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2005-12-09

コメント

fenestrae

ル・モンドにはまた、感電死事件についての最新の報告書の概要がのっていますね。
http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0@2-3230,36-718482@51-633431,0.html
警官たちの交信記録の中に、三人の少年を前に現場にいる警官が、責任問題を恐れて事故の状況の話にあけくれている同僚たちにいらついて、「 Nous, ce qui nous intéresse pour l'instant, ce sont les victimes」と言っているというくだりがありましたが、私はこれが、警官かどうかに関係なく、ごく普通のフランス人の態度のはずだと思います(思いたいです)。

猫屋

政府の正式発表はまだ出ていないのですが、ル・モンドやリベ、ヌーヴェロプス記事からくる世論圧力も考慮に入れてもいいかな、とも思います。文章というのは、まあ他の職人仕事は同じですが、金では計れない“出来”がすぐ目に付きます。これは、できることなら私が信頼したい、この国の部分です。

fenestraeさんは、リベの警官達からとったインタヴューはお読みになりましたか?
http://www.liberation.com/page.php?Article=343053
なんだかんだ言っても、フランスの公務員界にはまだ組合が健在だったりしてこういう記事も書ける。フランスも捨てたものではない、と言いたいんですが、、どうなりますか。

どこかのブログで読みましたが、世界が分節化するとき
“新しい世界の形に自分を合わせる”
“やってくる世界を否定し、過去に戻ろうと固執する” やり方がある。

でも“どこまでも抵抗し、他の道もあるのだと模索する”のも可能だろうとその仏ブロガーは書いていた。そうだと思います。

fenestrae

「最後の日」読みました。掛け値なしで文学でした。よくも悪くもフランスのジャーナリズムの一つの典型的なスタイルですね。このような状況での二人の少年の死ともう一人の重負傷というできごとの情報が地域の人々に伝わり、そのときのエモーションが分かちもたれていれば、これに対して、cambriolage 云々という説明がどれだけの憤激を与えたかということが容易に理解できます。生活スタイルの描写は、「貧困にあえいで爆発」というような単純な見方を斥けさせてくれます。

猫屋

現在、この記事の一部なりとも自分流に(ある意味歪曲しながら)訳そうと努力している作業中です。記者のエモーションを受けて、(訳者もですが)読む人間もエーモティヴになってしまう、これは良しも悪しくもフランス・ジャーナリズムの特徴ですね。しかし、死んだ人間に、ましてや子供たちに、名前とそれぞれの歴史をもう一度与える作業は、古めかしくともいまだに生きている、ヒューマニズムなのだと思います。

shiba

翻訳、お疲れさまでした。
「最後の日」は原文と猫屋さんの翻訳と両方読みましたが、淡々とした語り口にじわじわっと涙が止まらなくなりました。(泣き虫なので。)
fenestraeさんの仰るように文学ですね。
クリシー・ス・ボワの子供たちの生活の視点が書かれていて、警察の姿を見て蜘蛛の子を散らすように走って逃げる子供たちの心情に同化してしまいました。

fenestrae

週末の精力的なお仕事に感嘆!

ところで、
「現在、われわれに興味があるのは被害者のことだ。知りたいのは、状況と、どうやってそれが起きたか、不可抗力だとしても、事故なのか、ちょっと前に言っていたように警官に追われた末の出来事なのかどうかだ。」
のくだりですが、ちょっと相談というか質問というか。
原文は、
" Nous, ce qui nous intéresse pour l'instant, ce sont les victimes. Ce qu'on veut savoir, c'est les circonstances, comment ça s'est passé, si c'est fortuit, est-ce que c'est accidentel ou est-ce qu'ils étaient poursuivis par les fonctionnaires de police, comme il a été dit tout à l'heure ?"
で、たしかに字面を自然に読んでいくと、上のような翻訳のようにさらりと読めて、私も最初はそう読んだのですが、文脈からいって、 "... ce sont les victimes, OR ce qu'on veut savoir ...?" のように読めません? さらに文章を遡ってでてくる on ne s'est pas attaché dans un premier temps aux blessés の on といっしょで nous と微妙に区別される on = eux,vous, tout le monde ということで。その解釈だと最後の疑問符の存在とも符合するように思うのですが。100%自信はないのですが、こちらのほうがロジックな気がするので、可能性を考えてみてもらえないでしょうか。

shiba

フランス人の若者に聞いてみたら、kekeはアクサン・テギュつきの「kéké」のことではないか、それは「rigolo」「 drôle」「 des gens pas sérieux」 の意味、とのことです。

猫屋

shibaさん、 fenestraeさん、
どうも私はレヂュメ能力がなく、2.3行での紹介が出来ない。部分訳はどんどん長くなってしまいます。今回の文章は俗語ぐらいで、哲学用語も出てきませんからもともとconteurである猫屋にはそれほど難しい仕事ではないんです。訳しながら、今回はどうも“死者をきちんと埋葬しなかったので荒神が暴れた”ように思いました。訳出は猫屋なりに、2人の子供に名を与え、鎮魂する作業だったと思っています。

kéké 意味合いはだいたいつかめたのですが、日本対応語が見つからなかった。ブリジッド・フォンテーヌもこの語を使っていますね。最初はマカックとの関連語かなとも思ったのですが、ブッフォンのもっと軽い使用例かな、、適切日本単語が見つかったら教えてください。

警察のラジオ録音レポート  これはデリケートです。たぶん警察署あたりから、現場にラジオで通信している警視の言葉ですね。私は on はポリス・サイドのことだと推測します。あと別報道で、通信記録に警官が少年を追っていたというのがあったが、後にサルコが否定したと記憶します。ポレミックのど真ん中部分なんですが、後に出る公式報告はそれとしても、該当記事のタイトルに“追跡”という語が使用されているわけで、訳は記事のラインを踏んだつもりです。なお若干書き換えました。

fenestrae

当該部分の解釈、了解です。前後関係や全体像がわかりにくいのですが、私の(二度めの)解釈はやはりちょっと無理があったかもしれません。改訂版でよりすっきりと読めます。

猫屋

一晩ゆっくり寝てから、手を加えました。(プライベート優先事項はほっといて(笑)。マイナー・ブログなのに、いやだからこそ、手をかけるという、、こだわり。(アフォです)

shiba

あほ、とんま、間抜け…といったところでしょうか?>keke

猫屋

了解、とんまを採用させていただきました。

shiba

遅ればせながらTBさせていただいきました。毎度のことながら届かないようなので、一応お知らせまで。

猫屋

shibaさんブログからのURLへの規制解除願い送ったんですが、やはりダメですか。
申し訳ないです。

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