まあ要するに昨日の《リクエストにお答えして:いったい何が起こっているのか続編》への追加です。
大まかな‘アウトライン’:ww2後30年間続いた安定成長期(福祉国家の成立もこの次期)の後、生産過剰に起因する賃金の低下から購買力が下がり、下がった成長率(=企業の利潤低下)を穴埋めするため1970年代半ばからさまざまな規制緩和が続けられ、新しい市場(複数)が形成される。「小さな政治」と呼ばれる、公共事業・サービスの民営化、国有資産売却、規制緩和、法人税撤廃などの一連政策も、この市場開発の枠に入ると考えます。
1989年の共産圏崩壊と、のちに始まったIT開発およびグロバリゼーションは、生産技術の大幅な進歩(これは生産の無人化にむかう)と低賃金諸国への産業移転を可能にした。また、IT化、グロバリゼーションの波に乗り、企業の大型化が進み、国境を越えたM&Aが繰り返され、やがていくつかの巨大多国籍企業が世界経済を君臨する。
この過程に平行して行われた‘質的’変化にも注目する必要があるでしょう。で、このアウト・ラインに“周辺”的なノートを付け加えて見ます。でも実は“周辺”がより重要だったりするわけですが;まあ、進めてみます。。。
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M&A つまり企業の合併と統合の最たる目的はある企業とその周辺の関連会社を別の企業体が吸収して新構造を再構築して、より大きな市場とより大きな利潤を求めることにあるわけで、早い話がふたつあった支店はひとつですむ。過剰になった人材はリストラの対象となる。人事部(Service Personnelle)が人材(resources humaines ヒューマン・リソースですね)と呼ばれるようになり、その管理がマネージメントの重要な柱のひとつになったのはこの頃でしょう。
これは昨日挙げたラジオ番組の中でロルドン先生がうまく説明してるとこなんですが、企業株の果たす役割の変化も、経済・金融のあり方を大きく変えた。本来株式市場というのは、企業が自ら調達できない資本を株と言う形で市場求め、代償として株主に配当金を払う。
でも、これは猫屋の記憶に基づいて書きますが、マイクロ・ソフトetc.の新型ITビジネスが経済界をにぎわしたあたりで、スタート・アップを打ち上げる若い幹部に対して高額ボーナスをまだ払えない新企業がストック・オプションというシステムを導入した。ボーナスの換わりに、後日株価の上がるはずの自社株をオファーする。もらったストックを、株価が上がった時点で、本人は受け取り時点株価を払い、上がった分(2株価の差額)を手に入れます。
ストック・オプションに対する税規制など国によって違いますが、一般的に言えば、当初はスタートアップ新企業のスタッフの企業貢献度、あるいはより高い収入を目的とした他社への鞍替えを防ぐために導入されたストック・オプションがやがて、大会社の幹部に対する収入にも適応されるようになった。企業としては、法人税逃れのいい対策にもなったんですねえ(フランスにおけるepagne entreprise もこの枠に入ります)。
反面、元来別の2グループを形作っていた株主と企業幹部が同一の目的を目指すようになります。目指すはより高い株価です。同時期に、たとえば英米に始まった民間年金資金(ペンション)、地方自治体、各種保険会社、さらには私立の大学まで、資金を株、あるいはその他の市場に投資し高配当を期待するようになった。株主が企業運営を外部から監査し、企業幹部は会社内でマネージメントするという役割分担がなくなり、両者の利益は一致するようになる。自分たちの得る利潤(株価・配当)です。
こうしてかつての、個人株主が将来的展望のある企業に5年・10年、あるいはもっと長い展望で投資し、概等企業の繁栄に対して、個人株主は配当を享受するというクラシックな株式システムは終わり、短期的株価上昇を目指したデイ・トレードの時代に突入します。やがて、より高い配当を求めるアクティヴがデリヴァティヴ市場に流入し、クラシックな株式市場よりもより多い量のキャッシュ(これには数字のみの、つまりリアルではない金額も含まれる)が集まるようになる。
ここでは、企業の発展(資金調達)のためにあった株式が逆に作用する。企業の質は単に株価によって表わされ、企業の目的が、株主(+ストックオプションを所持する幹部、および上に挙げた各団体の資本を運営するメガバンク)へのよりよい配当の分配とより高い株価になってしまう。
さかさまの世界がここいらへんから始まった。ある企業が、大型解雇を発表すると株価が上がる。
アタクシ自身、かつて勤めていた某企業がM&Aによって別の大手グループに吸収され、会社は移転して解雇された。その時、ボーナスとして受け取っていたepargne entreprise/社員貯蓄(株価に連動)が上がって、変な気持ちになったものでした。
