récidiver とは累犯あるいは再犯するという動詞であります。名詞はrécidive、累犯・再犯者はrécidiviste。かの peine plancher;ダティ法相が変えたこの仏刑法システムの対象者が累犯者でありましたね。
はっきり言ってサルコジにはあきあき、いいかげんうんざりしてるわけですが、なにやらいつのまにか(書き手の意志によるものではないにもかかわらず)当ブログすっかりサルコ専門に成り下がってしまった。
しかし毎日よくあきもせず、あーゆークダラン破壊行為ばかり続けられるものですねえ。「かまってかまって病」だと思ってたんですが、それにしてもアイツは限度を知らない。「かまって病」などという、単なる大人になりそこなった症候群の粋をはるかに越えてる。まともじゃない。
昨夜はCrif(Conseil représentatif des institutions juives de France; 仏最大のユダヤ人団体)の夕食会におもむいて、サルコはまた宗教・道徳論をかましたのだった。というわけで、これが書かかずにおらりょうか。。いってみます。
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ギー・モッケの手紙を高校で読ませるウンヌン策があれだけ批判され、多くの教師や両親たちは“不服従運動”を起こして無視、さらには仏ラグビーチームまでコーラテラル・ダメージを受けたというに、今回サルコは、全国小学生のCM2(10-11歳)に、ナチス収容所で犠牲になった子供たちの記憶を教えさせるつもりである。以下はル・モンドから。なおアタクシにはサルコの意図しているところが分からない。だから訳はきわめて暫定的なものであります。
Il a aussi annoncé son souhait de voir confier à chaque élève de CM2 la mémoire de l'un des 11000 enfants français victimes de la Shoah, à la rentrée 2008, dans le cadre de la lutte contre l'antisémitisme.
また、(サルコジは)反ユダヤ主義に対する運動の一環として、2008年新学期より、ショアの犠牲となった子供たち11000人のうちのひとりの記憶(メモリー)作成をCM2年のすべての生徒に課すことを強く望むと宣言した。
多くの教員と両親が不安の声をあげている。これはコメント欄でアラート入れてくれた(10歳のお嬢さんを持つ)K夫人の意見ですが、10歳ではまだまだユダヤ迫害の事実を受け止めるだけの精神的強さを持っていない。おまけに同年代の犠牲者の話ですから、インパクトはさらに強いわけです。
ここで問題になっているのは、mémoire(記憶)です。歴史(histoire)ではない。
---翌日追加分:以下はマリアンヌ副編集長Nicolas Domenachが引用したサルコの言葉です。 Peut-on prendre une tragédie par la main ? から、
« Rien n'est plus émouvant pour un enfant que l'histoire d'un enfant de son âge, qui avait les mêmes jeux, les mêmes joies et les mêmes espérances que lui »
「ひとりの子供にとって、同じ年齢の、同じ遊びをして、同じ喜びを持ち、同じ希望を抱いたもうひとりの子供の話(histoire)ほど感動的なものはない。」
ここにあるのは、histoire(歴史)とhistoire(ストーリー)、感情と判断の、そしてなりよりも、教育と国家との、極めて危険な混同があると猫屋は考える。以上追加分終わり。----
学校で教えられるのは歴史だと思うし、そうでなくてもéducation civique という科目もあって、すでにモラルやcivisme(市民意識)は、各学校・各教師によって教えられている。それで充分だとアタクシは考えるわけであります。なにも、全国共通内容を義務として課す必要はないだろう。すでに満杯のカリキュラムを、そんなイヴェントで潰すよりは、たとえば10歳の子達にもっと(楽しく)本を読もう、ってキャンペーンしたほうがよっぽどためになるだろう。
だいたい、選挙運動中サルコジは、フランスはファシズムを経験しなかった幸運な国だとかなんだとか、トンデモない発言をしているわけです。ギー・モッケを、また占領ドイツ軍が頼みもしなかったユダヤ人子弟を、リストアップし逮捕し、ドイツ軍に引渡したのは当時のフランス警察なわけであるのに、サルコジはその事実にはまったく触れない。
ギー・モッケの場合もそうですが、その手紙を読んで涙するのは簡単でも、その手紙がどういう状況で書かれ、どういう意味を持つのか判断するには、高校生であっても経験のある教師と、信頼できる資料と、長い時間が必要でしょう。歴史、とはそういうもんだろう。
ショアを扱おうとしたら、それにも膨大な時間と労力とある種の“センス”が必要だし、それも10歳の子供相手にそう簡単にできる仕事じゃあないのは目に見えてる。だいたい、感情を抑える、つまり距離を取ることなしでは“歴史”は扱えないはずだ(これは犯罪と法の関係にも似通っていると思う)。
サルコジは、決定的に、compréhension;理解・寛容のレベルで、大きな欠如を抱えている。
