《アスラン・マスハドフのヨーロッパに向けた最後の訴え/ L'ultime appel d'Aslan Maskhadov à l'Europe 》
18日のリベラシオンに、3月8日暗殺されたチェッチェン独立派指導者マスハドフのヨーロッパに当てた遺書とも言うべき手紙の翻訳文が掲載されています。2月25日の日付が付いた、この手紙は欧州外交安保上級代表ハビエル・ソラナ/ Javier Solana (コソボ介入の際NATO議長だった)に当てられている。マスハドフへのオマージュ/献辞だな、リベはマスハドフ・チェチェン大統領としている。この手紙の中でマスハドフは、ロシアとの会話を求め、ウクライナ選挙時のようにEUの仲介を望んでいる。手紙は、ヨーロッパ在住チェチェン人と亡命チェンチェン政府代表たちの手によって西ヨーロッパまで届いた。なお2重翻訳ということも、nekoya の力不足もあり、かなり意訳です。御容赦ください。
欧州外交安保上級代表 Mr. ハビエル・ソラナ
チェチェンにて 2005年2月25日上級代表殿、
チェチェンの民間人、そしてロシアとチェチェン両軍に犠牲者が出ない日はなく、チェチェンの女性・子供・男たちに最悪で不当な要求が突きつけられない日もないまま、私も含む生き残りは、エルティン大統領が1994年12月11日に始めた、チェチェン人民に対する軍事攻撃の悲しい10周年を迎えました。当時100万だったチェチェン人口のうち、20万人が死に、30万人が難民として外国に移動、何万人もが自国内での移動を強いられ、何万人かが攻撃での負傷そして拷問の傷に苦しみ、そして他の何万人かは牢獄か、ロシア軍とそのチェチェン人協力者たちの “フィルター” キャンプ内で生き、身代金が支払われるのを待ち、あるいは最悪の場合、拷問か(衣食・治療の)欠乏という名もない理由によって死に至っています。
御存知のように、チェチェン第2次戦争と呼ばれる出来事が1999年秋に始まって以来、私はこの紛争解決への意志を繰り返し表明しています。、ロシア側とチェチェン側の間にあるギャップをロシア政権との話し合いによって解決する意思です。現在の時点で、このネゴシエーションへの度重なる要求への返答は一切なく、ロシア上部からは、偽の正常化というディスクール/話が帰ってくるばかりです。
2003年3月私は、外相イリアス・アクマドフ/Ilyas Akhmadov を仲介として、和平提案を公表しました。これは、コソボと東ティモールを経験した国際社会による、、ロシアの安全保障に関する正当な利益と、チェチェン側のどうしても譲れない以下にあげる三点を考慮した、紛争解決に向けた新しい貢献を望むものです。この三点とは、二者による新しい合意への、それがいかなる形であるにしろ、国際社会による保障メカニズム。チェチェンの物質的国家建設と、民主主義確立と人権国家成立までのトランジット期間の国際社会の直接介入。そして、このトランジション後の、国際規定にのっとったチェチェンのステイタスの最終的決定、です。
残念ながらこの申し入れに対して、今年始めに私が命じたチェチェン側停戦令と同様に、そしてこれまでになされたすべての申し入れと同様に、モスクワ政府からは何のリアクションもありませんでした。モスクワ政府は逃げの姿勢を変えようとはせず、不幸なチェチェン人に対する自称《チェチェン正常化》というプロセス、違法選挙、ますますソフィスティケートする軍事活動、一般市民に対する不当な扱いといった一連の政策を進めています。
レジスタンス下の大統領という状況が許す限り、ウクライナで起こった《オレンジ革命と呼ばれる出来事》に注目しました。そして、私の意見では、この幸福な展開の鍵とも言える役割を欧州連合は果たしています。特に、ヨーロッパがひとつの声として機能するとき、それぞれの国家とその元首の仲介や外交安全保障代表の仲介を通して、その役割は強く、また有効だと理解しました。
ロシアと言う大国との関係が持つ複雑性も、ロシアとの経済的また政治的関係の重要さも、分らないわけではありません。反対に、ロシアとの関係が欧州にとって重要であるからこそ、その関係は強固な基盤の上に、緊急にまた根本的に、建設されなければならないと信じます。その基盤とは、自由と民主主義と人権です。残念ながら、ウクライナでの出来事が思い起こさせたように、また長すぎる期間にわたってロシアで起こっている反民主主義的流れが私たちに示すように、またチェチェン人がこの10年受けてきた悲劇が示すように、それらの基盤はロシアには存在していません。
