« 自分のためのクリップ:ネグリ・インタヴューポッドキャストとポール・オースター | メイン | 漫然とクリップしたる一周忌、ああサルコ »

2008-05-05

コメント

Hi-Low-Mix

ローマ史とかイスラーム哲学史とかを見ると、ヨーロッパと中東の歴史において、地中海世界という枠組みでの見方が常に必要だろうと感じます。
今回の新しい学説とてきちんとした研究に基づくものでしょうから、感情的に「ヨーロッパと中東は別」という話ではないのでしょうね。まったくの推測ですが「切り分けて考えるべき部分もある」という話なのだろうと思います。
むしろ、フランスでそのように感情的な受け取り方がされたりするという状況が興味深いですね。文化の多様性を容認するという点では、アメリカ西海岸とともに進んでいると思っていたのですが(日本は和式にフィルタリングした上で受容しているというイメージなので、ちょっと筆頭にはあげられない)。

猫屋

まあ、国家の概念、あるいは国境の概念は最近出来たモンですし、上にもありますがスペインがイスラムの地だったこともあるわけで、たしかに“地中海文化圏”というのは確かに存在するんですが、大体この本の作り方自体がちょっとアマイ。

先生の学術的研究とは別に書かれた本で、はやりのモンサンミッシェルでしょ。時期的に言って、ちょっと挑発的だなあ、と素人ながら感じました。

フランスはもう(少なくともあと数年は)ダメポ、です。カルラが先週サルコをコメディ・フランセーズに連れて行ったそうですが、こりゃ末期的症状でありますよ(意味不明ですんません)。

ねずみ王様

 くだんの書評を読んで、まじかよ?と思って本を注文したところだったナリ。中世学者たちの反応を始め、その語の展開は見落としていたので参考になっただチュー。

猫屋

あ、ねずみ王はこの本注文したんだ。読み終わったら報告キボンヌ(笑)。
もともと歴史本読んでなくて、中世の学徒っていったら映画「バラの名前」のショーン・コネリーぐらいしかアタマに浮かばない。てなわけで歴史本自体アタクシには「豚真珠」なんですが、しかし、香ります。

オモテには出てこないですが、科学系もふくめて仏研究体(大学・研究室)全体の組み換え(改革、、ってか国家援助カット)が進んでて、そこいらへんも影響してるんだろうなあ、と素人には思える。要するに、ミッテラン・ラングが進めて、シラクがある意味受け継いだ文化第一主義が、崩れてる。美術館のメルカート化もあるし、精神分析派と行動心理学派の抗争もある。

このあいだあった、モリエール賞授賞式で、あるインタヴューアーが参加者たちに「1)モリエールの作品から引用。2)今年のミス・フランスの名」を質問したんだが、文化相アルバネ、1は分からずも、2は正解してましたけど、ってまったく関係ない話で、申し訳ないです。

もとい:この「事件」に追加事項があったら、また報告します。

renqing

またしても、お邪魔します。

古典古代の西洋と東洋(2)
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2007/09/post_1070.html

上記は、私の雑文ですが、下記は、平凡社世界大百科事典(1998)の記事です。

「6世紀の残照が消えたあとは,メロビング朝の文化的低迷時代である。この間に日常の俗ラテン語からロマンス諸語が発生し,文章語としてのラテン語もまったく乱れてしまった。しかし大陸の混乱の影響を受けなかったアイルランドの修道士たちの間で古典の研究と保存の伝統が持続され,7世紀初頭,彼らは大陸に進出して,スイスのザンクト・ガレンと北イタリアのボッビオに修道院を設立,ここが時代を通じて写本作りと研究の中心地になった。」
「ラテン文学」by 中山恒夫

この記事へのコメントは終了しました。