今夜はまったりTVでシドニー・ポラック監督、ロバート・レッドフォード主演の映画《コンドル》を、もう3回目かなあ、また見ていた。CIAの話だが、1970年代の米国映画は実によくできてる。おまけに、今見てもまったくテーマが古くなってないところがこわい。
ノンビリとPCを付け、ネットを見れば、ガーディアンのライヴ・アップデイトが復活しております(まだ自分は全部は読んでません)。
Egypt in transition - Sunday 13 February
市民蜂起を、トリッキーに政治内軍事クーデタに仕立て上げ、手打ちにしたいエジプト軍隊が、またしても鉄の腕を上げそうなのだ。あのタハリール広場に残った抗議派を軍はどうしても追い出したいらしい。抗議派は、実際に選挙が行われるまでは絶対動かんと譲らない。ムバラクが去っても軍が延々と"business as usual" でエジプトを仕切るのでは、多くの犠牲者を出して、革命をおこした意味がないではないか。
では、今誰が実際にエジプト軍権力を握っているのか。エジプトの国家構造・経済構造は軍とその天下り組みが押さえている。汚職と買収は長年の軍支配で増加、飽和点にまでいたった。そのシステムをつかって、ムバラクは30年であの資産を築き上げたんだ。
エジプト軍内部で起こっている抗争についてはエジプト政治専門家でさえ《5年たってみないと実情は分からない》という。
去る木曜のムバラクTV演説の前に、CIA長官とエジプト軍上部の人々が口を合わせて同夜のムバラク退陣を予告したが、ムバラクが自分の口から発表したのは、実際権力の副大統領スリマンへの移行と、自分がシンボルとしての大統領に居残るという声明だった。
ムバラクの木曜のTV演説は録音されていたもので、放送時ムバラクは市民が大統領官邸に押し寄せることを予想し、すでに家族とともにカイロを発っていた。
翌日金曜、ムバラク(+スリマン)退陣をあくまでも要求する群集はこの18日間最大の動員数でエジプト全土を揺るがす。軍は、これに答える形で、ムバラク(+スリマン)の退陣と、軍評議会による暫定政権確立を宣言した。
アタクシが想像するに、木曜の時点では米軍、あるいはCIAとエジプト軍によるディールは出来上がっていた。米国はムバラクのサウジへの亡命を膳立て、たぶん後任にはCIAと関係の深いスリマンを命名していたんだろう。だが、30年の間米国への忠実と引き換えに権力をほしいままにしたムバラクは最後の抵抗をする。“外国勢力”について最後の演説で3回批判したのも、米国に見放された事実に対する彼なりの報復だったとアタクシは思う。あるいは、金の延べ棒とその他の移動可能な資産(総資産は推定で最高700億ドル)を、安全な場所に移す時間がさらに必要だったと考えることもできる。
金曜にCIA長官レオン・パネッタは、木曜の時点でムバラク退陣を予告した理由について、『TV報道を見てそう判断した』と答えている。これはCIAの情報網(あるいは影響力)がまったく機能していない印ではないとしたら、パネッタの嘘だろう。
今アタクシが知りたいのは、たった一日にせよ副大統領から最高権威の椅子についたオマール・スリマンがどこにいて、何をしているかだ。
ムバラク退陣の時、アル・アラビアは同時にスリマンの退陣を報道している。だが、ムバラク政府に近いメディアのアル・アラビアがスリマン退陣をすばやく報道した理由はなんだろう。
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オマール・スリマン(74歳)がエジプト政治界に公に登場するのは2001年からのことである。それまではあくまで影の男だった。彼を知る人々は、彼がインテリジェントで冷たく、有能な男だと評価している。カイロの軍事学校をでたあと、彼はモスクワでの軍事教育を受け、エジプト諜報部で20年のキャリアを積んでおり、米国での軍事(諜報?)教育も受けている。CIA元長官テネットとは友人関係にある。
1995年、エチオピアのアジス・アベバでのムバラク暗殺未遂事件でムバラクを救ったのがこのスリマンだ。
