自然探検ものTV番組《ウシュアイア》製作主演で知られるニコラ・ユロとエネルギー専門家ジョンコヴィチのル・モンドによって書かれた記事です。原油価格(NYブレント)は2002年の値段の三倍まであがりました(21日で75ドル)。原油とそのデリヴァティフ製品に依存する文化からどう脱出できるのか、これが問題なわけです。
4月18日付けル・モンド、視点ページから、
“原油の終焉”を準備するべきだ、ニコラ・ユロ とジャン-マルク・ジャンコヴィッチ
すでに始まっているかもしれないアフター原油時代に関する声高な発言があっても、気象変化が直面する脅威であるとしても、私達の日常には何の変化も見られない。
人類が2005年に消費した黒い黄金(訳注:オイル)・天然ガス・石炭の量は過去最大のものだったし、20世紀の地球平均温度上昇の結果、2003年のフランスでは、私達は数日を除いて眠れない夏を経験した。
最初の確信は数学に由来するのだが、結論が気に食わないと言って- 残念ながら!- 無効化できるものではない:もともとのストックが枯渇した場合、原油供給は当初の最高量のあとは次第に減少する。そしてこの結論は石炭と天然ガスにもあてはまる。それでは不可避である原油の減少はいつ始まるのか?(これはメディアティックな表現、『原油の終焉』とは別物である。) 石油業界の答えは - 基本情報を持っているのは彼らだけだ - 2010年から2025年の間を行ったり来たりする。天然ガスと石炭に依存したとしても、化石燃料の数十年を越す消費量増大は数学的に不可能なのだ。
第二の確信は天候に関するものだ:今から二万年前、最後の氷河期最中でも地球気温平均は現在と比べ5℃しか違わない。したがって、一あるいは二世紀という(訳注:短期での)幾度かの地球平均温上昇は気候ショックであって、文字通りに想像を超える結果が、つまり具体的には想定しえない現象をもたらすだろう。実際に、このような急激な気温変化が数十億の定住民人口に影響を及ぼすケースは、大昔にも近過去にも前例がない。特に、気候システムの慣性と大気中CO2の恒常性のために、人類のCO2排出が減少し始めたとしても大気温度上昇は数世紀のあいだ継続する。
にもかかわらず、私達はエネルギーが永遠に豊富で安価であり続けるという危険な幻想を持って生活している。だから(原油の)値段上昇の話が出ると、すぐさまキチガイ沙汰だと声があがるのも当然なのだ!ところで、エネルギー価格の質問自体がすでに回答を含んでいる:本来すべては同じなのだが、その消費が恒常的に上昇を期待される有限リソース価格は、高騰(原文:exploser)に至らざるを得ない。
市場価格が『可能な限り』低く抑えられるとしても、これは良いニュースではないだろう : この場合、私達はCO2を排出しまくり、結果私達の子供(あるいは孫)たちは恐ろしい額の気候領収書を遺産として受け取ることになる。おまけに、だいたい祭りにも参加できなかった彼らには問題に対処するためのエネルギーもさして残ってはいないだろう。同時に、有効な核やリサイクル可能エネルギーも、数十年間で原油・天然ガス・石炭の代替とはなりえないだろう:節食療法(原文:régime)を始めるべき時なのだ。
12世紀の『フランス中間層』に比べ、工業化近代人(原文:l'homo industrialis)はインド富豪のような生活を送っている:最低賃金労働者であろうと学生であろうと退職者であろうと、自動車・家電・セントラルヒーティング・航空機・洗濯機・冷凍庫などと呼ばれる、エネルギー値にして100人の召使を絶え間なく使っている。発生以来すでに数千の世代を生きてきたこの種のメンバーとして、祖父母の誕生時以来実現された感嘆すべき飛躍の度合いと、同時にこの期間人間が環境に対して与えるストレスのファクターが一世紀の間に100倍になったことを、私達はいまだに理解していない。
この前借生活は長続きしないだろうし、その事実を単なる選挙民から - 偽の - 低価格は未来にとっての天の恵みだと考えているらしいミスター・バロッソ(訳注:欧州委員長)まで、そろそろ気がついてもいい頃だ。
何をすべきなのか? 最も恐るべき問題から開放されたと私達が考える時点まで無期限に、すぐさますべての化石エネルギー価格を毎年5パーセントから10パーセント引き上げるべきだ。この累進法は、各消費者と各生産者が、いづれにしてもいつか突然現実化するはずの過剰価格を『予見』しつつ準備することを可能にし、とんでもないショック防止にもなる。
だいたい、1973年のような不況と失業をもたらす石油ショックは国家の明確な衰弱に通じるが、税とは失業も恐慌も作り出さない単純な国家リサイクルなのだ。
過度の失業率は民主主義にとって好ましいものではない:1929年の恐慌が、結果としてヨーロッパ各地での独裁者台頭をもたらしたことを思い出すべきだろうか? そして、絶え間ない成長というコンテキストにあった過去60年間は問題がなかったのだから、私達には独裁政治に対する無期限の免疫があると信じてもいいものだろうか? ことが起こった時、最初に被害を受ける 『慎ましいものたち』 が、逆説的だがまず最初に、私達を脅かすカオスよりは公正な価格上昇を要求すべきなのだ!
