3月5日付けル・モンドの2ページにわたる記事から。
今月15日からあの(行った事ないですが)六本木ヒルズで行われるフランス映画祭には、ドヌーヴも20数年ぶりに来日するようです。以下ネット版にはない紙版第一面のイントロだけ、まずは簡単訳してみます。
1957年、彼女は映画 “コレジアンヌ( Les Collégiennes ;女子中学生たち)"
で”シネマ界に始めて登場した。今回、シネマッテック・ド・パリはその50年にわたるキャリアを記念し、回顧上映会を主催する。フランス映画のイコンとなった彼女だが、その人となりを公にすることは極めて少ない。彼女はつねに、私生活への扉を開こうとはしなかった。「カトリーヌ・ドヌーヴがプライベートな何かを公開しようとするときは、彼女自身がすべてをコントロールした。」 と、フランソワ・トリュフォーの伝記共著者であるアントワンヌ・ド・ベックは語る。その伝記では、トリュフォーとドヌーヴの恋愛関係の顛末は、ドヌーヴの要請で削除されている。ル・モンド紙のインタヴューで、ドヌーヴは政治参加;アンガージュメント(政党の名指しを避けながら)について、そして金(訳注;資産)とのかかわりについて語っている。99本にわたる映画のほかには、現在彼女が所有しているのは、ノルマンディーの土地のみだ。
収入については、「税金のがれにフランスを離れたい、と口にしたことはあります。」と告白する。けれど、けっして実行はしなかった:「高校生だったとき、市民義務についての授業がありました。義務を果たして初めて自分はフランスの市民だと感じます。」 そしてこう付け加える。「いずれにしても、稼いだ金額の50パーセントを税金として支払うのはいいことでしょ。」 それ以上は駄目。「フランソワ・オロンド(訳注;社会党党首、セゴレンヌ・ロワイヤルの私生活でのパートナー)は金持ちが嫌いだといってる。でも、たくさんお金を稼いだからって、私が金持ってわけじゃない。高い税金払っているわけだけれど、税金はまた上がりそうね。」と、彼女は笑いながら言った。
(訳注:実際に見たことも会ったこともないけれど、彼女のエレガントで、ダイレクトで、かつ粗野な話し振りがこの訳でお分かりいただけるとウレシイ。彼女と猫屋のアヤシイ関係は、ブニュエル作品から始まったのだった、、あああ、、昼顔、ああトリスターナ、、シェルブールの雨傘ってのもあったな、ジャック・ドミだあ、、)
インタヴュー内容紹介は、たぶん、あした。
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