なんかこの頃元気が出ん。待っても待っても滞在許可証の更新通知は届かない(必要書類郵送したのはもう4ヶ月前)、就職戦線氷河期(というかそれ以下;サービス業でわずかな求人はあっても労働条件・給与はどんどん悪くなってる)、先々週の雨戸の故障(修理代422euros)に続き今日は、再開した水泳に出かけてる間に洗濯機の水漏れで風呂場が洪水でありました。。。クサルよなあ。
そこで、ル・モンドに掲載されてた哲学者オンフレの『大統領に宛てた手紙』を訳してみることにした。ちょっと長いんだけど、オンフレの翻訳はやったことないし、こういうコマイ頭脳作業は、とくに怒れる男オンフレの文翻訳は元気の素になるかも知れない。なお、カミュの文章引用部は当座猫訳いたします。
この手紙が書かれたバックグラウンドの解説:サルコジ仏共和国大統領は作家アルベール・カミュの遺骨をパンテオンに移したいと発表したんだけど、今のところカミュの家族がそれに同意できないと反応(特に、息子が政治的な目的のためにカミュの名を利用してくれるなと言ってる)。AFP参考記事:Réactions hostiles à l'idée de Sarkozy d'installer Camus au Panthéon
大統領閣下、カミュジアンにおなりなさい! ミシェル・オンフレ ←(訳注;カミュジアン=カミュ主義者)
Monsieur le Président, devenez camusien !, par Michel Onfray
ル・モンド2009年11月24日
大統領閣下、時間があれば読んでいただけるかもしれない手紙を書きます。あなたはカミュの遺灰をパンテオンに迎えたいという望みを述べた。誰もが知るように、この共和国の殿堂の入り口には以下の言葉が刻まれている:『偉大な人々に国家は敬意を示す』。確かにカミュはその生においても作品においても偉大な人間であったし、このかつての文部省給費生へ国家から送られる敬意は、モデル不在の時代のモデルとなるかもしれない。しかし、あなたの意向はどうして間違っているのだろうか?
なぜなら、カミュは短すぎたその一生の間、歴史を生きつつも一度も間違いを犯していない:まず、思想的にヴィシー政権に近寄るという間違いを犯さなかった。さらには:占領への抵抗軍参加への希望を2度にわたって表明しながら健康上の理由で拒否されたものの、他の哲学者たちとは違い、レジスタンス運動に名を連ねた。同様に、東欧への全的評価のため西欧社会の自由を批判した人々にも加わらなかった:ソヴィエト政権とも毛沢東主義ともかかわらなかった。
カミュは、すべての恐怖政治、すべての死刑、すべての政治暗殺、すべての独裁政治への反対者であり、彼の思想を用いてギロチン・殺人・強制収容所を正当化しようとするすべての意図を例外なく退けた。そのためにこそ、他の人々がその小人ぶりを現さざるを得ないような時、彼は偉大だった。
けれど、大統領閣下、どうやってあなたのカミュへの熱情をを正当化するのでしょうか。スェーデンでのノーベル賞授賞式スピーチで、カミュは教師ルイ・ジェルマン/Louis Germain へオマージュを捧げた。教師は、貧困という出生環境からカミュが文化・書物・学校・知を通して脱出することを助けた。思い起こしていただきたいが、2007年12月20日にラトラン宮にてあなたはこう言った:『価値の伝達と善悪の区別を教えることに関して、教師が司祭の代わりをなすことは決してない。』 けれど、カミュがカミュとなったのは、クレーヴの奥方のおかげであって、聖書のおかげではない。
同様に、大統領閣下、国家を体現しているあなたが、アメリカかぶれの骨頂をこれ見よがしに見せつけることを、どう正当化するのでしょうか?あるときには、そのジョギング用Tシャツがあなたはニューヨーク警察を愛していると示していたし、別の折には、大統領になって初めての休暇をアメリカの億万長者たちが集まる保養地海岸で過ごし、多くのジャーナリストを前にあなたは上半身裸の姿で現われた。また別の機会には、ジョージ・ブッシュに向かって、いかにブッシュのアメリカを愛しているかと伝えている。
