プロバイダーのせいか、sixapart のせいか、ブログへの写真やムヴィーのアップロードができません。メールもやたら文字化けしたり、隣室ノートPCの方に出したメールは届くのに3日かかったりと、ともかくちゃんと機能してないわけだが、これは猫屋日ごろの行いのせいであって、閻魔様とかからバチが当たったわけなのだろうか。
ということでクリップだけです。
*
セルジュ・ジュリが29日朝、リベラシオンに辞表を出しました。リベ編集室で彼が読み上げた辞表ディスクールはリベのページで聞くことが出来ます。また、あのパリマッチの編集長も辞表提出。こちらもジュリと同様に株主と折り合いが付かなくなったためだ。
ちょっと古いネタなのですが、グローブスキャンという団体とメリーランド大学が20カ国で、市場経済と私有化というのは(つまり資本主義ですな)最良のシステムであろうか否か、という調査をしたんだ。全体で言えば61パーセントが、そうだと答えたわけだが、ななな、なんとフランスではこれが36パーセントに落ちるんですね。ちなみに、中国では74パーセント、米国では71パーセント、英国では66、ドイツで65パーセントが同じ質問にそうだと答えてるんだと。。。
以上オプスで読んだ記事からなんですが、今は有料化されています。該当記事 Pourquoi la France refuse le capitalisme / 何故フランスは資本主義を拒否するのか、はAssociation La Barone という不思議なブログでアップされておりました。
次はリヨンのマルバラン司教の発言です。“La démocratie est en danger. L'argent rend fou” 『民主主義は危機にさらされている。金が狂気に陥れる。』 安定した価値はなくなって、すべてが流動的になった印象がある、と司教は言っています。また、個人財産オーヌ(基準)に対してのみ反応するのではなく、政治アクションに広い意思を再び与える必要がある(すべて猫意訳なり)と結論している。
倒錯した時代になったもんだ。
**
米国最高裁は、ジョルジュ・ブッシュ米大統領にはグアンタナモ軍事裁判所を設置する権利はないのだと判断しました。あたりまえです。法国家である以上、法に従うのは道理。法をかいくぐってチョンボする人なり組織がいるのは異常なことではないですが、これを監査するために法が、そして裁判所があるわけです。米国が“普通の”法国家に戻ることを期待したい。関連ル・モンド記事は以下、
このニュースはTVで見たんですが、この判断に関連するブッシュ大統領のスピーチ映像が放映されてました。しかしねえ、隣にいる人物は誰ですか?ピカチュウでしょうか?
***
Wカップ関連です。いろいろプレス読んでるとTVではわからなかったこともわかったり。
フランス・スペイン戦当日、試合前の両国国歌演奏シーンで、スペインサポーターの一部が『ラ・マルセイエーズ』に対してブーングしてたんだそうです。まあ、これは(残念ながら)ままあることだ。また試合中に、仏チームのブラック選手がボールを手に、じゃなくて足にするたび、サルの鳴きまねをやった。実際スペイン監督は以前にティエリ・アンリをマカック扱いして問題になったことがあるんですね。今回はヴィエラに対して同様なことを言ってたようで、ドメネクは、今回の件を重要と見て、フィファに正式な抗議を申し入れたようです。
スペインのプリンス達も観戦していたし、スペイン・チームはよい試合をしたのに、これは残念です。フランス内のリーグ戦でも、人種的な、あるいはサポーター間抗争が増えている。こういったこともあって、Wカップのようなビッグイヴェント以外のサッカーは関心ないという、(猫屋も含め)人間も多くなる。
ヴィエラがインタヴューで言っていたけど、“フットほど美しいものはない”、なのですが。。。
猫屋様。 ジダンが復帰して、一点ゴールを決めて成功したからって、誰からも呼ばれても、神のお告げもなかったジョスパンが、「僕も、復帰します。」と立候補の用意をするのは、どうでしょうか?
スポーツと政治、同じ事が通じるでしょうか?
