Lorsque le sage montre la lune, l'imbécile regarde le doigt.
賢人が月を指差しても、愚か者は賢人の指先を見る。
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月のはなし続きで書けば、一時帰国した日本の実家でびっくりしたんだけど、みんな十五夜の月をTVニュースで見ていた。あるいは、歩いて20分ぐらいの川沿いでやってる花火大会を、外出せずとも物干し台にあがれば肉眼で見られるのに、ワイド画面の液晶TV上の花火を無言で見つめている。
たぶん、みんな疲れすぎなんだ。
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いつか書いたけれど、アフガニスタンで取材するジャーナリストに向かって、ある住民が「あなたがたは時計を持っているが、私たちは時間を持っている」と言ったと、どこかの記事で読んだ。
つまり、金(マネー・キャッシュ)でも金(キン)でも、時計や宝石や自動車とかも(たぶん物としての他者も)おなじ図式となるんだろうが、実に人間というのは何か(金、時計、宝石、自動車etc.)を所有することでジブンがえらくなったと信じるが、実は、逆にその物に自分が所有されていることに気づかない。
これって、
例:時計フェチシズムは、時間を所有・管理しているという幻想である。
のように書き連ねたら、一冊の本になるなあ、と2ページ分ほど書いてみたけど、なんだかむなしくなってやめた。人のサガを結果論として文章化しても何も面白いことはない。
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アタクシ的ユウレカ
ヴァーチャルもリアルの一部をなしているのだと言う結論に、数ヶ月にわたるぼんやり思考の末たどり着いた。では、真なるリアル/現実はどこにあるかというと、たぶんメルロー・ポンティ的な(ちょっとヒロマツが混ざってる)現象論がやっぱ有効かな、と思う。現象はそこにある:無傷で。だが、人がその現象に触れる、あるいはその現象に見いる、あるいはそれを語る時、現象は一般的アタクシの個人性(個人的歴史・教育・歴史的偶然・想像力・願望・つまり生)との結晶(ぶつかりの瞬間の動き)となりリアルを形作る。したがって、ヴァーチャルはアタクシなるもの(あるいは時代精神)に従属するにしても、現象から発生したリアルの部分をなす。---で、いいのかなあ。次は時間性についてボンヤリ考えてみる。
で、勝手に演繹すると、現行の経済・金融危機の発端であるクレジット・バブルが、ヴァーチャルな世界金融数字空間拡大に起因したとして、今後ヴァーチャル金融空間自体を封鎖するなり否定するなり規制管理するなりしても、ヴァーチャル金融自体が実質経済内にある以上、実質経済システム全体の誤謬なりその構造自体なりを変えない限り、問題解決は望めないだろう。過度なスペキュレーションを引き起こした該当者を罰してことが収まるものではない。
もうちょっと別のレベルで進めると、システムを共同幻想として定義するには無理がありすぎる。ヴァーチャル(幻想)をヴァーチャルであるからと否定、あるいは疎外することは、腹の減った子供に『おまえは、鳥の丸焼きを食べたばかりなんだから、腹は減ってない』と唱えるようなもんだ。。。。
そして、時としてヴァーチャル(あるいフィクション)が現実を凌駕することになる(例:911)。過去はそういったプロセスを経て現在となったし、現在はそうやって未来の過去となる。人の認識(あるいはナントカ学)はその流れの後を追い、たとえば経済モデルをこさえたりするわけだが、それにしても明日何が起こるかは誰にもわからないんだ。
まあ、生とは実験なんだよね。この実験をうまくこなすことが出来たら次には、生はアートだと言ってみたいもんだ:へへ。
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サルコ、『病コウコウに入る』。
金融危機後の株暴落当初には、仏共和国現大統領のハイパーアクティヴぶりがトリックスター的に機能し、今回の試練を期に英国および旧欧州内各国間の距離を縮め、EUの共同体としての基盤を強化し、同時に世界にむけて非米国的なもうひとつの価値を提示しえるんじゃないか、とも一時は思った。
しかし、なんだ、あれ。エコロジー系雑誌 Terra Economica によると、サルコ一人で一年間に7061トンのCO2を大気中に排出しているんだそうだ(平均的フランス人1000人の1年分排気量、あるいは汚染度小の小型車スマートだったら地球を1750回走り回る時のCO2排気量)。参考:Exclusif : le bilan CO2 de Nicolas Sarkozy
おまけにサルコがばら撒いてるのはCO2ばかりではないからねえ。とにかく、あの顔や声が出てきただけでTVやラジオを消す、という人間はアタクシばかりではないだろう。
その上、多分当局とのお約束なんだろうけど、毎朝のル・モンド無料版ウェブページ最上部にサルコ・フォトショップ施工後写真が載ってる(おまけにページ真ん中ぐらいには大統領今日の演説って映像へのリンクもあったりする)ので、思わず別ウェブページに逃げることとなる。なお、株価指数グラフも、cac40やダウ・ジョーンズが上昇した時だけル・モンドウェブに登場するという不可思議な現象も見受けられる。
銀行救援策や中小企業支援対策とは別枠に、サルコは経済危機対策として資本投資に対する企業税を廃止(また税収入が少なくなる)とか八方美人的に打開策を打ち出し、同時に増税はしない方針らしい。だけど、まあ、援助の対象である銀行や企業の経営が持ち直し、政府からの借金を金利つきで返せるならばいいが、今回の経済危機に発する(あるいはそれ以前からフランスに居座っていた)不景気が長期化した場合、援助財源となる国債+金利は、外国国家資本を受け入れないとすればどうしたって国民(+移民)負担となる。反面、具体的な景気刺激策あるいは社会政策はなし。
米国が長い間やってきたドル刷りすぎ借金実質目減り作戦のように、インフレに頼れば政府にとって財源赤字も怖くはないのかもしれないが、失業率と物価高にはさまれた国民(+移民)の生活はますます苦しくなるだろう。
