きのう木曜のリベ・ウェブ版で拾った、ニコラ・サルコジへのインタヴュー予告記事。本日金曜日には全文掲載のはずが、少なくともウェブ版には続きが更新されていない。で、暫定的にクリップ・アップだけ。
«Il convient qu'on se remette en question dans notre façon de faire de la politique» --- われわれの政治をするやり方を疑問視する必要があるだろう --- となるかな。(このタイトルからしてカチンとくるわけだ。“われわれの”と言って置いて、インタヴュー冒頭では“Vous”でリベラシオンを(命令形まで使って)批判している。サルコジが政治家であって、政治家が政治をするのだと言う大前提は無視ですか、そうですか。)
昨夜遅く、このページを見つけたとき訳そうかとも思ったんだけど、まあまず明日全文読んでから決めることにした。◎×▲□アレルギー症候群かもしれないし、ここんとこオーギュスト・コントが、とかモンテスキューもなあとか、不慣れな事をぶおーっと考えてたせいかも知れないが、どうもこのディスクール、つーか喧嘩言葉は極めて腹立たしい。私は大体、文化資産だか文化資本だかそんな高尚なもん持っちゃあ居ないが、それにしても今時のちょっと気の利いた高校生だってわかるだろが、この詭弁。
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25日追記:該当記事土曜日夜中に見つけました。
全記事版 Il convient qu'on se mettre en question dans notre façon de faire dela politique
ざっと読みましたが、極めてサルコジのサルコジによるサルコジのためのディスクールです。突っ込む気にならん。用はなんだ、ル・ペンの各種宣言と同じで、危ないことを言うとポピュラリティが上がるという、アレでしょう。てなわけで訳さないことにした。(飲みすぎだし)
なお、右の写真はActUp(エイズ関連団体)の作ったポスター、もちろんUMPから抗議があり、現在ではアクトアップのサイトでもデモにも使われていません。
追記の追記(26日):上のインタヴュー記事に対するリベラシオン社説がありました。タイトルは“仔細なし”となるか。ル・ペンがユダヤ人強制収用所の遺体火葬処理設備は歴史のデタイユ/詳細、にしか過ぎないといった有名な宣言にかけていますが、そこはそれ言外の意。つまり、サルコジ氏の言説はアナロジー領域に訴える物であるにもかかわらず、そのアナロジー領域に関するインアタヴュアーの質問には、決して答えない。あくまで言語の第一次元での意味に固執いたします。結果として、サルコジ氏の言説、全体でみると極めて矛盾してる。おまけに喋りすぎなわけで、リベのエディトリアルが分析するように、サルコジ氏が自己PRをすればするほど、幸いなことに、それがサルコ反PRにもなってるわけだ。
インタヴュー最後のサルコ氏の言葉は、
Je ne vois ni dérive, ni droitisation, mais des Français de droite comme de gauche qui veulent que les valeurs du travail, du respect, de l'autorité, de la justice et de l'humanité soient davantage mises en avant. Ce sont les valeurs que je défends. Elles sont celles de tous les Français.
私はそこに、脱線も右傾化も見ない。右であろうと左であろうと、労働と尊重と権威と法と人間性という価値を前面に掲げたいフランス国民を見る。それが私の擁護する価値である。それがすべてのフランス人の価値である。(意訳なり)
というわけでありまして。サルコジには背骨となるべき思想基盤がないとかねがね思っていましたが、それはそうなんだよね。自由・平等・博愛という共和国パンドラの箱を壊しかねないわけなので、そこが危ない。先端人であったWブッシュ氏も今はあのテイタラクでありますから、何おか況やの年の暮れ。。。猫屋は今夜、引き続き“仏国植民地事情問題”を軽くトリートして見るつもりです。
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