陽射しは春なのにやたら寒い。冬用コートを着る気になれず出かけたあとでとんでもなく身体が冷え切ってしまう。などとブツブツ言いながら、なかなか会えなかった社会学徒のY子ちゃんと約束したオデオンに出かける。
元気Y子ちゃん、今日はちょっと元気ない。それでも、2回参加したアンチCPEデモの様子を話してくれる。遠征系そして極右系壊し屋の話。4日のデモは授業が心配で不参加、でも行った授業の方は教授が不参加になってがっかりした話。デモ後入ったカフェに催涙ガスが流れ込み、客がみんな涙した話。友達の親が元68年闘士で、当時のカルチエ・ラタンではどうやって街路樹の下の金属覆いをCRSに投げたか子供達にレクチャーする話。まさか自分がデモ参加するとは思いませんでしたよー、と話してくれる。
Y子ちゃんのボーイフレンドは、自称トロツキストのドイツ語圏イタリア人で、ウィーンの大学に登録し、パリ8で哲学を勉強中だそうだが、-- しかし複雑、イメージしがたいキャラだが -- ウィーンに記事を送ってアルバイト代を稼いでいるそうだ。いいなあ。私もトロツキスト化して記事を送りたいわけだが、ドイツ語は書けないのだよ。
サンジャック通りでフォーを食べてから、ソルボンヌ付近に行って見る。広場角番のGAPはウインドーが壊されたままで閉店。広場は今は網状の壁で閉ざされており、中にはCRSがいる。プラカードにカフェ・オープン中と書かれているので、裏道を通って行ってみる。そこも柵で交通止めだが、ポリスに観光客的ニタニタ笑いで(しかしブロークンな仏語で)入ってもいいすか?と聞くと簡単に通してくれる。大学職員は職業IDカードを見せていた。
いつもなら学生がいっぱいのカフェ・タバのテラスも無人。隣のピザ屋でコーヒーを飲むことにしたが、ここでも客は外国人カップルが一組だけだ。ウエイターがテレビをつけて見ている。表ではCRSたちが冗談を言い合っている。
昔は通りの向かいにあったポルノ映画館の階上に一年ほど下宿していた。しかしこんな空っぽのソルボンヌ広場を見たことはない。ポンコツ小型トラックが広場の真ん中でエンストを起こし、エンジンから煙を上げている。それを見たウエイターと観光客は、やっと話題が出来たとばかりに大声で笑いあう。なんだか昔のイタリア映画みたいだ。
サン・ミッシェルを渡って、とは行っても壁があるので大回りをしたわけだが、本屋ジベール・ジョセフに寄る。chaosmos氏に戴いた宿題の勧められたニーチェ本を買うためだ。古本版がない。文庫で5ユーロだが定価を払うのはやはり悔しい。読めば惜しくないけど本当に読むのかなーという自問が悔しさを呼ぶのであろうか。
今気がついたんだが、脳天気にも『新学期だから、安いやつは学生がみんな買っちゃうのかもね。』などと私は言っていた。それについ『そうですねえ。』と答えたY子ちゃんも猫屋に負けず劣らぬ大物であろう。(ちなみにこちらの新学期ははっきり言って秋であります。) なお、解説をすれば通常外国語生活を送る日本人同士が母国語で会話をしていると、脳内日本語パートが活性化してこの手の現象が起こる場合がある。他症例としては、スリにやられる、イヌのウンコを踏むなどがあげられる。
ここで、現役Y子ちゃんから現在仏社会学レクチャーを受ける。ナンタラはブルデュー門下の、でも最近は文化資産は階級に限定されえないとブルデュー批判する学者さん。カンタラは米国大学経由したんでブルデューに嫌われてたけど最近話題の学者さん、アンテルはフーコー系の社会学者さん。。。残念ながら固有名詞は春の空に、飛んでいく。本屋内でもメモ取るぐらいでないと学術はできない。
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シャトレでY子ちゃんと別れ、メトロ14番線でビブリオテック・ナショナル/フランス国立図書館/ BNF に向かう。4月末までのTorah Bible Coran 展を見るためである。昨年暮れの広大で観覧者も多いメランコリー展からの連想で、古書攻めにあったらどうしようという危惧は簡単に消え去った。会場は、言ってみればバスケットボール・コート足すひとクラス分ギャラリーなみ表面積か。入場料はまたしてもの5ユーロ。
