dvd:LE MONDE SELON MONSANTO ARTE 12.54ユーロ
本:Le monde selon Monsanto : de la dioxine aux OGM, une multinationale qui vous veut du bien Marie-Monique Robin
モンサントの世界:ダイオキシンからGMOへ、あなたの健康を願う多国籍企業(暫定訳)
マリ-モニック・ロバン著 20ユーロ
ヴィデオ@ネット1/7
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dvd:LE MONDE SELON MONSANTO ARTE 12.54ユーロ
本:Le monde selon Monsanto : de la dioxine aux OGM, une multinationale qui vous veut du bien Marie-Monique Robin
モンサントの世界:ダイオキシンからGMOへ、あなたの健康を願う多国籍企業(暫定訳)
マリ-モニック・ロバン著 20ユーロ
ヴィデオ@ネット1/7
投稿情報: 2008-05-02 カテゴリー: Economics/経済, Monde / 世界 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
先週、これは夏かと思うような気分のいい日が3日ぐらい続いて、あとは毎日ぐずぐずと雨だったり陽が差したりの変わりやすい陽気。昨日の午後は、所用があってアンバリッドへ。その時点では日が差していたから、そのあとサンジェルマンまでのんびり歩いた。
パリ七区を歩くのは久しぶりで、並んでる店もだいぶ変わっっていた。映画館とサロン・ド・テがあったパゴッドの庭が荒れて、なんだか漢詩にでてくる廃墟みたいだ。
サンジェルマンで、雹の混ざる激しい雨が降り始め、地下鉄に退散。フランスもゴールデン・ウィークだから人が案外でていた。
しかし、パリから本屋がどんどん消えている。サンジェルマンは高級ブティックばっかり。とは言ってもさすがラスパイユのガリマールとサンジェルマンのLa Hune はまだある。
サンミッシェルのアパートに住んでた1985年あたり、回りは本屋とカフェだらけだったのに、今並んでいるのはファースト・フードと安洋服屋。
あそこ、40年前はバリケードだったんだよね。住んでたアパート横のカフェ、カウンターの偽ブロンド・マダムが「あの時は大変で、店の前の街路樹まで倒された。学生はまるっきりフォーヴ(野獣)だった。」と言っていた。運動最後の衝突の日のことだ。当時学生だった連中は親になり、CPEデモの時どうやって敷石をはがすのか自分の子供に教授していた(でも今のパリでは敷石を見つけるのが大変だ)。
*
今日はTVアルテでルイ・マルの Milou en Mai を見た。この映画は(なぜか)初めて。1968年の田舎の屋敷で、母親を埋葬するために60歳のミルー(ミシェル・ピコリ)が、兄弟や自分の娘(ミウミウ)や甥や姪を家に迎えるが、、、という話。
ルイ・マルの映画は、作品によってスタイルも色もジャンルや音まで大きく変わる。昔、作家の名を気にしないで見てたけど“地下鉄のザジ” “鬼火/Le Feu follet” “死刑台のエレベータ” “Au revoir les enfants” 全部彼の作品だ。
“死刑台のエレベーター” のマイルス・デイヴィスのトランペットの使い方も渋かったけど、ミルーでも、今は亡きステファン・グラッペリ/Stéphane Grappelli のヴァイオリンが効いている。
ブルジョワ夫人を演じるミウミウの変身振りも楽しいけれど、ピコリは、たぶんこれはルイ・マル自身に重なるんだろうが、“幸せになることに決めたんだ。だって健康にいいからね!”とヴォルテールを引き合いに出すjuissif な男を演じている。見事。
マルチェロ・マストロヤンニがイタリア男の純情と弱さと理想と、そして敗北と苦渋をよく表しているとすれば、ミシェル・ピコリのフランス男は、徳と悪が同居するブルジョワ世界の矛盾をそのまま演技してみせる。アイロニーと子供っぽさのまざったピコリの色気は、観客を知らないうちに彼の“悪”の共犯者に仕立てる(たとえばブニュエルの昼顔でのピコリ)。
ミルーが作られたのは1989年で、ルイ・マル58歳の時だ。ふむ。砂糖製造会社を所有する北フランスの裕福な家庭の息子ルイ・マルが、カトリック・ブルジョワ批判と諧謔と田舎の土への愛という主題に68年を絡め、変わっていくフランスをメランコリックに描いている。
「革命万歳;Vive la révolution !」とはしゃいでも、ドゴールがパリを去って革命が始まると信じる家族は猟銃で武装した隣人たち(バレリー・ルメルシエ)とともに、母親の遺骸を置き去りにしたまま(羊の腿ローストと宝石箱は忘れず)山に逃げる。
この映画撮影直後、エイズで死亡したLes NulsのBruno Carette が、女に目がない共産党アレルギーのプロレタリアであるトラック運ちゃんを好演している。
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この国に20年も暮らして、やっと“ブルジョワの隠された快楽”ってのがなんとなく理解できるようになった気がする。でも分かった頃には世代交代で、ブリング・ブリングのジェット・セットなニューリッチが幅を利かすようになって、なんだか関係ないこちらまでメランコリック。