税の上昇は国家収入を増やす:いいことではないだろうか。 国家は、私達が必要とする再建設に資金投下できるだろう。エネルギー税は、企業にとって最も重要な安定というコンテキストを与え、結果として企業自体を保護するだろう。少なくとも問題の本質さえ理解すれば、問題は『税をかけるべきか?』ではなく、『どうやったら自分が最初の犠牲者とならないような税制とはなにか?』と考える企業人は多いはずだ。
やってくるだろう災難を避けるために、市民としての誰もが『何か』をすべきだと要求している。消費者としての同じ人物には財布を開く準備はないのだろうか? 経済史は、結局それが私達を美徳に向かわせる代価だと示している。
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ニコラ・ユロ/Nicolas Hulot はTV番組 "Ushuaïa Nature"のプロデューサ。
ジャン-マルク・ジャンコヴィッチは経済コンサルタント。
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4月23日追記:ニコラ・ユロはテレビ局TF1で、1987年以来世界での自然を紹介する番組を作り続け、同時にエコロジストとしての活動や仏政府への働きかけもしている人。参考:Wikipedia 仏語版 ニコラ・ユロ基金サイト
シラクに近い人物としても知られているユロの文を読むと、これはTVメディア人の語法かな、とも思う。けれど、仏自動車産業を初めとするスポンサーの意向、あるいは原子力発電開発に力を入れる政府の意向に影響されやすいだろうTVメディアからこういう発言が出てくること自体が、実際のエコロジー問題の重さを感じさせもしますし、最近の物売りマーケティング作法に対抗するには、このぐらい強い書き方も必要なんだろうとも思える。(でも、彼がここで提出するプランって“統制経済”だと思うんですが、やっぱそこに行くのか。)
関連ル・モンド記事としては経済欄の4月21日記事、
原油価格が高止まりする五つの理由
この五つの理由とは、重要供給関係の緊張、油田開発資金投下額減少、ジオポリティック要因、スペキュレーション、ハリケーンリスクが上げられています。また最近、原油の絶対埋蔵量が信じられているものより大幅に少ない、といった『専門家』の本が刊行されたりしている。確かに、近年のオイル高からメジャーが眼を皿のようにして探しているはずなのに大型油田発見のニュースにはお目にかかってない。OPECも諸国からの産出量増大リクエストに『不可能だ』と答えているわけです。また一般には知られていないかもしれませんが、記事にあるように原油も先物の一種でストック(株)と同じテクでデイ・トレードの対象です。
もうひとつの記事は、これも大問題のアフリカがらみ原油ばなし。4月17日海外ページから、
原油価格はまたしても新記録、しかしアフリカ開発への支援とはならず
アンゴラ、チャド、スーダン、ナイジェリアなど油田を持つ国々が同時に汚職が最も行われている国であり、また市民戦争の起こっている地であったりもする。その現状に関する記事です。
植民地主義者と非難されるフランスはもちろんですが、米国・中国も原油確保をめぐってこの大陸でも激しい競争をしているんですね。映画《シリアナ》で、クルーニーが展開したパズルを想起します。
同時に、チェルノビル核悲劇から20年ということで、ここでは紹介しませんが関連TV番組やプレス記事も多い。不完全な動物である人間が核というまだ未知の部分が多すぎる物質を管理しきれるのかどうか、各国政府は核に関する情報をすべて公開しているのかいないのか。核テロはありえるのか、否か。など疑問は多すぎるわけですが、喉から手が出そうなほどエネルギーの欲しい各国政府や企業にすべてを預けるには危険すぎる主題だと思います。チェルノビル事件直後、フランス政府が出した見解:汚染された雲はフランス国土を避けた、という大嘘は忘れてはいないし、モスクワ政府は汚染がモスクワまで流れる危険を避けるために、人工的に雲を発生させ雨を降らし地域人口が被害を受けた、という話をチェルノビルではしているようです。
オイル・ビジネスが国家中枢に食い込んでいる米国のブッシュ政権は、赴任当初から世界原油管理を通しての世界管理を考えていたのだと思いますが、その結
果がバリル75ドルだ。(陰謀論に組みする意向はありませんが)米国の体現する、経済理論がすべてに先立つ社会観に対して、別のモデルを欧州が示す可能性
をやはり信じたいところです。
昨日より今日、今日より明日がより《暮らしやすい》世界、と簡単に言い切って、そのためにはナントカパーセントの経済成長が必要だ、、、の《暮らしやすい》とはなんだろう、と考え直す必要はあり、なんですよ。ただね、いい職をすでに持っていたりして“客観的”にあしたの地球を考えられる人と、食べるためにはナンデモします、の人の間の壁も存在しちゃうわけです。世界はムズカシイ。
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直接の関係はないリンク:トラカレさん経由の田中康夫・浅田彰の対談「不寛容」が蔓延する時代←一部でフランス状況が語られています。