サルコのディスクールは、『資本主義の再構築』 『本来の資本主義に立ち返る』などと威勢はいいが、どうも何がいったい『資本主義』なんだかアノ男分かってない。あげくにこの頃はなにかというと『国家』『国家』と繰り返している。汗まみれの引きつった顔の男にそう言われると、欧州人としては、なにやら昔、爺さんの代にああいった感じの政治家っていたよなあ、とか関係ない(ことを願うばかりだが)連想をしたりもする。
欧州連合の会合を例にあげれば、そこは直接利害の必ずしも一致しない27国間で、議論を通じ納得できる結論を引き出す民主主義の場なんで、敵対者を言い負かした者が勝つゲームではない。サルコジの野望は今でも変わっていないのだろう:力の政治だ。
だが同時に、サルコ全面外交は国内政治失敗の眼くらましでしかない、という印象を受ける。経済危機に先立ち、すでにフランスは不況に突入していた。金融危機に始まった世界経済収縮と、ヴァーチャル(クレジット)資本によるスペキュレーション活動停止に起因する原油価格急落に続いて、長期的世界不況が予想される。
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国王のいない共和国では、大統領には国家統一に責任があるんだと認識していたが、最近のサルコジの訴訟ラッシュにはますます困惑される。元仏諜報局長イヴ・ベルトランからブードゥーまがいのおもちゃ(針をさして遊ぶ:12.30ユーロ)販売メーカーや、それが大統領所有カード番号とは知らずネットでサルコのクレジット・カードで買い物していた詐欺に対し民事訴訟を起こしている。
またこれは刑事畑だが、『Casse toi pauvre con !』と書かれたステッカーを服に貼って抗議した失業中市民に1000ユーロの罰金が求刑されている(判決は11月6日)。
ご存知のように、現在の仏共和国大統領はその任期中、一切法的拘束(尋問・証言・さらには拘禁・刑罰)を受けない(これは自由・平等を謳う仏憲法違反だ、とアタクシは認識するんだけど)。犯罪がおこなわれた場合、警察・検察や裁判所や弁護士の扱う刑事事件で犯罪自体の確定と処罰が決定されるお約束のはずが、『何でも知っており』『何でもできる』殿はすべてご自分でお決めになるのであった。
これは単なる『殿ご乱心』であるのか、あるいは現仏共和国大統領の持つ『法概念』自体と結果としての(ダチ法相下)仏法構造体系が、市民の持つそれと剥離するに至ったのか、いづれにしても由々しい事態である。。
オプスから関連記事《当選以来二コラ・サルコジが起こした訴訟》:Les procès engagés par Nicolas Sarkozy depuis son élection
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このところのフランスでは、L'Insee(国立統計・経済プランニング局)職員が地方への本部移動に反対してデモったり、公務員削減政策反対行動ではおまわりさんまでデモ参加、刑務所内自殺の多発後、看守がストを決行した後、法務相ダチの政策に反対する判事・弁護士・書記まで全国規模でストをした。参照:Journal des magistrats en colères。国鉄職員や学生・研究者・退職者のストやデモの扱いを事後最小報道に限定していた大手メディアも、今回は大きく扱っている。
コミュニケーション(メディア)を管理すれば、国が管理できるわけではない。いくらマーケティング技能が発達しても、腹が減った貧乏人相手に、アウディやメルセデスベンツやポルシェを売ることができないのと同様だ。
需要がなければ、いくら資本投資をしても悪循環に陥るばかりである。物が売れないのは、人に物を買う金がないからだし、人が無駄遣いをせず貯金するのは、自分の将来が不安だからだ。かといって、戦争でも起こせば需要が発生するかも、ではそれは世界レベルでの自己破壊でしかない。しかしなあ、これからの世界はどうなるんだろう。。。
追加リンク:土曜のル・モンドから署名記事です。仏大統領のディスクールとしての新『国家』主義は仏社会党封じ込め作戦だろうし、実際に次々と打ち出される経済政策の内容は曖昧なものだと批判しています。
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かつて冷戦時代に、マルグリット・デュラスが「世界が破滅に向かっていると考えると、かえって気が楽になる」と言っていたのを思い出した。究極的ペシミズムはオプティシズムに転換するというやつだ。
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というわけで、今日は文庫を2冊買ってきたよ。スティグリッツの『市場ファナティスムに対抗する/もうひとつの世界(原題:Making Globalization Work )』と、ダニエル・コーエンの『ポスト・インダストリー社会に関する3レッスン』:計18ユーロ。自分への資本投下である(まあ、部分なりともちゃんと読めばの話だけども)。
なお、アスーリンは最近はやりだという(本当かなあ)マルクスの資本論について書いている:Marx le retour ? 『資本論』には歯がたたないとしても、雑誌 Le magazine Littéraire のマルクス特集号ぐらい書店で立ち読みしてもバチはあたるまい。なお以下のページでは、1970年代から1990年代までの、マルクスをめぐってレイモン・アロン、エドガー・モランなどの知識人や宗教人が語っているINA 映像が見られる: Marx à l'écran(ここでは、マルクスは哲学あるいは経済学というよりは、革命という最後の審判を信仰対象とする宗教として捉えられている。これは単にマガジン・リテレール誌の文学的編集傾向かもしれないけどさ。)
ところで今日の為替では一万円が86ユーロだそうだ。現在の金融・経済危機の凶暴性がここいらにも現れておる。
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