今日のル・モンド紙一面の一部と31ページ目全部が、3月6日に77歳にして亡くなったボードリアールに関する記述になっています。ポール・ヴィリリオのインタヴュー、また911後、ボードリアールがル・モンド紙に掲載した文章についての別記事も興味深い。ご紹介いたします。(ということでドヌーヴ記事紹介は後になりそうです)
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ヴィリリオのインタヴューを訳してみました。あくまで私的な意訳ですが。
《彼は事実の敗北をかいま見ていた》
ポール・ヴィリリオ:エッセイストそしてユルバニスト
ポール・ヴィリィオはジャン・ボードリアールに一番親しい友人たちの一人。ガリレ出版社で彼が編集する《L'espace critique/批評空間》に多くの哲学作品を発表している。ジャン・ボードリアールのどんなイメージが印象に残っていますか?
最初に会ったとき、彼はアンリ・ルフェーブルとジャック・ラカンの間にいました。1960年代中ごろのパリで、日常生活と批評問題に関わる雑誌ユートピーに、彼は参加していたのでした。
私にとってあの出会いは重要なものだった。何が起ころうと枠外にとどまろうとする、ある特種な孤独を抱えていたにしろ、彼は周囲の人々に極めて寛大な人間だったのです。
作品のなかに、その孤独の跡を見ることはできますか?
はい、なぜなら彼は、シオランのすぐとなりに並べうる懐疑の哲学者だったからです。大体、シオランについては共に多くを語り合ったのですが。そして、たえずアカデミックな成功からくる思い上がりを拒絶した。メディアの勝利という現在の錯乱を彼は予見していた。
「フーコーを忘れること」に関わる論争を想起してください:彼はフーコーを評価していたが、そのオーラは評価しなかった。ボードリアールは一瞬のリアリテ/事実にだまされたりはしなかった。そのせいで、彼のシュミレーションに対する情熱があった。なぜなら彼は、事実の敗北(la défaite des faits )と、進歩の大いなる幻影をかいま見ていたからです。
彼はまた、ニヒリズムへの誘惑が数え切れない今日にあって、ニヒリズムを拒否したエッセイストでした。。。アメリカの衰退という、この主題は彼が好み、また多くを書いた主題ですが、これは彼自身を深く悲しませた。イメージの人間ではない彼が、当時フォトグラフィーに急激に移行したのは、逃避するこの大陸の敗北を描くためでした。
ボードリアールの後継者はいますか?
出てはこないでしょう。それは無理です。最後の書籍 「ダイアローグの追放者たち、エンリック・ヴァリアント・ノアイユとの共著:ガリレ社 2005年/ Les Exilés du dialogue (avec Enrique Valiente Noailles, Galilée, 2005) 」は、21世紀の大きな断絶、ポスト・モダン性に特有な政治哲学のクラッシュを明快に示している。そう、大きな断絶があり、その意味でボードリアールは固有のジャネレーションに属している:革命-後は存在せず、孤独がある。そして彼の作品は、深い孤独の作品なのです。
リアリテ(事実)と、美学ばかりではなく政治の敗北についての真実の確証もあります:彼は現在の二重性に自覚的だったし、彼にとっては、“マニピュレーション/操作”は拡大する以外考えられないものだった。そして、彼は対する自身の苦痛と、そして政治の退廃と、同じだけの忍耐性と批判抵抗性を持っていました。
最後に話したとき、今から数日前のことですが、彼はおしまいにこう言ったんです:「苦痛は終わることがないだろう」。。。
インタヴュー担当はジャン・ビルボーム( Jean Birnbaum )
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続いては、ボードリアールの言葉についての短い記事です。これもかなりな意訳です。なおボードリアールの文章のいくつかを、一番下のル・モンド弔報ウェブ記事ページ内右のリンク先で読むことができます。
“われわれはレゾー(ネット・網・組織)である”
幾たびか、ル・モンド紙上でジャン・ボードリアールはその視点を公表してきた。
2001年11月3日のル・モンド紙に掲載された《テロリズムの精神》では、セプテンバーイレブンについてこう書いている:《すべての言説とすべてのコメントは、この出来事が引き起こした大いなる無意識の表層化と幻惑とを現している。モラルによる有罪宣言、対テロリズムの聖なるユニオンは、世界レベルのスパーパワー破壊を目前にするという驚異的歓喜に相対する。さらには、言ってみれば力が自己破壊を遂げる、その美なる自殺を目にするという歓喜に。
わたしたちはこの出来事をどんなに夢見たことか。例外なく、誰もが夢見たのだった。なぜなら、ここまで集中した権力の破壊を夢見ないわけには行かないからだ。これは西洋のモラルにとっては許容しがたい。だが事実は事実であり、実にすべての言説の悲壮的暴力性は、それが覆い隠そうとしていたもののに等価であるのだ。》
ル・モンド2(2005年5月28日付け)では、“スペクタクルとしての社会”について記している。
