、まったく面白くないからだ。それらが過度にカリカチュアであろうとも!
“ 信者”とその“怒り”を概念道具化する人々は、ある面を誇張する(grossir)ばかりではなく、大胆にも野卑(grossier)に陥る。そして、さらに深刻なことに、暴力にいたる。これら表面化するまでに時間のかかったルサンチマン操作は、12のデッサンが掲載された昨年9月30日以来すでに6人の犠牲者を出している。
プロフェット(預言者)の名において6人の死者。6人の死者、なによりその顎鬚の後ろに隠れる者たちの名において!その影でわずかな利益を得ようとする一団から言って、おそらくマホメは偉大なるなる頬髯を有しているにちがいない!
湾岸とエジプト半島の一群の国々で、彼らは国内のイスラミストよりさらに信心深いムスリムだと信じ込ませるため、まず最初の火に参加した。それからパキスタンは、政権がアラーよりもブッシュに近いと見る人々に対しての証拠を示した。たとえばライックの国シリアでは、敬虔深い心も街中のデモもこれまではあまり知られていなかったにも関わらず、ダマスカスでもレバノンでも一瞬にしてそれらが起きた。“傷つけられた信者たち” の とても“自発的”なデモ隊が求めに応じて大使館を焼き、国旗を焼いた。そして、パレスティナ人もいたし、何にもまして核危機において獲得した点数をさらに増やしたいイランが続いた。さらにヴァチカンは支持表明を出すことで自分のチャペル保護にあたり、信心・ブッシュとタルテュフ・ブレアはイラクのせいで、 カリカチュアは“イスラムに対してまったく無礼だ” と憤慨した。
こちらでは、会社更生法適応中の“フランス・ソワール” 紙のフランス=エジプト(カトリック)人所有者が、マンガ掲載責任者を解雇してカイロでの評判を挽回しようとしたが、編集部のコントロールはまったく取れていない。見回せば、話題になりたいライックであるMrapは同紙を “人種差別による言論の自由ハイジャックだ” と糾弾するが彼ら自身、人種と宗教を混同している。
それらの凝り固まった信心ユティリティーとプラグマティックな宗教心の向こうに聞こえ続けているのは、すべてとその反対である。プロフェット(預言者)の“犠牲者”はほとんど逆説に近い。あるムスリムたちはイスラムとテロリストの混同に対して正当に抗議し、同時に雪辱のための殺人と殺戮を呼びかける。他の人々はイスラモフォブ(反イスラム)と人種差別の冒涜を叫ぶが、同胞のアンティセミティスム(反ユダヤ)のデッサンや話題に不快を示したりはしない。
決してその声が聞こえず、またその姿も見えない者たちも数に入れねばならない。たとえばル・ペンは、もみ手をしながら今回の脅迫によって次回選挙の巾着にはいるだろう票を数えている。。。。一言で言えば、アラーは偉大だ。しかしマホメは全ての人間の役に立つ!
“愛”と“寛容”の宗教権威が平静を呼びかけ、この凄惨な憎悪のカリカチュア爆発と、暴力と不寛容に終止符を打つまで、もちろんわれわれはこういった主題を嘲笑し続ける。この出来事が進展する仕方を見れば、“カナール”紙の貴重な“時代遅れの反聖職者主義”は、いまだに燃えている現実性であるからだ。
Erik Emptaz/エリック エンプタズ
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参考:カナール紙についてのwikipedia 仏語版 および英語版
また、上に挙げたデッサン・サタニックのタイトルは『鉛筆:大量破壊兵器?』。せりふは『もしマンガがうまく描けたらなあ、、。』
関連ル・モンド記事『風刺画:憤慨の地政学』をSHIBAさんが訳出しています。
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今回の事件に関して訳者が指摘したい点をひとつだけ付け加えます。“自由”に関しての概念、そして政権の性質が国々によって大きく違っている事実です。実際に騒ぎが起きている地域では、“民主主義”も“自由”も極めて限定された形でしか存在していず、そこではジャーナリズムも人々も限定された権利しか所有していない。またジジェクの指摘をまつまでもなく、911以降の自由資本圏においても“権利と自由”は徐々に制限される方向にある(その意味でフランス国内の右および左派両方に支持者の多いカナール紙は、フランスでの“権利と自由”に関するバロメターだとも言えるでしょう)。
そして、メディアやウェブ情報は国境をなんなく越えますが、一国家の法はその国家内でしか有効性を持ちません。その点でコフィ・アナン国連事務総長が事件に関連した発言を行ったことは注意に値するでしょう。AFP関連記事