こうして、前代未聞の全面競争の時代が始まりました。もちろん競争は太古からあっただろうし、特にダーウィンの説を勝手に解釈して人間社会に当てはめる‘レッセ・フェール’というトンデモない経済観念が幅を利かし、経済・社会がおおいに変化した時代もありました。自由競争は価格の低下をもたらすという、ありがたいオマジナイの時代もありました(大体自由競争のどこがいったい自由なんだか未だに分からんですが。。。)。
猫屋的には、ダーウィンが自然界に見出したのは、一定の環境内(あるいは環境の変化時)において、より適応したものが生き残る、と言うもので、「もっと強いものが弱者を駆逐する」わけではない。自由競争は価格の低下をもたらす場合もあるだろうが、労働者賃金の低下ももたらすし、企業の合併・買収の結果、超巨大多国籍企業が市場を牛耳ることになっても、社会の大多数の人々の幸福は得られない。逆に、自然界の多様性にこそ、そして種の共存にこそ、ダーウィンの真のメッセージはあるとアタクシは考える。
そして、ますます加速される競争は国境を越え、単なるマネージメントの枠を越え、ワールド・ワイド化する。
閑話休題--先日、必要があって世界の大学ランキングってのを探してたら、まあこれがゴマンとあるわけ。かの上海ランキングもあるしFTのもあるし、それに対抗しようというんでしょう仏産のまであった。なんか、ムーディーズとかスパンダート&プアとかの格付け会社を思い起こさせます。で、続けてメジャー大学のこととかググってたらケベック大学のlipdubヴィデオに行きついたんですねえ。170人かの学生が流行ポップソングに乗せて大学構内を踊っちゃうアレです(確か去年の9月に話題になった時見てる)。なかなかサンパ/いいんですが、これを仏国のグランゼコルもやってる。面白いのは、少なくともケベック大学とかの新校舎ってのはだいたい各国共通で、入り口ホールが広くてエスカレータもあって、ガラス張りで明るくて、オープンスペース部にカフェテリアとかブティックとかあって、なんかショッピング・モールみたいなんだねえ。去年暮れ寄ってみた駿河台の明大もこんな感じだった。
大学も、世界中から学生を集めようとしてるんでしょう。競争は単一化と巨大化に向かわせるのかも、です。ここフランスでも、医療と教育の産業化はどんどん進んでいますから、ポリテクとかENAの学生まで同様なlipdup作成してる。いい広告になりますからねえ。。
ついでに書けば、かつてフーコーが描いたパノプティコン型建築、つまり牢獄・病院・軍施設・学校の旧スタイルから、ショッピング・モール型ビオ管理型建築が主流になってるんだなあ、と感心しました。つまりガラス張りで時としてはホテルや住居のような‘生活スペース’、あるいは駅などのインフラまで内蔵して、中心にいると‘想定されてた’監視者は、監視カメラ・赤外線探知アラーム・クレジットカードの残す記録・図書館での利用記録・携帯電話・PC使用の形跡・フェイスブック内の形跡、etc.をトラックする(かもしれない)ビッグ・ブラザーでしょう。ひとつの建築が“理想郷”としての新しい街を形成してしまう。なんか、まるっきりジェイソン・ボーンが闘う世界ですね。あのシリーズが流行るわけだ。。。以上、休題おしまい。
と、もっと展開するはずだたんですが、前もってプランなんて立てないで書いてるもんで、話はとんでもなくぶれるわけですが、すんません。頭の構造がこうなんです。
おまけに休憩中、何年ぶりかにワイシャツにアイロンかけたり、あと気分転換の散歩のつもりで出かけたら、そこここのスーパーで繰り広げられてるワインフェアで遊んでしまった。で、時間が足りない。FX(為替)についてちょっと書いて最終的にはタイトルの《給与上げよ》に行き着くはずだったんだけど、まあ今夜はここまで。。。
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パリは悪天候の8月のあと一気に冬になりました。うちのアパートにも昨日から暖房が入った。街に歩く人々の半分近くがオーバーを着てます。。。。秋はどこに行っちゃったんだろうか?
ところで、最新経済情報を読んでると、米国と欧州が、最悪のポーカーやってるような風情です。つまり、両方互いにより最悪のカードをテーブル上に出してみせる。横にいる、日本の持ってるカードもなんか頼りなさそうだし、中国は黙り込んで下を向いてる。。。時間稼ぎがどこまで通用するんだろう。いずれにしろこれはチキン・レースと言うか、ゼロサム・ゲームと言うきか(ゼロサムならまだいいほうかもだが)、とんでもないファイトクラブです。結果は華々しいものではないでしょう。
なお、右上のグラフは2005年から2010年米国のグロース・インデックスとGDPの動き。LEAP2020 から借りてきました。
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