さらに、なぜショアを扱って、奴隷制は扱わないのか。なぜクメール・ルージュの犯罪や、ソヴィエトの収容所、アルメニア人虐殺、文化大革命は扱わないのか。。。同じクラスの中に、ユダヤをはじめアフリカ・東欧・ベトナム・中国・カンボジアetc.etc.をオリジンとする子供たちが共生している状況を、実際に理解しているとは思えない。
ヌイイの蛙、世界を知らず。
電話でK夫人から「なんで10歳のこどもに教えるわけ?」 と聞かれた猫屋は「カルラの息子が10歳だからじゃないか」としか答えられなかった。
解説:カルラ・ブルニはl'exprese のインタヴューで、オプスsms記事に関して、個人情報のウェブでの報道がユダヤ迫害の時代にあったら、密告に使われただろうといった内容の発言をしてオプスから抗議を受けた。昨日彼女はエクスプレス誌上で謝罪している。
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そしてライシテである。またやった。
20minutes がすばやく明解な記事をネットに掲載してたので、そこから抜粋してみたい。Nicolas Sarkozy précise sa conception de la laïcité
«Le drame du XXe siècle, de ces millions d'êtres projetés dans la guerre, la famine, la séparation, la déportation et la mort, n'est pas né d'un excès de l'idée de Dieu, mais de sa redoutable absence.»
«Si les religions sont impuissantes à préserver les hommes de la haine et de la barbarie, le monde sans Dieu, que le nazisme et le communisme ont cherché à bâtir, ne s'est pas révélé tellement préférable»
«Il n'y a pas une ligne de la Torah, de l'Evangile ou du Coran, restituée dans son contexte et dans la plénitude de sa signification, qui puisse s'accommoder des massacres commis en Europe au cours du XXe siècle au nom du totalitarisme et d'un monde sans Dieu»
«Jamais je n'ai dit que la morale laïque était inférieure à la morale religieuse (...) Je défends l'idée que les deux morales sont complémentaires.»
«Jamais je n'ai dit que l'instituteur était inférieur au curé, au rabbin ou à l'imam pour transmettre des valeurs. Mais ce dont ils témoignent n'est tout simplement pas la même chose. Le premier témoigne d'une morale laïque, faite d'honnêteté, de tolérance, de respect. Que ne dirait-on pas d'ailleurs si l'instituteur s'autorisait à témoigner d'une morale religieuse? Le second témoigne d'une transcendance dont la crédibilité est d'autant plus forte qu'elle se décline dans une certaine radicalité de vie»
最初の一節だけ訳してみると『何100万という人々を、戦争・飢餓・別離・強制収容に陥れた20世紀の悲劇は、神の概念の過剰から生まれたのではなく、その恐るべき不在によるものだ。』
なんだか、米国のTVエヴァンジリストか、ハリウッド映画に出てくる安物の新興宗教のおじさんみたいな言葉です。全部訳す気分になれない。
なお、ル・モンドによる要約とアンリ・タンクによる関連記事は以下、
LE MONDE | 14.02.08
また今日発売のヌーベル・オプセウバトールの特集は、期せずして “Dieu et la République/神と共和国” でありまして、サルコジと神の危険な関係がサルコの人脈解説も含めて書かれています。
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あー、怒ったら肩凝った。
今日のおまけです。サルコ尽くしですみません。ネブロ・キューブリック特集やりたいのにぜんぜん時間ない。。。猫屋が愛するフランス国の危機なんだから、しょうがないといえばしょうがないんだけどね(猫屋のブログがなんの役に立つんだ、、という疑問はあるわけですが、それにしても、なんもせんで、指くわえて見てるわけにも行くまいよ)。
下は、AGV(TGVの新しいプロトタイプ)を査察するサルコジ報道画像ですが、スパーポーズで大統領の“アタマの中”が書き込んである。列車ヲタク氏作の模様。