そうそう、わたしの友人の子供がスペインで、少し過ごしたんですが、やっぱりけっこうラシストな国らしいです。 残念なことに。
投稿情報: k | 2006-06-30 09:17
K夫人さま、
ジョスパンの現実認識にはどうも今ひとつ付いていけません。ポピュリスムに徹しろ、とは決して思わないが、意思表明の時期をいつも“最悪”のタイミングでする。これも彼の政治人としての資質の一部なんでしょう。残念です。社会党最大危機時に“僕責任者おります”と言ってやめちゃったのは誰も忘れていません。
政治とスポーツの違い、これは引退年齢とかありますよね。ジダンは34です。
サッカーについて言えば、極めて“国民性”の“表象”として機能してるなー、とつくづく思っています。よい意味でも悪い意味でも。。とても痛かったりする。サッカーの政治性は、対ブラジル戦にシラクが来たりするのを見てもわかりますが、サッカーと政治はイコールではない。何故?とは聞かないでね、、今考えてるところだから。
レイシズム、、困ったモンデス。こればかりは、(理論的思考を伴う)時間が発たねばなくならない事象のひとつだと思う。なぜなら、
1.実際の生活レベルでの“隣人”としての“他人”を受け入れる経験がないと、なかなか差別はなくならない。実際の“人”ではなくて、表象としての“差異”によってやっと“自己”肯定が出来きてるという仕組み。
2.広い意味での“教育”がレイシズムを失くす可能性を与えると思うけど、TVとかメディア自体が“差異”を強調する方向=つまり社会の階層化というか順番化あるいは商業化のマーケティングをフォンダモンタルにしちゃってるわけで、おまけにマーケティングとしての“いつも正しい(消費し続ける)私”は間違いをアプリオリにはなないと想定されており、間違いをコミットするのはつねに他者であるのだよね。
などと、朝もはよからわけワカランことコメント欄に書いてしまった。買い物に行ってきます。
投稿情報: 猫屋 | 2006-06-30 10:32
グローバリズム、ねえ。
先日、エコノミスト誌のメールマガジンの講読を止めました。世界中の出来事をざっと眺めるのに便利だったのですが、だんだん「資本主義、金儲けになること万歳」な論調(ま、そういう雑誌ですが ^_^;)がいやになってきてしまいました。
政治・経済、完璧な「イズム」って存在しないと思うのです。その間を埋める微調整を誰がどう行うか、そのへんでまた歪んできちゃったりするわけで・・・考えすぎるとまたぐるぐるしちゃいます。
レイシズム。そういえば、イングランドチームって「混ざってます」という感じの若者が多いですね。一方で、フランスの移民出身の選手のインタビューを読むと「ああ、やっぱりフランス人だあ」と思わせたり。面白いです。
例えば、ロンドンは英国じゃない、と言う人もいます。、特にうちみたいにど下町に住んでいたら、いちいち人種やら民族なんて気にしていられません。これが郊外の日本人の多い地域やら、白人の多い地域だと、うっかり勘違いしちゃったり、逆に辛い思いをしたりするようですが。
投稿情報: ぴこりん | 2006-06-30 14:30
そうなんすよねえ。
たとえば“寛容”なんてのは、現在の商用言語では表に出てこない。信用とか寛容とかのコミュニケーションのベースにあるべきものが、単なるコードバーに置き換えられつつあるんだと思います。だからかえって古臭い、“個”を抑圧するものと考えられてた“宗教”や“ヒューマニズム”とかが、逆転して“個”の主体性を守るものとして機能してしまったりする。“昔はよかった”という発言が、まあ場合によりますが、正しいものと感じられる時もあるのは、自分が歳をとったせいばかりではないよな、とも思う。
たとえば大学と言う場所が、かつてのエスタブリッシュメントとしての“知”の場所としての機能にとってかわって今は“知”の“アラモの砦”になっている。これだって何時まで続くかわからない。
サブカルもコマーシャリズムに侵食されて、かつての前衛というのも不可能になってる。ほんとうにグルグルメマイが止まりません。
投稿情報: 猫屋 | 2006-06-30 15:43
こんにちは。
辞表を提出してしまいましたね。
私はフランスのものならなんでも素敵、と思う者ではありませんが、資本主義が行き過ぎてはいまいかと制度的に問題になるこの国はまだまだ健全だと思います。日本だと目先の不正に対する感情論に終始してしまう嫌いがあり(この問題に関してだけではありませんが)、議論が発展していかないのが苦しいところですね。
脱線しますが、猫屋さんが『私有化』という単語を使われていますけど、私もprivatisationは『民営化』と訳すべきではないと思います。『民営化』にしてしまうと国のものから「みんなのもの」になった感じがするのでしょうが、単に「だれかのもの」になっただけなんですけどねぇ。
経済状況の悪化が差別意識を助長するしでほんとに・・・。
ではお邪魔しました。
投稿情報: pol | 2006-06-30 16:28
もともと、資本主義の基本は土地や人や権利やなにかの私有化がベースですから、やはり私有化なんだと思ってますよ。“民”という語も難しいです、極めて恣意的使用ができます。peopleですか。
このままで行けば、エコロジー系であるのか、株式系から始まるのかはわかりませんが、どこかで壁にぶち当たるのは明白だと思われます。閉鎖状態が続けば自己破壊に行くし、開発・開拓すべきフロンティアはない。
どうしましょうか。
ではpol氏、また邪魔しに来てくださいな。
投稿情報: 猫屋 | 2006-06-30 21:04
と、今ガーディアンを見たら、テュラム先生が胸のすくようなことをおっしゃってます。
http://football.guardian.co.uk/worldcup2006/story/0,,1809453,00.html
この人も頼れる「兄貴」ですなあ。国歌斉唱に関わる箇所は、日本のヘンな連中にもそう言ってやりたいくらい。
投稿情報: ぴこりん | 2006-06-30 21:46
フット・ボールってのが面白いのは、たとえば今回のフランスチームの「盛り上がり方」見てても、非常に多くの要素があり、各選手の性格や相性やそれから運もあったりするんだけれど、たとえば性格の違いや生まれ育った環境の違いや宗教やもちろん肌の色の違いなんかを、ひとつの目的のためにベンチにいる選手や、関連人やファンまで含めて一体化させちゃうってことでしょう。監督の采配ももちろんある。でも、これが上手くいくと(8年にいっぺんの割合か、、、)きわめて幸福な共和国的チームになるんだよね、、とか思った。
これはある意味、アートですよ。テニスが「孤独」の劇的スポーツであって、サッカーは「祭りとしての政治」のようなものを表わすスポーツといえるかもしれない。関係性ですよね。
投稿情報: 猫屋 | 2006-07-01 02:02