暇なんで自分のブログの過去記事検索して遊んでたんだけど、なんか、今の状況にぴったりなの見つけた;自分で書いといて忘れてる。
2006年11月19日《ウンベルト・エーコ(訳してみた)とかフーコーとか、でも単なる引用》
...オーウェルのビッグ・ブラザーとは、小数のノーマンクラツーラ(共産党幹部)が、マルティテュードを構成するメンバーすべての動作を、ひそかに観察するその活動のことだ。1984のビッグ・ブラザーは、数百万人の覗き魔がひとりの露出狂を見つめる場としてのTVではない。それは、ベンタム(ジェレミ・ベンサム) のパノプティコン、つまり不可視で観察対象ともならない守衛たちが、ただひとりの罪人を監視する場のことだ。しかしながら、オーウェルの物語における“大 きな兄弟”とは、スターリン主義の“父/権化”のアレゴリーだったわけだが、今日、我々を監視するビッグ・ブラザーは顔がない、それは人間でさえない、グ ローバリ化した経済全体なのだ。フーコーの権力と同じように、それは認知しうる実体ではなく、ルールを受け入れるサークルの集まり全体であって、互いに支えあい、結果として、権力中枢のためにスーパーマーケットで他者をスパイする者が、同時に、あるホテルでクレジット・カードを使って支払いする時にはスパイされることにもなる。権力が顔を持たなくなるとき、それは無敵となる。あるいは、少なくとも、コントロール不可能なものになる。
Umberto Eco "La perte de la vie privée /私生活の消失" 2000年にヴェニスで行われたコロックから、猫屋試訳
*
...マルクスが資本についての分析のなかで労働者の貧困と言う問題に出会ったとき、彼は何をしたでしょう。そうした貧困を自然的欠如ないし謀られた搾取 の結果と見なそうとする通常の説明を、彼は拒否しました。そして、彼が言ったのはおよそ次のようなことでした。「資本主義生産は、その根本的な法則において、貧困を生み出さずにはおかない。」 つまり、労働者を飢えさせることが資本主義の存在理由ではないけれども、資本主義が発達するとき必ず労働者は飢え ることになる、ということです。マルクスは、搾取の告発にかえて、生産の分析を始めたのです。。。
“フーコー・コレクション5”、性の王権に抗して、1977年BHLとの対談から
*
どうしようこれから。わかんないよー。
コメント