と、29日にポールソン案が米国下院で否決されるその投票の前にナンシー・ペロシ下院議長が行ったスピーチで今日の文章は始まるわけだ。
金曜に、さらに改定を加えたポールソン案が下院を通過し、該当法はブッシュ米大統領によって発布されたわけだが、ニューヨークの株価はまた下がった。
減税や米系銀行口座に対する補償額上限拡大策も含んだこのポールソンbail out法に対して、スティグリッツ教授は「多量出血に苦しむ患者に輸血するようなものだ」と批判している。たしかに、はじめに全3ページで提出されたポールソン案には、不明解な点が多すぎたのだけれど、最終案(たしか250ページぐらい)はさらに複雑化している。
問題は、実際の「汚染証券」価格を誰も推定できないってところにある。だが、それを放置したら世界金融システムは崩壊する。米国オーソリティとしては、とにかく何かの策を緊急に実施する必要があった。1929年株暴落時、ルーズベルトは当時の金融業;すなわち米国内銀行を3週間閉鎖した;つまり3週間の間、米国経済はシャットダウン/凍結されたんだ。ここでル・モンド記事から80年前のルーズベルトの言葉を引用してみる。
"Nous avons des banques en mauvais état. Certains banquiers se
sont montrés soit incompétents soit malhonnêtes (…), ont utilisé les
fonds qui leur avaient été confiés pour spéculer et faire des prêts
déraisonnables"
以下意訳:「われわれは劣悪した銀行を抱えている。能力がないか、あるいは不正直なある銀行家たちは(…)預かった資金を、投機と分別のない貸付にあてた」
* だが、最初のポールソン案は国民一人当たり2000から2300ドルの税負担になるという話が、選挙民の反発を呼んだ。これは政治のプレゼンテーション・レベルでの失敗だ:1929年のように国民が銀行に押し寄せ、現金引き出しを要求するというパニックを恐れるあまり、政府は目前にせまった最悪シナリオを具体的には提示できなかった。つまり、今の米金融焦げ付きが燃え広がれば、社会保障制度(健康保険・年金・教育)の多くを民間が経営する米国の社会システム自体が麻痺する、というシナリオだ。
* 上のスピーチで、ペロシ下院議長はブッシュ政権下で拡大していった「ウォールストリート」バブル、つまり米国から世界に広がったヴァーチャル金融システムの(同時に米共和党政治の)終わりを告げているわけですが、アタクシにはこの終わって行くパーティーとは、実はもっと規模が大きいんじゃないかと思うわけです。
たとえば、ドルが世界経済の中心になったのはWW2後のことだし、そのドル機軸経済戦略はニクソン・ショック(ボルトン・ウッズ体制から為替変動性への転換)でさらに強化され、ウルグアイ・ラウンドで貿易自由化が促され、1990年代にはグリーンスパンの金利引下げ景気回復策で世界中にドル資本がだぶつくという状態になったわけだ。
* そして、ここから突然自分の話になってしまうんだけど、WW2戦後日本に生まれたアタクシは、幼年期には映画・TVを通じて、それからは音楽・文学を通じてある意味アメリカ文化に育てられたわけだ。もちろんそれは、実際の米国ではない。アメリカ合衆国が経済・政治・文化を通じて展開してきた影響力をもろにかぶって、私の幼児期・少年期・青年期まんなかぐらいまでは過ぎていたのだね。それがひょんな具合にフランスに来てしまった。
今でも、同年代のフランス人と、昔のTV番組や映画や、流行ってたロックやソウルやの話をしても、なんだか今ひとつズレがあって、これが米国の、特に東海岸の同世代人だと簡単に「おお、そうなんだよなあ」ということになる。つまりさ、60年以上の間、日本人というのは、“合衆国ヴァリュー”という箱の中で形成されてきたってことだ。
で、今回の金融危機はアメリカン・ヘゲモニーの終わりのはじめを告げてるんだ。
で、今は、アメリカ合衆国と合衆国が表象するところのものに対して、それぞれの人間が個人的おとしまえをつけるべき時なんだろうな、とも思う。
