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2006-10-08

コメント

saisenreiha

フランスでは、フーコーやドゥルーズのような批評家は、どれくらいメジャーなんですか?ドイツで、他の学生に現在有名な批評家や思想家は誰かと聞いたことがあったんですが、ギュンター・グラスとかハーバーマスのような凄くお年の人の名前ばかり挙がって、新進気鋭の方の名前は全然挙がらなかったので、そういう人たちは、ドイツではあんまり名が売れてない感じなんですよね。

あと、フランスでは、宮台真司とか東浩紀みたいな若手の批評家とかって、出てきてますか?

ぴこりん

相方にずっと「千のプラトー」(勿論英語版)を勧められてますが、なかなか・・・。フーコーやペンローズ、ピンチョンの小説なんかも本棚にあって、いつでも読めると言えば読めるんですけど  ^_^;

こういった哲学書って、いつも英訳と和訳と、どちらが読みやすいのか悩みます。いやいや、読むスピード自体は日本語の方が速いのですが、なんだかとっても読みにくい印象があるんです。うーん。

Amazonで頼んじゃうか、里帰りの際に探すか、悩みどころ。でもどっちにしても買うなあ・・・。
>帰国時にブック・オフで探してみる
賢明な判断!

猫屋

saisenreiha 氏、
んー、どうなんでしょうねえ。まあ消費動向で言えば日本のようには本は売れないですから、ドイツとおんなじ様なモンじゃあないか。文系の学生は読んでるだろうけど、こっちの彼らお金ない(文庫版なんてフーコー・ドゥルーズでも数点)。最近デキル子供はみんな科学(経済)系に行っちゃって、するってーと毎日数式ばかりでしょ、学生時代。哲学若手で流行ってるのも見当たらないような。ジジェクだってかなりのおっさんですしねえ。宮台真司とか東浩紀みたいな若手の批評家をサポートする基盤(世代とかメディア)がないんでしょうね。あと、バカロレアの哲学試験(古典がコテンコテン)でもう哲学はコリゴリというのがあるかもね。

ぴこりん氏、
うちには「ミルプラトー」原書が何年も前から飾ってありますが、なにか。というか年齢から言ってももう読みきることは、まあ、ないかもしれないけど、レフェランスとして、とか、気になるところを時折パラパラと読んだりしてます(フーコーも)。文体の流れたり折り曲がったりする感じがイイです。あと、フーコー・コレクションは、雑誌、インタヴュー記事とか海外での講演とかが元なんで読みやすい。これ読んで、あとその気になったら大物に取り掛かるのはいいんではないでしょうか。

saisenreiha

う~ん、ポストモダニスト憧れの国フランスでも、そんな感じですか。ドイツでも思いましたが、やっぱりヨーロッパでも、実学や経験主義を重んじるアングロ・サクソン的な考え方や方法論が、すでに主流になってる感じはしますね。

日本で学術書が少なくとも文庫や新書でそれなりに売れるのは、人口が多くて、マーケットが大きいからでしょうね。名高いドイツのレクラム文庫より、日本の各種学術文庫の方が圧倒的に充実してますからね。世界最大の本の市場アメリカでは、学術書の出版って、盛んなんですかね?

猫屋

そうねえ、ポスト・モダンという呼称はよく知らないんでなんともいえないんだけど、まわりでソレモノ読んでる人間(仏人)は文系学生・専門職や分析医と出版関係の人間ぐらい。日本では高校の同級生とか飲み屋の常連とか気の会うやつはソコソコ読んでた気がします(時代は違うが)。アングロ・サクソン的動向はどうかなあ。経済学・ニューロ系精神医・医学とかはそうだろうが、社会学・一部での歴史・哲学・政治学・エコロジー学はそんなでもないんじゃないかなあ、って全然分からないけど。

こっちの人は(も)あまり本は買わない。高いし。文庫化するだけの購買人口が少ないんじゃないかな。だいたい全体的に金の使い方が断然違うでしょ。ヴァカンスとか外出とか形にならないものに使う傾向は、変わりつつあるにしろ、まだ残ってる。ケチだもん、みんな。

あと米国での専門書についてははやしさんに聞かないと、といっても忙しすぎで答えてる暇なさそうですがね。http://hblo.bblog.jp/ 

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