ビジターはさすが専門人が多いようで、各展示品の前で10分ぐらいは動かない。教授風女性二人が、えんえんとコメント交換してると、となりの外国語解説読み手=猫屋は気が散って意味が取れない。幸い、初心者用にユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖書解説用PC3台が配置されており、泥縄勉強ができる仕組みである。
さすがにキリスト教古書は教会の宝物室や美術館で見てきた機会も多いわけだが、トーラ・コーランとなると実物を拝見したことはほとんどない。(実は曼荼羅図もかなり好きで、いろいろ見た。) もうひとつ気になっていたのは、数年前にあったクルニー美術館での中世庭園展で、キリスト教圏での庭園図がイスラム圏でのそれに比べて狭い(clos)、逆に言えばイスラム庭園画の持つ、、なんだろう、宇宙性が感じられずがっかりしたことがあるからだ。
残念ながらイスラム庭園図はなかったが、あくまで書に留まるトーラに比べて、またシンボリズムに満ちたキリスト教聖書にもまして、コーランのビジュアル性に引き付けられる。(その牽引力の幾分かは、それがオブザーバーと同じ東洋製であるからという可能性はあるが) カリグラフの豊かさ、そのヴァリエーション、モザイク、色彩(青!)そして自然と人物のありかた;agencement。。。
それぞれの宗教を紹介する各ブースの入り口に、ソファがあってヘッド・フォーンが備えてある。この三つの一神宗教音楽を座って聞ける。(三組の音楽を聞きながら、般若心経が思い出されたりもするわけだ。)
この三つの宗教が同じ母体から生まれ、またそのためにコンフリに入っていく過程は、だいぶ前のヌーベルオプス紙別冊(La Bible et le Coran : janvier2004)で読んで大筋は理解しているつもりだ。今回の聖書展はエステティック性だけを見てきた。(人生はすべてを読み込むには短すぎる。)いつかサマルカンドに行ってやるぞ、という昔の夢を思い出した。
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追記:上にリンクしたBNFサイトでかなり詳しい解説と作品が見られます。かえってサイトのほうが精密な印象あり。
人生はすべてを読み込むには短すぎる>箴言ですね。。。
投稿情報: 天神茄子 | 2006-04-13 09:15
人生はすべてを読み込むには短すぎる、せめてお酒を飲みましょう。と続けるとこれは演歌ですか。ちなみに『せめてお酒を飲みましょう』は『さよならだけが人生よ』と同じで、便利な言い回し。かなり使えます。
ほとんど書き終えたブログがミスタッチで消えてしまった、せめてお酒を飲みましょう。
アッシジにもう一回行ってみたいもんだが、せめてお酒を飲みましょう。
パリの桜もそろそろおしまい、せめてお酒を飲みましょう。
最後に『春の宵』をつけると、ますます日本度がまします。
投稿情報: 猫屋 | 2006-04-13 13:53
「せめて酒飲まん 春の宵」と言い換えてみると漢詩感も漂いますね。
BNFのサイト、新旧聖書とペルシア画文書(+仏教美術+江戸春画)に並々ならぬ興味を持つうちの同居人がご紹介を感謝いたしておりました。なりかわりまして御礼申し上げます。
天神茄子様の連載も瞠目しつつ拝読しております。上の猫屋さんのオー嬢さま記事ともども、この界隈は脱性化どころではありませんでした。。。
ひとまずお礼まで。
投稿情報: imasaru | 2006-04-15 04:46
あ、土居まさるさんだ(笑)。ご無沙汰しております。
なんかこっちはどうしてもドドイツになってしまう、春の宵。
天神さんの隠れファンがいるんだあ。巨匠もよろこんでおりましょう。
BNFサイト、かなりいいんですよね。現場の方は案外あっさりとした感じでした。
これからも美術系でいいサイトあったらこまめにクリップだけでもしたいと思います。
なかなか、美術展には行かないんですが。
投稿情報: 猫屋 | 2006-04-15 23:15