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2005-03-20

コメント

Mari

旧共産圏非ロシア に住んでいたこともあり、チェチェン戦争は例えばアフリカ大陸の内戦より個人的にひっかかるモノがあります。マスハドフ「粛清」に関して周囲の反応は「テロリストだから当然」的なものがありました(が、それが正義ならブッシュだって粛清されたっていいんじゃないか?)。 が、私は何やら悲しみのようなものを感じます。論理立てて言葉にできない、ぼんやりとした感情ですが。 人間にも運不運があるように、国家民族レベルでも大いに運不運がありませんか? ユダヤ民族は彼らが自負するほど悲劇的だとは思いませんが(だってそれが好きだろ?と言いたくなる)。 また馬鹿コメントで失礼しますー。

nekoyanagi

おお、Mari さんこんばんは、
コメントありがとうございます、って言うのもこの翻訳ムズイクて3日かかってしもたのですが、誰も読んでくれなかったらどーしよう、もうブログも畳んで故郷に帰って百姓になろうか、とは大袈裟ですが、ほとんどソレに近い感じで、はあ。困っていた。
戯れ言はこのぐらいにしても、チェチェンは痛いです。モスクワ劇場で死んだ、チェチェン未亡人ゲリラ女性の写真は忘れられない。やはりここから陸続きというのもあるし、なんか気を入れての翻訳で、気を入れすぎてしまって疲れました。

Mari

お百姓になってもいいですけど、ブログは畳まないでください。 勿体ない。 みんな読んでるけど、黙って読んでるんですよ。 チェチェンが何故個人的に痛いのか。 元来善意と希望を元にしていたはずの行動が、流血・憎悪の結末に到る。 のが痛いのかと。そちらも曇りがちな春日和でしょうか。 なにはともあれ、楽しいイースターを。

yosio

「みんな読んでるけど、黙って読んでるんですよ。」って、いい言葉ですね。僕はタイミングをはずしながらも、くまなく読んでますょ。

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