自分のブログを久しぶりにチェックしてみたら、最後のログが5月の始め。だから、もう一ヵ月半書いてなかったわけだ。
いや、あたくしはいたって元気です。昨年の暮れから(ことによったらもっと前のユーロ危機勃発あたりから)、テュニジア・エジプト蜂起、そして3月の日本東北地震と津波、福島原発ととんでもないことが連続して、ネットに張り付いていたのと、パリ-東京を2回も往復して、身体中がゴチゴチに固まってしまい、一時は痛みで寝られない時期もあったけれど、久しぶりに水泳を再開、あの痛みはすっと消えた。
ただ、一歳半年下の弟がこの5月に死んでしまった。2年半前にガン(ステージ4)と診断され、手術も受け、いったんは退院もしたんだが、術後一年もしないまま再発。最後は、緩和ケアに7ヶ月入院ののちのことだった。
ある週末、日本の父から「あぶない」というメールが入って、急いで火曜のエアチケットを取った。出発当日シャルルドゴール空港に向かいこちらの自宅を出る前に携帯で電話をかけたら、姪っ子が「30分前に」亡くなったと泣きながら伝えてくれた。
とにかく飛行機に乗り遅れないよう、あわてて詰めたスーツケースに鍵をかけ急いでアパートを出たんだが、1階のエレベータ前で2階に住むシモンの「父さん」にすれ違い、「弟が30分前に死んでしまって、これから日本に帰るんだ」と言ったら、「Merde !」と返ってきた。
ほんとうにMERDEだ。クソだ。
そんなわけで、弟は死んでしまった。
会えなかったけど、2月にはちゃんと話もできたし(あの時は弟がアタクシに会いたいというので飛んで帰ったのだった)、弟の2人の娘たち(姪っ子)も、この2年半で急に大人になった。弟が心配していた下の子の就職内定も決まった。(姪っ子たちには、東京の汚染が心配だから、いつでもパリにおいでとは言ってあるんだが、仕事があるとそれも難しいのだろう、、)。
斎場で遺骨を拾って、でも下あごのガンだったから、とった顎半分の補正だったチタン製顎枠がきちんと残っていた。
「ほらほらこれが僕の骨」と弟が言っていた。
あいつは、なんだかんだ言ってスポーツやってたからな。骨癌だが、それでも大腿骨なんかしっかりしたもんだった。しかし、よく2年半もがんばった。
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手元に小さな白黒の写真がある。夏の婆ちゃんの庭で、母と3歳と1歳半ごろだろうアタクシと弟と、犬の「アカ」が写っている。アタクシはなにやら上機嫌で笑って、弟はちょっとすねて母に甘えている。当然だが母は若く、かつての庭には松やらなんやらの樹々が勢いよく植わっていて、白黒なんで色は分からないが花々も咲いている。
楽しかったなあ、あの頃は。でも母も50代の始めに亡くなったし、もちろん婆ちゃんも「アカ」ももういないし、あの庭もすっかり様変わりし、残っているのはアタクシだけだ。
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弟の49日も過ぎた。
巣鴨の寺での法事に行くのは、今回あきらめた。あの往復の飛行機と、がらんとした成田空港と、暑い今の東京の街を考えるとなんともゲンナリしてしまう。許せ:弟。
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で、福島第一系ネット情報を追っていても、あまりのひどさにこっちの身体は凝りっぱなしだし、夜はよく眠れないし、先週半ばに思い立って小旅行に出ることに決め、相棒と週末のローマに行ってきた。ネット・新聞・TVなしの4日間天気は上々、ローマでのんきな観光客をやってきたよ。(弟の分まで)うまいものもたくさん頂いた。「人生は生きるに値する」ってな気持ちになれた。
次ログはこのローマ旅行について書きます。
米国財政問題、ユーロ問題、原発系、行き詰まりの仏政治などについても、まあなんともどこから始めていいんだか分からないほどめちゃくちゃなんだが、もう少し考えてから書いてみます。
では、また。