しばしば半身不随者たち(訳注;脳半分が麻痺してる連中の意と思うがここは直訳)によって単に反マルクス主義者と紹介されるカミュだが、実は手強いアンチ・アメリカンでもあったことをご存知か。これは彼のアンガージュマン全体に意味を与えている。彼がアメリカ人民を嫌っていたわけではなく、自由主義形態をとった資本主義、王たる金の凱旋、大量消費信仰、市場ルールの全体化、アメリカ政府の特徴である地球全体に課す自由帝国主義への嫌悪を、彼はしばしば語っている。これが、あなたの愛するカミュですか?それとも、アクチュエル/Actuelles での、『一般大衆と労働者の真の民主主義』 『トラスト(巨大企業)の容赦ない破壊』 『われわれのうち最も貧しいものたちの幸福』 を語るカミュなのだろうか?(Œuvres complètes d'Albert Camus, Gallimard, "La Pléiade", tome II, p. 517)
そしてさらに、大統領閣下、2008年7月にテレビカメラの前で、『これ以降は、フランスにストライキがあっても誰も気がつかないだろう』と笑いながら宣言しつつ、どうやって同時に、労働組合運動を、怒れる労働者の力を、大衆の要求のパワーを賛美してやまなかった思想家の名誉を讃えようと欲するのか説明していただきたい。なぜなら人々は、反抗的人間での独裁およびマルクス-レーニン批判を優先し、- フランス人の共同無意識に入り込んでいるサルトル式背徳だが - ポジティヴな面を忘れた...そこにはフランス・イタリア・スペインのアナーキズム思想への賛辞があり、コミューンへの称揚、特に、『太陽の思考』 と提示された『革命的組合運動』への熱い擁護がある。(t. III, p. 317)
絶対自由主義の『新しい反抗』を呼びかけるアルベール・カミュを、あなたはパンテオンに祭りたいのだろうか? アクテュエルII(t. III, p. 393)で、『所有の形体』を疑問視していた人間を? なぜなら、1952年における絶対自由主義のカミュは一時的なものではなく、死亡する8ヵ月前の1959年にブラジル・アナーキスト雑誌 Reconstruir でも、こう肯定している:『権力はそれを有するものを狂気に陥れる。』(t. IV, p. 660) では、アナーキストを、絶対自由主義者を、革命的労働組合の友を讃え、権力はそれを所持するものをカリギュラに変えると主張する政治思想家を賛美しようと望むのですか?
同様に、大統領閣下、あなたはこの2年間、殺傷・大衆独裁・対立者投獄・国際テロリズム支援・マイノリティ人民の肉体的的破壊で名高い国家元首たちを、時には豪勢に招待した。だが大統領選挙戦での演説では、その上カミュを引用しながら、法も信念もない政治の終焉を約束していた。いったいどうやって、あなたのモラルを考慮しないプラグマティズムと、政治とモラルを決して分離しないカミュ的配慮を両立させるのですか?後者の例を挙げれば、心的原則と、善と、偉大さと、寛容と、友愛と、連帯を配慮するモラルのことです。
事実、カミュは反抗的人間の中で、正義と自由を同様に配慮する『利他的個人主義/individualisme altruiste』擁護の必要性を語っている。私は『同様に』と書いた。なぜなら、カミュにとって正義のない自由とは、最も強いものの野蛮であり、リベラリズムの勝利であり、徒党と部族とマフィアの法である;自由のない正義は、強制収容所の、鉄条網の、監視塔の君臨なのだ。言い換えてみよう:正義のない自由とは、アメリカが惑星全体に押し付けている魂のないリベラル資本主義なのだ;自由のない正義とは、強制収容所を社会主義の真実となしたソヴィエト連邦だ。カミュは正義の社会における自由経済を望んでいた。大統領閣下、あなたがその主権の体現である私たちの社会は、強者のみが自由であり、最も弱い者たちの自由が最も剥奪される不正義社会だ。
カミュが望んだ政治は、最下層に生きる人々のための政治である。それらの人々は今日、労働者と失業者、不法滞在者と不安定労働者、移民と難民、ホームレス と労働契約のない研修生、支配され服従する女性たち、見えないマイノリティと、呼ばれている。彼らにとって、問題は自由あるいは正義ではない。。。それら の息子や娘、兄弟や姉妹は、スペイン人労働組合員、北アフリカから来た労働者、カビリアの貧困者、かつては褒め称えられていたマグレブ移民労働者、つまりカミュが弁護し支援した人々の子孫であるが、あなたの統治下で、彼らは辛い立場にある。この利他主義に乏しく、極めて個人主義的政治を、アルベール・カミュがどう考えるのだろうかと自問したことが、あなたにはあるのでしょうか?