ロシア国家とそのチェチェン共謀者たちによる、大掛かりな日常化したテロリズムについて言及はしません。御存知のように、チェチェンレジスタンスの末端少数派によって行使されたテロリズムは、そのたびに断罪されています。私は、これからも断罪し続けるでしょう。しかし、このテロリズムは、原理主義者による国際テロとは何の関連もありません。これは、ほとんどの場合、身内を無残な状況下で失った絶望した者達が、加害者とあるいは占領者と同様な方法を使って報復しうると考えているためです。この考えたかは、私のものではないし、このように考えることは私には決してできないでしょう。実際、私の政治力のすべてを用いてチェチェンレジスタンスの活動が国際軍事協定枠内に止まるよう努力しました。私がテロリズムを防ぎ得なかった時、他の誰も引き止める事はできなかったでしょう。チェチェンでは、テロリズムが横行しています。占領軍とレジスタンスの末端フラグメントによるテロリズムは、戦争から、最も卑劣な暴力から、基本的人権冒涜の日常化から生まれ、それらに養われる。平和と民主主義のみがそれを祓(はら)うことができる。
世界とヨーロッパの問題内に占めるこの(チェチェンの)人々の重要性を誇張するつもりはありません。チェチェン人は時間をかけた絶滅政策の対象であり、モスクワ政府にとってのチェチェン問題とは、民主主義と人権国家解体の、言い換えてみれば、権威主義国家あるいは偽依民主主義建設のための大きな鍵なのです。
私の国がコソボではない以上に、ロシアはセルビアではないと理解しています。けれど、ウクライナ危機の際私が目撃したように、欧州連合はその意思を活性化した場合には、不可避と見える情況の転換を促すことができる。この理由から、欧州がチェッチェン悲劇の問題に対峙する役割を引き受け、欧州が適当と認めるすべての国際機関立会いの下で、我々の政府とプーチン大統領政府間の話し合い開始の条件確保を、あなた方欧州連合を通してお願いすることを自らに許しました。
私自身はその名誉に服することはできませんが、これらの考察をより深いものにするため、、私の政府のヨーロッパにおける代表であり、健康相でもある MrOumar Khanbiev と会談していただければ、私のおおいな喜びとなるものです。
この手紙をお読みいただく感謝とお返事をいただく希望を抱いて。
敬具アスラン・マスハドフ/Aslan Maskhadov
Itchkerie チェチェン共和国大統領
参考 ウィキペディア日本語版 チェチェン共和国
ね式チェチェン関連エントリ media@francophnie ブログのマスハドフ暗殺関連ル・モンド記事日本語版
田中宇氏の2000年に書かれたページ 《チェチェン戦争が育んだプーチンの権力》 《真の囚人:負けないチェチェン人》
旧共産圏非ロシア に住んでいたこともあり、チェチェン戦争は例えばアフリカ大陸の内戦より個人的にひっかかるモノがあります。マスハドフ「粛清」に関して周囲の反応は「テロリストだから当然」的なものがありました(が、それが正義ならブッシュだって粛清されたっていいんじゃないか?)。 が、私は何やら悲しみのようなものを感じます。論理立てて言葉にできない、ぼんやりとした感情ですが。 人間にも運不運があるように、国家民族レベルでも大いに運不運がありませんか? ユダヤ民族は彼らが自負するほど悲劇的だとは思いませんが(だってそれが好きだろ?と言いたくなる)。 また馬鹿コメントで失礼しますー。
投稿情報: Mari | 2005-03-22 10:40
おお、Mari さんこんばんは、
コメントありがとうございます、って言うのもこの翻訳ムズイクて3日かかってしもたのですが、誰も読んでくれなかったらどーしよう、もうブログも畳んで故郷に帰って百姓になろうか、とは大袈裟ですが、ほとんどソレに近い感じで、はあ。困っていた。
戯れ言はこのぐらいにしても、チェチェンは痛いです。モスクワ劇場で死んだ、チェチェン未亡人ゲリラ女性の写真は忘れられない。やはりここから陸続きというのもあるし、なんか気を入れての翻訳で、気を入れすぎてしまって疲れました。
投稿情報: nekoyanagi | 2005-03-24 00:30
お百姓になってもいいですけど、ブログは畳まないでください。 勿体ない。 みんな読んでるけど、黙って読んでるんですよ。 チェチェンが何故個人的に痛いのか。 元来善意と希望を元にしていたはずの行動が、流血・憎悪の結末に到る。 のが痛いのかと。そちらも曇りがちな春日和でしょうか。 なにはともあれ、楽しいイースターを。
投稿情報: Mari | 2005-03-24 09:39
「みんな読んでるけど、黙って読んでるんですよ。」って、いい言葉ですね。僕はタイミングをはずしながらも、くまなく読んでますょ。
投稿情報: yosio | 2005-04-03 16:37