そういえばロブ-グリエも死んだ。この人もjuissif な作家だ。“去年マリエンバードで”って映画はまるっきり分からないところがステキだった。夫人であるカトリーヌ・ロブ-グリエはSMの専門家で、SM啓蒙に務めている。最近 Jeanne de Berg という名で、Le petit carnet perduという小冊を出版して、(読んでないけど)TVで見た彼女は最高。ドミニック・オーリを意識してるのかしてないのか、それは分からんがシニョン(つめた髪)とシックで地味なスーツ(カト校寄宿舎館長風lol)でSMの話を真面目にするのよ。ははは。
あの頃、あるいはあの世代の(1968年に重なる)空気ってのが、今日の映画を観てて多少分かって来た。ああ、時代は変わる。
投稿情報: 2008-05-02 カテゴリー: Cinema | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
さっき、ヌーベル・オブセウバトール(ヌーベロプスあるいはオプス)のウェブ版開いてびっくりしてしまいました。1968年5月の40周年ということで、68年の日刊紙ページを作っております。
Le Quotidien de 1968 :フランス国内の運動ばかりではなく、フランス初の心臓移植だとかの世界での出来事、映画紹介やテレビ欄などもある。読者からの記録も掲載、最新報をテレックスとしてるのもなかなか渋いです。68年3月28日号の記事が全部読めるというコーナーもある。当時のラジオ放送も聞けたりして、これは報道版考古学/アルケオロジーですな。
以下は日本からのニュース、
Japon : les étudiants jettent des pavés contre les policiers;Les manifestations anti-américaines de samedi et dimanche ont fait cinq blessés. La police a procédé à près de trois cents arrestations.
日本:学生による警察官に対する投石;土曜と日曜のアンチ米国デモは5人の負傷者を出した。警察は300名を逮捕
だそうです。わーい。沖縄デーだったのね(本文はもっと長い)。
投稿情報: 2008-05-01 カテゴリー: France | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
今日の経済系ラジオでは、米国経済成長率は0.8パーセントが見込まれていると話していました。仏語ネット・ニュースで探したら、0.5パーセントと予想する専門家の意見もありました。
NY原油価格は118ドル、為替は1ユーロが156ドル。剣呑な時代です。何が起こっても不思議はない。
合衆国という強大な蜂の巣が、ミクロな単位(住宅=サブプライム)の核崩壊から傾き始め、世界から集めていた蜜(資本)を抱えて、蜂が新しい巣を探してるようなイメージを想像しました。原油などの鉱物資源・先物(穀物やコーヒーなどの食品)相場でのスペキュレーションは、その動きを数字として捉えうるスキンなのでしょう。
資本に国境はありません。けれど、国家・地域国家あるいは国際機関(+公立銀行)が、金利操作・課税や司法上サンクションなどの方法を通じて資本動向のレギュレーションを行うことはできるし、それがそれら機関の仕事でしょう。かつて考えられていた市場自身による自由決定とは絶対的なものではなく、植民地時代のつねに拡大する市場自体の存在が前提となっていたのだろうと考えます。
オリンピックを控えた中国の内政硬化の裏には、経済成長の頭打ちとインフレからくる国民の苛立ちがあって、それに対して政府当局はナショナリズムの高揚で国家統一の維持を図っているという印象を持ちました。
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うまくいったら、東ドイツを知っているアンゲラ・メルケルや、とハワイに生まれ、少年時代インドネシアに生活し、間接的にでもアフリカやイスラムを知っているバラコバマが、これからの世界的リーダーになるかもしれない、と思う。そう願いたいです。
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ル・モンドから、同時多発世界危機に関する経済記事を訳してみます。
世界経済秩序を揺るがす六つの危機
ル・モンド経済版 2008年4月28日2007年なかばに始まり、2008年前半期に加速した-その症状が金融・為替・経済・食料・エネルギー・エコロジーにまで拡がる-この世界規模の危機に、歴史はどのような位置を与えるのだろうか。
この地震が社会および経済に与える振幅度は、リヒター(リクター)スケールにしてどのぐらいなのだろうか?1929年の大恐慌よりさらに大きいのか?
これは、1970年代の危機に比べうるもので、1973年第一石油危機と1974年後半の不景気に先立ち、1968年ローマクラブを創立した科学者・工業経営者・エコノミストたちが、メドウズ・レポート(Meadows ;1972年)で呼びかけたように、21世紀末までにやってくるだろう資源枯渇を防ぐ目的で(経済)成長を止めるべきなのだろうか?