《私たちはすでに、一定の距離とあるインテリジェンス空間を所有するとされる批判的観客ではない。私たちはすでに、スペクタクルとしての社会に、演出のなかに、スクリーンによるアリエネーションの内側等に生きているわけではない。私たちは舞台シーンの前にいるのではなく、私たちはそのレゾー(ネット・網・組織)なのであり、レゾー自体なのだ。メディア権力の現在のヘゲモニーは圧倒的であり、スペクタクルによる支配ももはや存在せず、それはある種の均質性の触手であって、帝国主義でさえない。そして私たちは内部に沈んでいる。グローバルなスクリーンの中にいるのだ。私たちの存在はイメージと記号の流出に入り混ざり、私たちの精神は過多情報と現在自体を消化する絶え間ない現在性の集積に溶解するのだ。》
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最後は、メインの弔報記事です。
社会学者そして哲学者のジャン・ボードリアール、死去
ボードリヤールは、長い病の末、3月6日火曜日に77歳で死亡した。1929年ランス(マルヌ県)に生まれた、ジャン・ボードリヤールは、ソルボンヌでドイツ語を学んだあと、文学批評家としての活動を始めつつ、中学のドイツ語教師となる。最初の出版は(ジルベール・バディアとの協働)ベルトルト・ブレヒトの追放者たちの対話の翻訳である。1960年台のはじめに、マルクスとエンゲルスのテキスト、またドイツの作家ペテール・ウェイツの(よく知られたマラー/サドを含む)何冊かの著書を翻訳している。
同時に哲学の勉学を始め、1966年にはアンリ・ルフェーブルの指導下に、 論文「対象のシステム」 (Système des objets;Gallimard, 1968)を発表。この著作が、ボードリヤールの社会学研究界でのデビューとなった。ここには、新しい視点の中心(資本主義の掟によってますます短いサイクルで“消費”される《記号》の生涯)と、時として呪文に似た、しばしば表層を剥ぎ取る、独自なトーンが読み取れる。
その後のボードリヤールのキャリアは、まずナンテールのパリ第10大学に始まり、1972年にそこで教授となる。次に CNRS(国立研究院) の社会イノヴェーションに関する研究者、そして最後(1986年以降)にはパリ第9大学(ドーフィン)の社会-経済学研究院で研究責任者をつとめた。しかし、彼をフランス国内と国外の知識人界での重要人物とした大きな要因は、記号の政治的経済批評である。
消費社会の非情さと、そしてルフェーブルの跡に従って、工業化された国々の“日常生活”を観察し、それでもボードリヤールはマルクスの伝統的後継者であることも、フランクフルト学派の場に身を置くことも拒否している。スターリニズムに反対した彼は、同時にトロツキズムとマオイズムに関しても警戒心を怠らなかった。彼にとってイデオロギーとは、流行と同じように記号システムに収斂される。そして、どんなものであれ記号(シーニュ)とは単なるシュミラークル以外のものではないのだ。資本主義システムにおいて、もの(訳注;事象、商品、現象)は、その流通価値が完璧に消滅するまで際限なく流通する。すなわち、われわれはレアリテ(訳注;事実あるいは現実)の最終的本質を決して知りえないのだ。その上それは存在せず、さらに、その上にわれわれが新しい政治なり社会セオリーを建設すると信じるこの基礎は、あくまで幻想でしかない。
したがって、ギー・ドボーの状況主義にかなり近いボードリヤールの思想は、ラジカルなペシミズム、さらにはニヒリズムに似通っている。こういった様相のもと、彼の思想が1968年5月ムーヴメントを、真に関わることなく通過したことは驚くべきことではない。以来、その思想はいかなる政治政党にも救いの手を差し伸べるのを拒否したにしても。
しかし、これはボードリヤールが非政治的であるという意味ではまったくない。反対に、その- 出版され続ける -テキストのそれぞれが、彼の当初からの得意技である、支配的思想批評に貢献している。
パラドクスへの嗜好(LE GOÛT)
これは時として衝撃的である:たとえば、「生産の鏡、あるいは歴史的物質主義の批判幻想」 ( Le Miroir de la production ou l'illusion critique du matérialisme historique;Casterman, 1973) 、「象徴交換と死」 ( L'Echange symbolique et la mort ;Gallimard, 1976) 、「誘惑の戦略」 (De la séduction ;Galilée, 1979) は刺激的な著書であり、今でも読み返して得るものがある。けれど、「ボーブール効果」と「フーコーを忘れよう」(1977)は、より状況につき動かされて書かれたと見うけられる。これらの本は、時事問題に関わる論客としてのボードリヤールの誕生と、またガリレ社への最終的移行を示している。- ガリレ社からは、しばしば挑発への意思が強く見受けられるエッセイを含む20冊を越える著作が出版されることになる。1980年から1990年までの10年間はその国際的名声の頂点に対応する。どんな環境ででもリラックスした話し手であるボードリヤールは、世界中の大学から大学へ、討論会から討論会へと行き交い、コンフェランスを行い、寛容にインタヴューを受ける。