CIA:クリントン期のはじまり、ブッシュ期に強化された“Rendition to Torture” のちには単に“Rendition”と呼ばれブッシュの“War contre Terreur”戦力の一部をなした、容疑のあるものを法的手続きなしで逮捕し、尋問のために拷問が禁止されている米国本土ではなく“容疑者”を、米の友好国へ移送し尋問させるシステムだ。みなさんも覚えておられるであろう。
この米国からのRendition をエジプトサイドでオーガナイズしたのがエジプト情報局長官スリマンだ。ベン・ラデンと個人的なつながりのあった“アルカイダ”のリビア人Ibn al-Shaykh al-Libi (1963年生まれ)の尋問に立会い、自ら拷問を行ったという話もある。さて、このアル・リビの話もかなり複雑だ。
パキスタンでパキスタン政府に捕まったアル・リビはまず米国のBagram基地に送られ、その後ニューヨークのFBI2名のエージェントから尋問を受けることになるが、ここでFBIとCIAのテリトリー争いがおこる。結局CIAの手によって、アル・リビはカイロに送られる。
カイロでの尋問でアル・リビは、イラクがアルカイダに化学およびバイオ兵器を引き渡したと自白(のちに、嘘の自白をしたのは拷問に耐え切れなかったからだと語っている)。この自白が2003年に国連安保理事会でパウエルの大量破壊武器説のベースになった。
テネットは、イラク戦争開始にいたる経過の責任を取らされて2004年に辞職。また、アル・リビはその後リビアに移送され2009年に牢獄で死亡している。発表された死因は自殺だが、これに対しヒューマン・ライト・ワッチは異議を唱えている。またアル・リビの死亡前後に、スリマンはリビアを訪れている(アルジャジーラ)。
(猫:30分ぐらいネットで探しただけでこれだけの情報が出てくる。反面、なんでCIAものの映画がこんなに多いのかも理解できるな。ありゃ米国の本質だ。) スリマンは英語を流暢に話し(ロシア語はどうなんだろうか)、物静かで葉巻を愛好するジェントルマンだが、まわりからは恐れられていたそうだ。この人、映画化されるでしょ、いつか。
なお、この記事を書いた記者Jane Mayer は同じテーマでThe Dark Side という本を出版している。
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と今夜の話はここでおしまい。時間切れ。エジプト軍のことと、人民の力はとにかく数だ、という話も書きたかったんだけどね。また今度。
追加参考;今日日曜日は一日市場に行ったり、料理したり(地鶏をきのこと一緒に鋳物の厚鍋で煮込むヤツとチーズケーキ+リンゴのコンポート)、TV見たりでてネットは見てなかった。
今読み始めたところだけどよく書けてる(ガーディアン12日):Egypt: how the people span the wheel of their country's history
(猫:もうチキンなル・モンド読むのやめてガーディアンにシフトしようかと一瞬思ったけど、英語読みは仏語よりもっと時間かかるのだ。)
あともうひとつ:ポール・ジョリオンのブログでブロガーたちが1989年以前のポーランド・ハンガリーとゴルバチェフURSSの関係と、今のチュニジア・エジプトとオバマ米国の関係を比較している。興味深い。かつてURSSがアフガン戦争で疲弊し、サウジの石油生産増大で石油価格が下降、資金難になって帝国解体にいたる過程と、米国がイラン・アフガン戦争、工業生産中国移転により借金国家になっていく図式がかさなる。。。
Une Histoire de Donimo (Egyptiens) par Zébu
もうひとつ:アルジャから、エジプト蜂起を起こしたもうひとつの原因は米金融 (←猫:やってるのはアメリカばっかりじゃないぜ)スペキュレーションによる価格上昇、という記事。
The hidden roots of Egypt's despair - The economic crisis is driving political protests sparked in part by US financial speculation.
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