慎重さが必要とされる。 そう確信するためには、まずは経済コンサルタントレポート(CAE)に2004年発表された“金融危機/Les crises financières”を読み返しさえすればよいだろう。3人の著者、ロベール・ボアイエ (Robert Boyer) マリオ・デオヴ (Mario Dehove) ドミニック・フィオン (Dominique Plihon) はそろって、多くの場合“双子の”(金融と為替)、もし株価指数と経済活動の崩壊を伴う場合さらに複合化する「金融危機が資本主義を周期(リズム)づける」のだと、わたしたちに思い起こさせる。
さらに、1971年の、それまで第二次大戦終了時に設置された固定為替システムのブレトン・ウッズ協定(Bretton-Woods)撤廃以来、危機発生数は増加したと彼らは説く。
そして、パリ経済校客員教授ピエール-シリル・オークール(Pierre-Cyrille Hautcoeur) は、「ひとつの危機の規模を測ろうとするとき、稼動中のメカニズムと、最終点で発生する調整との分別に注意しなければならない」と強調する。
現在の危機のランディングに関して、国際通貨基金(IMF)や経済協力開発機構(OECD)によって出された(成長)低下予想にもかかわらず、中国とインドの成長が減速しすぎない限り、この2国の発展のおかげで世界経済成長率は3.5%と4%の間の上昇を見せるだろう。
「つまり、現在の時点では、われわれは過激な経済危機に直面しているとはいえない」とオークール氏は続ける。
原料問題を専門とするパリ・ドーフィン大学の教授フィリップ・シャルマン(Philippe Chalmin)氏もこの意見に同意する:「距離を取り、相対的な視点を持つことが必要だ。 現在の衝撃は強いが、1970年代危機を思い起こして欲しい:あの時は私たち全員が新しい国際経済秩序の到来を予想していた。」
反対に、これは例外的危機だとするエコノミストおよび歴史家は、この危機の多様な性格に注目する。 それは、必ずしもおなじ理由ではないにしろ、これが例外的であるという点では共通している。
シャルマン氏は、「原料市場でのこのような不安定性は過去には見られなかった」と肯定する。 「通常例として引かれる1974年の危機は、まったく古臭い例となった。信じがたい記録と受け取られた1月2日の原油価格100ドルは、4月25日にすでに117.6ドルに達している!」
クレディ・アグリコルのチーフエコノミストであるジャン-ポール・ベトベーズ(Jean-Paul Betbèze) にとって、2000年のインターネット・バブル崩壊があったにしろ「今回、私たちは21世紀最初の危機に直面している。」
彼によれば、これまでの米国の(あるいは他地域での)危機がやがて他の地域に広がる、という図式とはまったく異なっている。
「私たちは、たとえば異なった複数の危機が互いに影響しあるというまったく新しい図式に直面してる。米国では借金に苦しむ国家の危機だ:ヨーロッパでは、メンバー国家がこれまで解決できなかった地域的政治統制危機がそれら国々の協同経済戦略を阻んでいる:開発途上国では、古典的な加熱と成長率の危機に直面しているか、あるいは直面しようとしている。」
おまけに、「危機の当事者たちが競っているこのゲームに協調性はみあたらない。」とベトベーズ氏は力説する。
ドル急落下は、輸出が停滞するヨーロッパ人にとって何の解決にもならない。中国人たちは、西欧国の輸出を促すだろうユアンの切り上げを拒否する。
危機の歴史を専門の一部にするパリ・ドーフィン教授ピエール・ベズバックも、この相互依存ゲームはかつてないほど複雑化していると認めている:「南の国々はすでに支配されるという立場を逸し、世界競争に同化した。そして東側国家も、市場ルールに改宗している。こうして、共通の利益追求からは程遠い、多様なアクターがそろったわけだ。」
ナティキス(Natixis)のチーフ・エコノミストであるパトリック・アルテュス(Patrick Artus)と、2005年にラ・デクーヴェルトから“自己解体中の資本主義/ Le capitalisme est en train de s'autodétruire”を出版したジャーナリストのマリ・ポール・ヴィラール(Marie-Paule Virard)にならって、ベズバック氏は現行の危機は「社会の全体的断絶(訳注:rupture、あるいは切断)」を示していると考える。
「資本主義はすでに発達の段階にはなく、最終段階に入ったのだ。西欧パワーは、1929年の原料価格引き下げのように、危機の勘定を他の国々に支払わせることはもうできない。今、私たちはシステム、あるいはその機能の自己破壊を目の前にしているのだ。」 そして、現在の危機はそれの最も強い兆候なのだ。
マリー-ベアトリス・ボーデ Marie-Béatrice Baudet
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参考
CAEレポート:Les crises financières 20euros (まだ試してないけど、ここからPDF版がダウンロードできるようです)
ローマ・クラブについて:ウィキ日本語 ウィキ英語 ウィキ仏語
ブレトン・ウッズ協定:ウィキ日本語 ウィキ英語 ウィキ仏語
Le capitalisme est en train de s'autodétruire(アマゾンfr:何ページか読めます)
この本の著者パトリック・アルテュスを含む4人の経済専門家へのエクスプレス誌インタヴューです(2005年、3ページ)Le capitalisme est-il menacé? 資本主義は脅かされているのか?
5月4日追記:読み返してたら、訳文訳した自分でも分からん、ガックン。で、若干書き直しました。
投稿情報: 2008-05-01 カテゴリー: Economics/経済, Monde / 世界, trad/翻訳 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)