「クール・メモリーズ」(Cool Memories; 全5冊、1987- 2005)には、新聞・雑誌の記事と性格的(訳注;d'humeur)テキストが集められており、専門的分野を越えて一般読者をひきつけた。このパラドクスへの嗜好から、1991年には「湾岸戦争は起こらなかった」( La Guerre du Golfe n'a pas eu lieu ) という小冊を発表する。ボードリヤールによればクウェート戦争と呼ぶべき戦争が、実は視聴覚メディアによる綿密にオーガナイズされた“シュミラクル”戦争であると告発するこの著作は、ボードリヤールのポピュリズム的かつ図式化された反-アメリカニズムへの方向転換を現している。119直後、まずル・モンド紙に(2001年11月3日)、同じテーマのテキストを集めた,「パワー・インフェリノ」(Power Inferno)出版のすぐあとに、ガリレ社から「テロリズムの精神」( L'Esprit du terrorisme;2002)を発表する。この、悲劇の犠牲者への同情の不在を特徴とする文章群は、理論的に二重の主張を持っている:911はすべての人々が夢見た出来事であるだろう。なぜなら、だれでもアメリカ・パワーの破壊を夢見るからだ;そして、ツィン・タワー破壊がイスラミストの犯行であると想定されても(されるべきであっても)、この出来事の“真実”とは決して把握しきれるものではないだろう、ということだ。
これは、挑発をその思想のばねとした著者のやっとたどり着いた漂流先なのか?いずれにしろ、ジャン・ボードリヤールがこの時代のアクティブな証人だった事実は決して忘れられないだろう。著作を通して、そして写真を通して。彼は、アートとしての写真を擁護(例としては、ソフィー・カルあるいはリュック・ドライエの作品支援)することでは満足しなかった。彼自身、数限りない旅行のおりに、情熱を傾けて写真を撮り続けた。
その完璧に砂漠化した都市風景のカラー写真集の中から、彼自身が選んだ写真とタイトルを持つ一作品集を私たちは記憶にとどめるだろう。この写真集のタイトルは、彼の思想を見事に現している:「なぜなら、幻想はリアリテ(事実)に対立しない」(Descartes, 1998) 。カイエ・ド・レルヌ(Cahier de l'Herne)誌は2005年にボードリヤール特集を発行し、同年に、ガリレ社からは数冊の対話書が出版されている。ボードリヤールは、挑発と過剰に至るまで、その批判という熱情を維持していたといえるだろう。この情熱は人々に、彼の思想に反する考えをも含めて、考える機会を与えるのだ。
クリスチャン・ドラカンパーニュ / Christian Delacampagne
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始めまして、青柳と申します。
ボードリアールの検索で辿り着きました。
翻訳本当に有難うございます。
興味深い内容でした。しかし彼の死は残念でなりません。
他の内容も拝見しましたが、ドミニクオーリーやミシェルフーコー、そして自己紹介のつげの漫画のラスト、あああ、。(これ大好きなシーンでした)
自分のアンテナに響くものばかり、これからもタイミングを見て拝見させていただきます。有難うございます。
投稿情報: 青柳 | 2007-03-10 01:23
青柳氏、こんにちは。やっと翻訳終えました。
ボードリヤールの本をまじめに読んだこともないし、単に映画「マトリクス」の発想に影響したってコトぐらいしか私は今まで知らなかったのですが、哲学者と呼ぶにはあまりにもエモーショナルなこの人物のなにかを、翻訳しながら共有しえた気がします。
こんな辺境のブログに、ようこそ。
投稿情報: 猫屋 | 2007-03-10 02:22
はじめまして。
コメント&トラックバックさせていただきました。
ボードリヤールの思想に影響をうけた一人として、今回のことがどのようにフランスで受け止められているのか興味があった矢先、こちらのサイトにいきつきました。
1960年代の五月革命を契機に、ボードリヤールの思想家としての人生がはじまったといわれています。
まだ、こちらの翻訳記事を全部を読み通したわけではありませんが、やはりフランスにとって彼という存在は、時代の申し子であり象徴だったことが感じとれます。
たいへん参考になっています。ありがとうございました。
投稿情報: ブルー | 2007-03-10 03:12
ブルー氏、はじめまして。
翻訳してみて分かる、という考えというか構造があるんで、時々の“雪かき”作業は楽しいです。
デリダのあとはボードリヤールが亡くなった。ひとつの時代が終わりまして、、といった感慨があります。 バディウやランシェールは活動を続けていますが、仕事の“織り目”が違うというか比較はできない。調べてみたら、フーコーが生きていたとして今年で80歳ですね。彼が早く消えたことは、まったく大きな喪失でした。
彼ら先達のイデーを踏まえた、新しい世代の思想家の登場に期待したいところですが、ヴィリリオもボードリヤールも、これにはかなり悲観的だ。こまったもんです。
なお、これは翻訳後の訳者感想になりますが、ポスト・モダン=ポスト・工業化、と考えて、現在のポスト冷戦とはまったく別の層だったんだ、と再確認しました。
投稿情報: 猫屋 | 2007-03-10 13:06