大統領閣下、工場閉鎖前のガンドロンジュにおもむいて、彼らの工場は救われると言ったあなたは、パンテオンにカミュを迎える時にどんなスピーチを語るのでしょうか?カミュは1955年12月13日に『労働者の条件/La condition ouvrière』とタイトルされた記事において、『工員たちを国家収入の管理と補償に直接に参加させる』べきだと書いている。(t. III, p. 1059) 最も知られた2冊のカミュ伝記のみを引用するジャーナリストたちの怠惰が、この哲学者を単なるソシアル・デモクラットにしてしまう。。。
なぜなら、カミュが議会民主主義という賭けに参加したのは、それ以外に手立てがなかったからだ(1955年マンデス・フランスは、本土の血なまぐさい軍隊、あるいは血なまぐさいナショナリスト・テロリストに対してアルジェリア知識人たちにチャンスを与えた)。アルベール・カミュは、革命に対して決して改革を賭けはしなかったが、革命を待つ間の改革に賭けた。もちろん、これらの言葉は語られることが少ない。だが、それがモラルにかなうものである限り、彼は常にそれを信じた。
さもなければ、どのように理解すればいいのでしょうか。1955年6月4日のエクスプレス紙において、当時の独裁が有していたシニスムと日和見主義への支持を断ち切った時、自分でもあきらめ切れなかった革命への考えがその意味を見出したと書いている。そして、その考えは『思想素材を改革し、半世紀に及ぶ譲歩によって衰退し、そして結果として、躍進の中心に自由への不屈な熱望を据える』(t. III, p. 1020) - 反抗的人間は、サルトルのカエサル的社会主義と、自分の絶対自由社会主義の間の対立を形をとっている。けれど、カエサル的社会主義に対するカミュ式批判は、大統領閣下、社会主義全体への批判ではないのです!この絶対自由社会主義は保守派によって無視され、それは理解できるものの、左派によっても無視された。あの時代においてさえ、彼の願望はすべてに否定された。
そして、共和国大統領閣下、あなたは正しい。カミュはパンテオンにふさわしい。そこが、ティパザ/Tipaza - ローマランにある彼の墓地と唯一引き換えにしたかっただろうアルジェの墓地から遠いとしても。。。けれどあなたが、カミュの偉大さとカミュの模範としての有効性へ転向を考える誠実さを、私たちに信じさせるためには、あなたがまずカミュの考えを実践せねばならない(それがパンテオンの共和国的役割ではないでしょうか?)。
カミュがパンテオンにふさわしいように、現実的な、ふさわしい模範を示していただきたい。カミュのように、価値教育に関しては司祭よりは教師を選び;カミュのように法を課す市場価値を信じず;カミュのように労働組合員たちを、労働運動を、ストライキを軽蔑することなく、反対に政治の真実を具体化する労働運動を信頼し;カミュのように正義と自由に配慮する政治を行い;カミュのように最たる底辺にいる名もなく、貧しく、何も持たなず、忘れられ、自分を守るすべもない、決してその声が誰にも届かない人々のための政治行為を目指し;そしてカミュのように、あなたの闘いを絶対個人・社会主義のロジックにかなったやり方で行っていただきたい。。。
それが不可能であれば、共和国大統領閣下、失礼ながらカミュをパンテオンに移すというあなたの言葉は、あなたのイメージ担当コミュニケーション顧問の新しいプランだとしか信じようがない。それはカミュにふさわしくない。であるからには、あなたのカミュ読解が日和見主義的なものではなかったと示していただきたい;言い換えれば、この(カミュ)哲学はあなたの人生を変え、すなわち私たちの人生を変えたはずだ。あなたがそれほどまでにカミュを評価するなら、カミュジアンになるべきです。大統領閣下、私は、あなたがそのように行動し、結果、私たちが別種の革命を選ばないですむような、真なる革命の発起人となることを願っております。
共和国大統領閣下、私の、とはいっても絶対自由的な、尊敬の念をお受け取りください。
ミシェル・オンフレ:哲学者
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この文の最初の部分はボリス・ヴィアンのLe déserteur/脱走兵、から来てますね。この歌はフランスがインドシナ戦デンビエンフーで苦しい戦いをしていた時期に作られてる。ここではジョン・バエズの欧州コンサートでの歌を貼っておきます(彼女フランス語で歌ってる)。
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さてリンク集です。まずは、ビブリオプスの『ル・ヌーヴェル・フィロソフ』とタイトルされた記事で、死後50年、哲学者として認識されるようになったカミュの国際的評価について書いた記事です:Camus, le nouveau philosopheカミュの友人だったジョン・ダニエルが同誌エディトリアルで、サルトルとカミュ、そしてサルトルが拒否したノーベル賞のことなどを書いています:Camus, le sacre 同じオプスにオンフレへの短いインタヴューもある:Michel onfray"Albert Camus est un libertaire irrécuperable"
これは、カミュ辞典を出版したソルボンヌ教授Jeanyves Guérin のインタヴュー:Qu'on laisse Camus à Lourmarin !で、次はル・モンドから。カミュの伝記を書いたオリヴィエ・トッド(エマニュエル・トッドの父)のインタヴュー記事です。でもカミュを哲学者と見るオンフレとはまったく逆に、カミュを作家だと規定していますが、カミュの作品を自分の好き嫌いで分類してるこの評価はなんかイマイチ説得力に欠ける。(これじゃかえってトッド自身の価値体系の不安定さが伺えてしまうというのは読みすぎか?まあ今80歳だしなあ、、)。:Olivier Todd : "Il faut garder Camus vivant. Il permet de réfléchir"