* ポール・ニューマンが死んだ(ああ、これは何かのしるしだ) 。この夏に若い友人たちと「スティング」と「明日に向かって撃て/ブッチ・キャシディ&サンダンス・キッド」を見たばかりだった。映画のポール・ニューマンは、アタクシが勝手に「アメリカ男の最良の部分」と名づけてるチャーミングさを持っていた。
アメリカを悪魔の国と形容するイラクの主要新聞Hamshahr さえ、一面全部をさいてポール・ニューマン死去報道を載せていたそうだ。
だが、ここ数年のハリウッド映画のひどさ;つまりあの暗さと残酷には、さすが米映画で育ったアタクシでさえ滅入らされた。インディペンデント系映画の数もだんだん少なくなって、あのウディ・アレンでさえ(もう72歳だって、マケインと同年齢なんだね) 、資金と自由を求めてヨーロッパで映画作りをしている。
思えば、最新バットマンThe Black Knight でのゴッダムシティのビル爆破シーンは、911のツインタワー破壊から7年目後のブーメランとでも言うべきウォール・ストリート自爆を、ある意味予告していた気がするですよ。
* さて、まず表層的数字として終わるのは世界を彷徨していたクレジット資本というお化けの一時的収縮であって、それは、エマニュエル・トッドが予言した米国の一般普通な国家化というコーラテラルな現象を伴うだろう。これからは、世界統一政府に近いレギュレーション機構の誕生へと流れるかもしれないし、単純にww2以前の閉鎖的ブロック経済に後退するのかもしれない。
1929年の株暴落から4年後の1933年、米国失業率は20パーセントだったんだそうで、現在の米国もそのトレースを歩む可能性がある。でもそのあと、米国にしろ世界全体にしろ、どちらに転ぶのかは誰にも分からない。これから最低2年は、地球上どこでもかなり大変になるだろう。そして大変な時にこそ大きな変化が起きる。
参考ル・モンド記事:ポールソン案可決にもかかわらず、1929年の亡霊は合衆国を脅かす
次は、日本金融企業の米国金融進出に関する記事:サムライのリヴェンチby ピエール-アントワン・デロメ
* バブル/ブームなんて、多分人類が道具を使い始めた昔からの社会現象であるようだ。かつてオランダでチューリップ・バブル があったように、バブルは人間の想像力と恐れとコマイ希望に直結してるからね。次はエコロジー・バブルだろうとか、ナノ・テク・バブルあるいはロボット・バブルだろうとか、早くも下馬評があがっている。いやはや。
* いつもタバコと新聞を買う地元の店のおっさん が、おととい真っ赤なチェ・ゲバラTシャツ着てるんで、「あれ、なんかティーン・エイジャーみたいなルック。凄いね」と茶化したら「いや、これは今トレンドのアドリュトなんだぜ。アド(ティーン) +アダルトね。つまり一生若いの。お気に入りはローリング・ストーンだもんね」と言う。「あれ、ハーレー・ダヴィッドソンのジョニー・アリディ(注;仏国の国民的歌手) ファンじゃなくてストーンズなわけ?」と聞いたら「いや、昔から好きなのはアメリカさ(ストーンズは英国産だが、とはさすがに言えなかった) 。イエイ!」だそうだ。米経済沈没報で、やっとアメリカ大好きを公言する仏おじさんである。
こんな風に、フランスでの対アメリカ感情にはフランスなりのねじれ方があって、たとえばこのごろのサルコジ仏共和国大統領のあわて方にも、そこいらへんのルセンティモンぶりが見事に出ているのだ。
しかし、新聞屋の店主ではないが、アタクシだってこれからも今夜のようにディランの初期アルバムを聞き続けるだろうし、映画ブロークバック・マウンテンの
イントロ・ギターを聴くたびに泣きたくなるだろうことも分かっている。
ディランが歌うように、ひとつの時代が終わる。この時代の終焉は、米国に限られた
ものではなく、やはりワールド・ワイドにワイルドな終焉なのだね。そしてこの終焉は世界中の人間に記憶されるだろう;ポール・ニューマンの死ととも
に。。。
** ウォール・ストリート発世界金融危機のテクニック面を書こうと思ったのに、ずれてしまった。金融工学テクニック編は当然無理としても、次はたぶん、プロ・ブッシュ現仏政府のあわてぶりと欧州のこれからの課題、それから米国の未来、そしてネコヤ的21世紀モデルについて、これまたアドリブで書いてみるつもり。